畳の上に倒れ込むように腰を下ろしたのも、溜め息のような気の抜けた声を発したのも、二人ほぼ同時だった。
新八さんに至っては腰を下ろしてそのまま本当に畳に寝そべってしまった。

足腰が悲鳴を上げている私も本当ならそうしたいところだったが、まずは喉の渇きをどうにかせねばと重い体に鞭を打って台所に向かう。

そうして熱いお茶が入った湯呑を卓袱台に載せれば、その音に反応して顔を上げた新八さんが起き上がって胡坐をかく。

疲れたと言いながらも決して億劫そうではない彼の動作に、さすがに鍛えている人は体力も違うのだろうなと思わず感心してしまう。


「お、悪いな」

「こちらこそ、せっかくのお休みなのにごめんなさいね。でも本当に助かった、ありがとう」


気にするなとばかりに笑顔を見せた新八さんに少し癒されつつ、手にした湯呑にふぅと息を吹き掛ける。

今日は亥の月亥の日、つまり亥の子で、その為の亥の子餅を買い求めるお客さんがひっきりなしに店を訪れていて。

勿論前もって注文して下さってるお客さんも多く、だから今朝はいつもよりもずっと早起きして仕込みは万全だったのだけれど、当日に飛び込みで買いにくるお客さんの数も少なくなく、更にはそれとは別に普段通りのお客さんも当然居るわけで、それはもう店の中を駆け回るほどに忙しかった。

そして午前中、比較的早い時間に店にやってきた新八さんはそんな私と店の様子に目を丸くし、けれど今日は非番だからと言って店の手伝いを買って出てくれたのだ。
とは言っても接客を彼に任せるわけにはいかず、だから主に店の奥で持ち帰り用の餅を包んで貰ったりしていたのだが、その包みが若干いびつであった事を差し引いても、かなり助けられた事に変わりはない。

注文用の餅が全て引き取られ、当日用の餅も在庫切れになったところで、通常の店仕舞いよりは相当に早い時間だったけれどお客さんが途切れた頃合いには暖簾を下ろしてしまった。

年に数度あるか無いかのこんな忙しさはご免だけど、二人で片付けをするその時間は少しだけ楽しかったと、交わした些細な会話を思い出しては小さく笑いが零れた。


「団子買ってくるっつって出てきただけなのに、あいつら怒ってんだろーな」

「えっ、そうだったの?どうしよう……少しなら残ってるけど」

「あーいいって、気にすんな。とっくに諦めてるだろ」


それよか腹減った、そう言って再び大の字になる新八さんの言葉に、思い出したように私の胃袋も小さな不満の音を立てる。

今日は一日中休憩を取る暇もなく、だから二人とも胃袋は空っぽだ。

まだ日暮れ前と夕餉には少し早い時間だったけれど、朝のうちに下拵えしておいた材料に手を加え、新八さんはそれだけでは足りないだろうからと簡単なお酒のあても用意して、お酒はそろそろ寒くなってきたので少し温めの燗にして。

それらを卓袱台に並べて二人で手を合わせれば、そのほとんどがあっという間に新八さんの胃袋に消えていってしまう。

普段あまりお酒を口にしない私も今日は彼と一緒に徳利を傾け、けれど片付けに台所に立つとほんの少しだけ足元がふらついたので、今日はもうやめておいた方が良さそうだと判断した。

片付けを済ませ、自分にはお茶を、新八さんには徳利を一本お盆に載せて居間に戻ってみると、先刻までの光景とどこか違和感を覚える。

腰を下ろしてみて、新八さんが座っている位置が少し後退しているのだと気が付いた。


「……新八さん?」


彼は背後にある壁に後頭部ごと背を預けていて、畳に両手を着いてゆっくりと彼に近付いてみれば、その両目はしっかりと閉じられ胸は規則正しく上下している。

それはそうだろう、ただでさえ日々の隊務で忙しいだろうに、休日にまで彼を働かせてしまったのだ、疲れていないわけがない。
それなのに快く店を手伝ってくれた彼に心の中で手を合わせ、新選組の門限まではまだ間があるので少し寝かせてあげようと何か掛けるものを取りに立ち上がろうとして、けれどそれよりも先に床のある一点に視線が捕らえられてしまった。

畳の上に無造作に投げ出された、彼の右手に。

力が抜けて少しだけ折り曲げられた指、短く切り揃えられた爪、普段刀を握るその手は女の私とでは大きさも形も全然違っていて。

それを何気なく見つめているうちに、そういえば、と彼とまだこういう関係になる以前、彼が店にやってくるようになった頃の事を不意に思い出す。

店先に腰を下ろしてもどこかそわそわと落ち着きがなく、時折背中に妙に視線を感じて振り向いてみれば、一瞬目と目が合った後についと顔を背けて団子を頬張っていたり。
新選組の人だと聞いていたから怖い人なのかと思っていたけれど、帰り際には必ず美味かったと言って子供のように屈託のない笑顔を見せてくれて。

そんな彼がどうにも気になっていたある日、いつものように団子とお茶を彼の傍らに置いたその手を突然握られたのだ。

顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながらも真っ直ぐに気持ちを伝えてくる彼の言葉に、気付けば私は首を縦に振っていた。

あの時の彼の手の温かさと力強さを思い出し、触れたいと思うよりも先に手が伸びていた。

目の前にある手の甲に薄らと浮き出た血管を人差し指でなぞり、それから指先まで辿ってみると、彼の指の付け根と第二関節の間で、僅かに肌の色が違っている事に気が付く。

彼は普段手甲のようなものを身に着けているから、きっと指先だけ日に焼けてしまっているんだろうという事に考えが及ぶと、可笑しくて思わず噴き出してしまった。


「ん……」


その小さな笑声に反応したのか彼が低く呻いて、起こしてしまったかと慌てて視線を上げたが、幸いにもその息遣いはまた静かなものに戻っていきほっと胸を撫で下ろす。

暫くそのまま寝顔を見つめていると、その呑気にも薄く開けられた口元に私は掛け布団を出す事も忘れ、むくむくと悪戯心が沸き上がってくるのを感じていた。

思えばこの瞬間だったのかもしれない、私の思考の回路が切り替わったのは。




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