20.

 十二月の二週目。自分でも気づいてはいたけれど、迫るその日のことを考える度に私は頭を抱えていた。食堂でキラキラと光るクリスマスツリー、三井くんといっしょに歩いた大通りのイルミネーション、適当なファッションビルに入ると目に入るのはクリスマスの文字ばかり。
 来週の半ばから大学は休みに入ってしまうけれど、バスケ部は年末ギリギリまで練習があるらしい。クリスマスイブも練習があると言っていたのであえて話をしないでいたけれど、三井くんのほうから「練習終わってから会いにいくから空けとけよ」と言ってくれたのだ。
 そんなわけで、今私の頭の中をぐるぐると巡っているのは三井くんへ渡すクリスマスプレゼントのこと。そしてさらにもうひとつ。

「就活かあ……」

 そう呟いた目の前にいる友人の一言で更に気分が重たくなる。今月に入り、就職活動が解禁された。今日の私たちの服装は、学内で行われる企業説明会へ出るためのリクルートスーツである。大学入学の時と、夏の間のインターンシップ前に少し着ただけのスーツは肩が凝って仕方ない。
 あまり早起きが得意ではない私は、いつも講義を二限以降から取ることにしていた。それなのに今日の企業説明会は一限の時間からだったので、漏れるあくびを何度も我慢するのはとんでもなく大変だった。

「気持ちが落ちるばっかりだ……」
「名前はいいじゃん、クリスマスというわくわくイベントもあるわけだし」

 それ自体はもちろん楽しみに決まっている。たとえ会えるのが少しの時間だとしても、世間的に特別な日とされているその日に、大好きな人と過ごせることはとてもしあわせなことだ。なにより、部活で忙しい彼の方から「会おう」と言ってくれたことがうれしかった。
 三井くんって、何をもらったらうれしいんだろう。そもそも、男の子が貰って喜びそうなものなんて皆目見当がつかない。部活で使えそうなものとかがいいのかな、と思ったけれど、そういうものは既に自分で持っているに決まっている。いろいろ考えてみても堂々巡りだ。
 そして、そんな彼は現在インターカレッジの真っ最中である。先週末から始まったトーナメント戦、私が観に行った初戦を勝利で飾った我が大学の男子バスケットボール部は、次の日の二戦目も無事突破。本日は三戦目の試合に臨んでいる。二戦目と今日の三戦目は平日に行われているため、講義があって応援に行けないことが悔しい。
 腕時計を見ると、今の時刻は十二時過ぎ。試合は確か十一時ぐらいからだったはずだから、きっともうそろそろ終わるころだろう。

「名前の彼氏はさ、やっぱりプロ目指してんの?」

 そういう人は就活なんてぜんっぜん関係ないんだろうなあ、なんてぼやいている彼女に苦笑いしてみせる。スポーツをしている学生が、プロチームからのスカウトをもらって卒業後に入団するという話があることは何となく知っていた。そういえばお互いのこれからの事や卒業後の展望などといった話をしたことはない。

「そういえばそういう話したことないや」
「ちゃんと聞いときなさいよ、どうなってもいいように」

 どうなってもってまだ学生だよ、と慌てて言い返しながらも考えてしまう。バスケをしているときのキラキラしている三井くん。その彼がプロとしてプレーする姿は容易に想像できた。
 言葉が乱暴だからわかりにくいけれど、優しくて、実はバスケ以外に関してはそんなに器用じゃなくて、短気だけど真っ直ぐで一生懸命で。そんな彼の事をいつの間にかすごく好きになっていた。そのことを私に気づかせてくれたのは他でもない彼がバスケをする姿だ。だから、彼の目指しているところがそこだって言われても全然違和感を感じない。むしろとても自然で当たり前のことだと思える。

「そうだとしたら全力で応援しなきゃ」

 嫁になる気満々ね、と頬杖をつきながらにやりと笑った彼女の表情で私ははっとした。いつから私は三井くんの未来に自分が寄り添っている想像をするようになったのだろう。ずっと彼の傍にいることをさも当然のように考えてしまっていた。

