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臆病 if



 獄寺隼人がイタリアから日本へとやってきてからというもの、彼の生活はガラリと変わった。
 ボンゴレ9代目より与えられた部屋は一人で暮らすには十分な広さを持つマンションで、次期10代目沢田綱吉と同じクラスへと編入する手続きもあれよあれよと進められた。その身一つでやってきた彼が不自由に感じることは何一つなかった。

 日本という国は獄寺の想像を上回る平和ぶりだった。母親が生まれた国。自らの中にもその血が流れている獄寺にとって、新鮮でありながらどこか懐かしいような気のする国。

 転入した並盛中学校もいたって平凡。学力も運動レベルも各部活動の成績も、どれをとっても平凡だった。突出したものがあまりにも見当たらない。学校だけを見れば刺激がなくつまらない学校だ。
 しかし、獄寺は毎日をそれなりに、いや平凡以上に楽しんで生活していた。全ては沢田綱吉のおかげ。
 彼のダメっぷりは振り切れている。もちろん、そんなところを含めても獄寺は沢田をボスとして慕っているし、彼が誰よりも心優しい人であることを知っている。獄寺が100点を叩き出すテストで21点を取ろうが、授業中に当てられた質問に答えられなかろうが、パスされたサッカーボールを蹴ろうとして踏んづけてすっ転ぼうがそれは変わらない。
 逆に腕がなるというものだ。10代目を支えるのはオレ! そんな風に沢田がダメであればあるほど獄寺はイキイキとその隣をついて回るのであった。


「おい山本、おまえ緑中の山田っていう男に聞き覚えあるか?」
「男…? いや、ねーな?」
「チッ使えねーな」


 "緑中の山田"、それは獄寺が最近よく耳にする名だった。なにやら不良達の間でメキメキと名を上げている新参者だと聞いている。
 名が売れることは不良のステータス。緑中という学校の名を背負っているということは、その学校の頭を張っているということ。即ち、緑中の番長がその山田だ。チンピラ界隈は何かと上下関係に厳しい世界。そこの頂点を張っている人物ということはかなりの腕っ節が見込める。
 試しに山本に聞いてみたが、思い当たるような人物はいないようだった。

 この並盛において、不良の頂点に君臨しその不良たちを束ねているのは並盛中学校の風紀委員長、雲雀恭弥だった。"ヒバリ"の名は学校内に止まらず並盛全域にまで及んでいる。
 沢田をボスとして慕う獄寺にしてみれば雲雀が学校ででかい顔をするのは正直気に入らないところではある。しかし沢田の役目は学校を治めることでも、並盛を統治することでもない。彼の将来はマフィアのボス。それもそこらへんの名もないファミリーではなく、大ボンゴレの10代目だ。それを理解している獄寺は雲雀の好きにさせている。もちろん、それで沢田に何か危害が加えられるようなことにでもなれば黙っているつもりはない。
 しかし、名のある危険人物を警戒していないわけではない。平和な日本といえど、学校同士の抗争が起こらないとは言い切れない。


「その山田って奴がどーしたって言うんだ?」
「緑中の一匹オオカミって言われてる不良だ」
「不良なー」
「10代目に危害が及ぶかもしれねえ! こっちから先に叩いた方がいいか…いや、まだこの辺りでの目撃情報もねえし…」


 ぶつぶつと、今後起こりうる危険について考えている獄寺は気づかなかった。そんな自分のことを山本がクスクスと笑っていることに。

 日本の中学事情に明るくない獄寺はまず山田について徹底的に調べ上げることにした。情報元は主に町の不良。喧嘩を売られたついでや、目があったついでに山田について知っていることはなんでもいいから吐かせていった。そんな風にして得た噂が全部本当のことだとすれば、山田という奴は相当強い奴のようだ。
 一年生ながら既に緑中を支配していて、学校に攻め入ってきた不良どもをたった一人でボコボコにしたという。武器は野球の金属バットであるという有力な情報も得た。──危ねぇモン振り回すじゃねーか──マフィアとしての血が騒ぐ、といったところだろうか。日本の平凡をそれなりに楽しんでいる獄寺だが、やはりマフィアとしての血の気の多さが暴れることを望んでいた。


