盛夏の候

 頑張って一歩踏み出そう。そう思ったはいいが、わたしは具体的に何をどうするつもりだったのか。

 御幸が弱音を吐ける場所になりたいと思ったのは事実。だけど彼の彼女になりたいのかと聞かれたら何か違う気がする。それに「彼氏と別れたから付き合ってください」だなんて、そんな尻軽発言気安く言えるわけがない。
 そもそも御幸がわたしのことどう思ってるかなんて結局のところは分からないし、あの男は彼女が欲しいだなんて思うタイプなのだろうか?誰かに頼まれたわけでもなくわたしが勝手に意気込んでるだけで、弱音を吐き出す場所なんて今更必要ないと思ってるかもしれないし…

 あぁ、ダメだ、これはもう負のループ。

 この期に及んで何をどうしたいのか分からない。迷宮入りってこういうことか。下手に動いて暴走するくらいなら何もせず冷静になって自分を見つめてみよう。果報は寝て待てって言うもんな。そんなことを考えてるうちに夏大が始まった。

「あれ、なんで?」
「それはこっちのセリフ、なんで選手がこんなとこいるの」

 夏大会西東京地区予選、四回戦当日。府中市民球場到着後、お手洗いを済ませてスタンドへ向かう途中に見覚えのあるスポサン男とばったり遭遇。大会が始まってからは顔を合わせることも少なくなったので、こうして面と向かって話すのはなんだか久しぶりな気もする。

「今日も応援来てくれたのか、地元帰らねーの?」
「うん、今年の夏は全部青道に捧げる予定だから」
「ふーん?」
「なに、文句あるの?嫌なわけ!?」
「いやいや、嬉しいよ?」
「ならいいけど…」

 そう呟きながら御幸の表情を窺う。ぱっと見では分かりづらいが、よく見れば照れ臭そうに頭を掻いていた。この様子だとわたしが彼氏と別れたこと、御幸の耳には入ってないようだな。てっきり調子に乗った倉持がすぐにバラすもんだとばかり思っていたが意外に漢気あるじゃないか。うん、千葉の元ヤンの株が上がったな。

「あ、御幸一也いた!リーダーとボスが探してましたよ!」
「おー、今行く」
「なんだ、姐御と一緒だったんスね」
「誰が姐御だ!」

 変なあだ名つけないで!半ば叫びつつ肩を上げて威嚇するもこの暴れん坊将軍には響いていないらしい、この状況にも関わらずわたしと御幸を交互に見ながらニヤニヤ笑っているのだから。こいつ、マジでいい度胸してるな。試合前に一体何を考えてるんだ。
 そう思いつつも彼の背番号20がわたしの視界にチラついて思考が現実に引き戻される。入部してまだ間もない中、沢村は100人近くいる部員の中からこの背番号を勝ち取ったのだ。御幸曰く「馬鹿でうるさいヤツ」らしいけど、彼もまた、選ばれなかったメンバーの想いを背負って前に進むしかなくなった一人。御幸と同じく、後ろを振り返ることができない宿命を背負ったんだな、なんて思ってみたり。

「今日沢村投げるの?」
「フッフッフ、それは試合が始まってからのお楽しみですぜ」
「いや、先発降谷だから」
「そうなんだ。ならブルペンで騒がないでね、みっともないから」
「ぐっ、ついに姐御にも言われた…」

 おそらく先輩たちにも口酸っぱく言われているのだろう、再度灸を据えるとさすがにこたえたのか先に行ってますんで、そう言って沢村はチームのもとへ戻って行った。てっきり御幸もそれに続くと思っていたのに、なぜかこの場から動こうとしない。どうしたんだ、もしかして暑さで頭がやられたか?

「行かないの?呼ばれてるんでしょ?」
「あー、うん…」

 歯切れが悪いなぁ、なんだ?もしかして頭じゃなくてお腹の調子が悪いんだろうか。そんな見当違いな心配は御幸の一言で呆気なく打ち消される。

「…お前、なんかあった?」

 真剣な面持ちでそんな事を尋ねてくるもんだから驚いて言葉を失いかけたが、取り乱してはダメだと警告が聞こえた。なんでこんな時に気付くかなぁ。そう思いつつ、なるべく表情を崩さないよう冷静を装い、口を開く。

「別に何もないよ?」
「ふーん…?」
「ていうか今そんなこと考えてる場合じゃないでしょ…」

 大事な試合前に何心配させてるんだ、我ながら情けない。わたし、そんなに顔に出るタイプだったっけ?自分の不甲斐なさを悔やみつつ、靄を吹き飛ばすように激励を送った。

「いいからさっさと勝ってこい!」

 御幸の背中を掌でバシンと叩くと、彼はよろけて二、三歩ステップを踏みながら姿勢を崩した。体格のいい大の男が自分より小柄な女の張り手でよろめくなんて、よっぽど油断してたか、わたしの力が強かったか、果たしてどちらだろう。出来れば後者でないと信じたい。

「痛ってぇ〜手加減しろよ…」
「ご、ごめん」
「でも喝入ったわ、ありがとな」

 ふ、と笑う顔に胸が高鳴る。あぁダメだ、どうやらわたしはこの顔に弱いらしい。素直になると決めてから改めて思う、やっぱり好きだなぁ。
 野球の神様がいるのなら、甲子園行きの切符はどうか彼らに渡して欲しい。夏の暑さはこんなものじゃない、これからもっと暑くなる。終えるにはまだ早すぎるのだ。
 だから、誰よりも熱く暑く長い夏にして欲しい。この時のわたしはそう願うしか出来なかった。


(20201214)

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