「クリスマスに就活、春になったら卒論か……」

 彼女の言葉を聞きながら無意識に漏れたため息とほぼ同時に、スーツのポケットがブブブと震える。私はポケットに手を突っ込み、震えている携帯を取り出す。
 三井寿、と画面に表示されたその名前を確認した私は「あ!」と声をあげて慌てて通話ボタンを押した。「ちょっと席外すね」と立ち上がると、目の前にいる彼女は「ハイハイ三井くんね」と言いながらさっさと行きなさい、と手をぱたぱた振ってジェスチャーした。
 人があまりいない静かな方向に向かって早足で歩きながら「もしもし、三井くん?」と電話の向こうにいる彼に声をかける。「昼飯時にわりぃ」という言葉に、大丈夫だよと返す。

「……おうあのな、負けた」

 すこしの沈黙のあとで聞こえてきた報告の言葉は、その意味とは真逆にとても簡潔であっさりとしたものだった。それでも、その声は心なしかいつもより少しだけ暗くて、少しだけ低くてボリュームが小さい。電話越しだからではなく、確かに感じる彼の消沈した様子とその報告に返す言葉が見つからなくて私は沈黙してしまう。
 何か言わなきゃ、声をかけなきゃ、と思って出てきたのは「お疲れさま」という何の変哲もない言葉だけだった。

「……ありがとな。正直めちゃくちゃ悔しいし、めちゃくちゃ自分に腹立ってる。あの場面でああしてたら、こうしてたらとか、考え出すと止まんねえ」

 いつもと違って抑揚のない三井くんの声に、私は「うん」と小さい相槌を打つことしかできない。彼が生活の比重をどれだけバスケに置いているのか、どれだけ真正面から向き合っているのかを私は知っている。その真摯な姿勢を知っているから余計に、頭の中に浮かんできた言葉はどれも陳腐で稚拙で、とても口に出すことなんかできなかった。

「とりあえず報告しねーとって思ってさ」
「ごめんね、言いたいことちゃんとあるのにうまく言葉が出てこなくて」

 疲れているはずなのに、本当は結果を報告するのだってつらいはずなのに。「なんでおまえが謝ってんだよ」と少しだけ笑うような声音の三井くん。

「あーあ、負けるっつーのはやっぱり慣れねえな」

 これ勝ってたらベスト4だったんだぜ、と彼は言う。勝負の世界の事だから勝ち負けがあるのは当たり前のことである。それは、高校の時に見た彼らの試合で知っていたことだった。私なんかには到底想像もつかないぐらい、努力と技術と意地と根性がぶつかり合う世界で彼らはいつだって本気で戦っている。

「帰ってきたら、思いっきり抱きしめるから」
「……は? いやえーと、それはすげーうれしいけどよ。どうした?」
「お疲れさまって気持ち、私が込められるだけたくさん込める」

 だから気を付けて帰ってきてね、と付け足した。

「おう。名前の声きいたら少し落ち着いた、ありがとな」

 三井くんの声は最初より幾分か柔らかく感じる。「じゃあな」と続けた彼に、またあとでと返して通話ボタンを切る。
 私が三井くんにしてあげられることってなんだろう。改めて考えてみても、頑張る彼のために私ができることなんて、応援をすることしかないのだと気づく。だって、同じ場所に立って背中を叩けるわけではないのだから。
 三井くんが電話をかけてきた理由も、自分と同じく全力を尽くしたチームメイトにはぶつけられない悔しさと自分の無力さを吐き出したかったからだろう。強がりで意地っ張りな三井くんが弱音を吐ける存在になれていることがうれしい。
 携帯をポケットにしまいながら考える。全力で戦い抜いて疲弊して、きっとおなかを空かせて帰ってくるであろう彼のために、元気が出そうな料理を作って待っていよう。自分の中でもやもやしている就活やらなんやらも、まとめて料理で発散させてしまおう。
 三井くんが帰ってきたら、きっとまたぎゅっと寄っているであろう彼の眉間の皺を伸ばすところから始めなくちゃ。私は友人の座る席に戻るべく踵を返した。


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