「10代目を差し置いて名を上げるなんて許せねぇ!」


 獄寺は単身、緑中に乗り込むことを決めた。







「陽子〜ひま〜バッセン行かね?」
「なんのために部活お休みさせてもらってるか分かってるの? 大人しくしてなよ」
「でもよ? 体動かさねーと腹も減らないし、夜中起きちまうんだよな」
「2歳児」


 時は、山本が腕を疲労骨折して部活動を休ませてもらっていた頃まで遡る。ここは山本の幼馴染である陽子の部屋で、山本が放課後に入り浸っている場所だ。
 難関校と言われている私立緑中に通う陽子の勉強机の上は、学校から出された宿題や、山本が使う教科書とは表紙の違う数学の教科書が広げられていた。部屋で自由に過ごす山本には目もくれず机に向かっている。


「そんなに暇なら宿題でもやれば?」
「残念! 宿題なんてそうそう出ないもんだぜ」
「じゃあ予習しなよ」
「ヨシュウ…?」


 なにそれ、おいしいの? とでも言いたそうな山本の顔は、こんなくだらないやりとりさえも楽しんでいるようだった。
 陽子のベッドに腰掛けて何をするでもなくぼんやりと過ごすだけでは確かに退屈だろう。テレビも今の時間はニュースばかりで山本が楽しめそうなものはない。陽子の部屋にある漫画も既に一度読んだもの。陽子が相手をしてくれないと暇なんだと視線を送り続ける。

 深い深い溜息がたっぷり5秒ほど続いた。うんともすんとも言わなくなった幼馴染に山本もそれ以上なにかを言うことはしなかった。あまりうるさくすると怒られる。「よし!」とシャープペンシルの芯をしまった陽子はテキパキと教科書を片付けて、明日の時間割を指で追った。なんとなくそれを目で追った山本は少し寂しく思った。自分の学校にはないようなカリキュラムの並ぶ時間割表、同じ学年のものとは思えなかった。クラスが違うのではない。通う学校が違うのだと思い知らされるばかりである。


「ねぇたけ。宿題終わったからさ、今からとっても疲れることしよっか」
「は?」


 山本は制服のリボンを解きながら近付いてくる陽子の顔を見つめた。彼のぽかんと半開きになった口からは健康的な赤い舌が覗いている。熟れたいちごのような赤い舌はゴクリと唾を飲み込む為に一度隠されて再び姿を現した。
 視線はワイシャツのボタンにかかる指へと移り離すことができなくなってしまった。山本の心臓がトク、トクっとしっかりと鼓動を刻み始める。
 服を脱いでするとっても疲れること。中学生男子の頭の中はわかりやすくピンク色だった。学校では爽やかなスポーツマンで通っている山本も例外ではなく、物凄いスピードでたくさんのことが脳裏を駆け巡っていった。
 まだ脳は考えることを放棄してはいない。理性をギリギリで保ちながらも幼馴染からの甘い誘惑に乗ってしまおうか揺れていた。

 陽子のことは好きだ。生まれた時から一緒にいる家族のような存在で、居なくなられたらとても困る存在。幼馴染であり、家族であり、親友でもある。では、恋愛感情としてはどうだろうか。山本の理性はそこでなんとか繋ぎ止められていた。
 人として、家族として、友人として大好きだ。そして男の子としてはそういう行為に興味も湧く年頃ではある。知識しかないその行為を、実際に体感してみたいと思う気持ちがゼロなわけもなく。しかし、自分たちは本来ならばそういうことをしていい関係ではない。物事には順序というものがある。自分の気持ちはその道を辿るべきものなのか。もんもんと湧き上がる興味の波と冷静さの風。乾き出した喉に、ごくりと飲み込んだ生唾がひっかかる。


「でもな、陽子…」
「走りにいくよ!」
「……………なるほどなー」


 もちろん走るのは山本ただ一人である。一体自分は何を言おうとしていたんだろうか。一瞬にして思考がクリアになった山本は力の抜けた顔で笑う。
 こうして、山本は部活動に出られない間に野球部の誰よりも走り込みを行い基礎体力を上げていった。そして陽子はそんな山本を自転車で追いかけた。猛スピードで自転車を漕ぐ姿やその際に肩に担いでいた金属バットを見た者達による噂が独り歩きをしてしまい、まるで金棒を振り回す鬼のような言われようなのであった。







 間違った情報を掴んだことなどつゆ知らず、"緑中の山田"に会うため単身緑中へとやってきた獄寺。彼は大事なことに気がついていなかった。
 そもそも緑中というのは女子校だ。未だ、山田が男だと思っている獄寺には絶対に見つけられっこなかった。

