▼ハイヒールとベッリーナ
ガリッと肉を抉る音がして、アバッキオは目線を上げると今まさに自分にワインボトルを振り下ろそうとしている男の身体がぐらりと倒れた。
アバッキオが男を避けると、その後ろからアデレードが片足だけ裸足で立っていてその手には彼女の靴が握られている。
男のこめかみを背後から思いっきり殴ったYSLのロゴヒールのLの文字には血と皮膚が付いていて、アデレードはそれを一瞥するとポイと投げ捨てた。
そのヒールの値段を知っているアバッキオは眉を寄せる。
「レオ、靴をお願い」
「……またかよ」
「私に血のついた靴を履けって言うの?」
「あー……はいはい」
アバッキオが舌打ちを堪えて溜め息をつけば、アデレードは早くしてと催促した。
アデレードと任務を共にする時は必ず彼女の替えの靴を用意しておかなければならない。彼女は度々ハイヒールを武器にして駄目にする上に決して血のついた靴を履こうとしない。
アバッキオは用意しておいた袋を差し出すと、座って待っていたアデレードが足をあげた。履かせろ、との事らしい。
ブチャラティに知られたら厄介だと思いながらも今目の前にいるアデレードの機嫌を損ねることもアバッキオには厄介に違いない。
諦めて彼女の前に腰を下ろして、太ももの上にアデレードの踵を置いて真新しいハイヒールを履かせてやる。
「……懐かしい事を思い出したわ」
「あ?」
「子供の頃、海へ行った時の事よ。岩の間にビーチサンダルを落としちゃった事があったでしょう?あの時もレオーネがこうして履かせてくれたわね」
「ああ……気に入ってたサンダルだっつって、アディーはピーピー泣いてたよな」
「泣き止まない私をおんぶしてくれた事覚えているわ」
「ふん、よく覚えてるなそんな事」
「レオーネだって覚えたじゃあないの」
アデレードはクスクスと笑うと、言葉を続けた。
「あの時、王子様ってこんな感じなのかしらと思ったのよ」
「王子様?」
「ガラスの靴を履かせてくれる王子様よ」
「……んな柄じゃあねぇ」
「……そうね。私もお姫様って柄じゃあないわ」
遠い昔に見た夢よ、とアデレードは立ち上がり新しいヒールを鳴らしながら歩いていく。
レオーネ、と呼ぶ声の懐かしい響きだけが変わらずにアバッキオの耳に残った。
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