 隣接する男子校の名は青中。そして一つの校舎を真っ二つに分けた二校の正門はそれぞれ正反対の位置にある。二つの正門と二つの校庭、その中央に左右対称に建てられた緑中と青中がある。
 山田を見逃さないようにと早退までして緑中の正門前ではっている獄寺。この門から男子は絶対に出てこない。

 終業のチャイムが鳴ってから数十分。漸くチラホラと生徒が出てきた。獄寺は山田の顔までは調べていなかった。そんなに強い奴ならば一目見ればわかるだろうと外見についてのリサーチを怠ったのだ。
 自分のミスに気づくことなく出てくる生徒を片っ端から目に入れていく。「あの人誰?」「不良だわ…」通り過ぎる生徒達がヒソヒソと言葉を交わしていく。その言葉が耳に入りながら無視を決め込んだ。校門の前に他校生がいるというのはとても目立つことだ。それでなくても獄寺の容姿は目を惹く。綺麗な銀髪に制服に合わせるには少しいかつめのアクセサリー。それがまた彼にはよく似合っていた。いつしかちょっとした人だかりができる始末。

 出てくるのは女、女、女。──なんだこの中学は。女しかいねえのか。──だんだんとイライラを募らせていく獄寺の顔つきは険しくなっていく。彼と一定の距離を保ちつつキャッキャキャッキャと騒いでいた生徒たちだったが、眉間にしわを寄せる獄寺に近づいていこうとする者はいなかった。


「っくそ、女ばっか出てきやがって! なんなんだここは!」
「ちょっと」
「あぁ!?」
「ここで何してるの?」
「女に関係ねーだろ! あっち行ってろ!」


 目当ての山田が出てこない。それどころかさっきから女ばかりが出てきて周りが騒がしいことに獄寺はイラついていた。いつしかそれはまだ見ぬ山田という男への怒りに変わる。とんだ責任転嫁ではあったがこの際どうでもいい。早く出てこない山田が悪いのだ。
 そんな時に獄寺に声をかけてきた女がいた。甘ったるい声色ではなく、真っ直ぐに突き刺さってくるような声。たくさんの雑音の中で耳なじみのいい声だった。

 だが今は知らない女を構っている暇がない。声をかけてきた人物には目もくれずシッシッと追い払うような仕草をしてみせた獄寺に噛み付いたのはその女だった。


「あんたがここで何してようがあたしには関係ないけどさ。それが女であることとも関係ないよね? それともあたしが男だったら関係あるわけ? ねぇ?」
「(な、なんだこいつ…!?)」
「大体ね、女子中の校門の前でガン飛ばしてる他校生がいたら目立つのよ! ガラ悪いし!」


 息継ぎもなしに捲し立てられた言葉に驚いた獄寺はここでようやくその女を見た。
 どこにでもいそうな女だった。喧嘩が強そうなわけでもなければ不良でもなさそう。学校で遠くからキャーキャーと騒がれることはあっても個人的に話しかけてくる女はあまりいなかった。転校したばかりの頃に怒鳴って蹴散らした効果は大きい。沢田の横以外では常に機嫌が悪い獄寺に率先して声をかけるのは山本くらいなもの。だから少し、いや、だいぶ驚いていた。大体の女は大きな声を出せば怯んで逃げていったのに。

 まじまじと女を見つめながら言われたことを反復した獄寺はあることに気付く。


「…おい」
「何よ」
「女子…中?」
「…? 緑女子中学校。いくら待っても女の子しか出てこないよ」
「はぁー!?!?」
「うっさ」


 獄寺の大声にあからさまに嫌な顔をしてわざとらしく耳を塞いだ女こそが、獄寺が待ち伏せていた山田である。二人がそれを知るのはもう少し後の話。


─後日談─


「な〜獄寺、緑中の山田には会えたのか?」
「ガセネタ掴まされた。緑中に山田なんて男いるわきゃねーんだ。くそ」
「緑中に山田ならいるぜ? オレの幼馴染の山田陽子。もちろん女だけどな」
「それを早く言えよ!」
「だって陽子は不良じゃねーし男でもねーし。山田なんて名字他にもいるだろうしな」
「ちげえよ! 緑中が女子中だって知ってんなら言えってんだよ!」


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