独りが占める愛


ふぅ、と息をついてベンチに顔を伏せた登板を終えて交代後。試合展開を歓声やチームメイトの声でなんとなく察しながらぼうっとする頭の中を1度クリアにするために目を閉じた。
あー…疲れた…。暑さもあるけど何よりやっぱこっちでの移動が長くてモチベーションを切らせない集中力が体力をも奪う感覚。4年目になるけどルーキーのニックは顔に疲れが出てるって分かるぐらいの余裕はまだあるかな。

目を開けて一瞥を投げた先、俺の横に座るニックはボケッと宙を仰いでゆらりと身体を揺らしてる。…ま、昨日はナイトゲームからそのまま移動でこっちでホームのデイゲーム。時差もあるから分かんねェでもないけど。


「ちょっと。大丈夫なわけ?」
「え……あ!はい!大丈夫です!」
「ふうん」
「痛っ…!」
「目、覚めた?」
「!」


手の甲をギュッと強く抓ると一瞬、なにすんだ、と珍しく敵意剥き出しの顔を見せる普段は押しに弱く温厚なコイツ。へぇ、ちゃんと闘争心があるみてェで安心した。いきなり手を抓られて怒り俺を一瞬でも睨むぐらいには気の強さあるじゃん。

膝に頬杖ついてニッと笑う俺の後ろから、クールダウンはしたのか?と捕手のジェフが淡々と言ってきやがって、今から!!自分の身体のメンテナンスを怠るようなバカじゃねェし!!

ガァッ!と怒る俺に、ならいい、とフィッと背を向けたジェフに、可愛くねェ!!と喚く俺の横でニックが立ち上がったのが気配で分かってまた顔を向ける。


「おかげで目が覚めました」
「!…そ?じゃ、一発よろしく!」


アンディーを欠いたチームの中で同じポジションにつくニックが気負っているのはなんとなく見てて分かった。ロースターに入ってるとは言ってもまだまだ経験不足なルーキー。アンディーと同じパフォーマンスや活躍は周りだって過度な期待はしちゃいないだろうけど、期待よりも落胆の方が目につくみてェでファンとの関わりを極力避けているような様にそれが見て取れたってわけ。呼び掛けられても遠くで手を振るだけとか、サインを頼まれても釈然としない顔で書いていたりとか。陽菜が広報現役中にそんな姿を見てたらめちゃくちゃ怒りそう!ファンを大事に!ってグーパンぐらいはするね、陽菜なら。と、思うと込み上げた笑いにくつくつと喉が鳴つて不思議そうな顔で俺を見る控え捕手に、クールダウン付き合って!と呼び掛けた。
試合後は特にすぐに陽菜に会いたくなるのは、大きく感情が揺らぐその隙間に陽菜が在るとすげェ落ち着くから。俺と陽菜はもう同じ視点で野球を見てられない。俺の隣に立ち選手のサポートをして真っ直ぐ俺と同じ方向を見ていた陽菜は今、俺のすぐ後ろで背中に手を当ててくれるような存在。それは陽菜しか出来ないことだし、俺もそれを望んだわけだから不満はねェけどやっぱ長く一緒に組んでこっちでやってきたからちょっとの心の隙間が出来た瞬間に琴線を弾いたり、逆鱗に触れたりを許してきたのは陽菜だけだからやっぱこうして試合が終わり、張り詰めた緊張が緩んだその瞬間に強く会いたいと思う。


「今日の飯、なっにかなー?」
「ん?陽菜、今日観に来てねェのか?」


シャワーを浴びた後、ロッカールームで帰り支度する俺の鼻歌交じりの声に反応したのはダンで、んー…とにんまり笑う俺に怪訝そうな顔をしながらTシャツを頭に被りプハッ!と顔を出してからまた口を開く。


「ヘレナも来てるから陽菜が来てるなら飯でも一緒に誘おうと思ったのによ」
「残念でしたー!ていうか奥さんとはしばらく会わせねェから!」
「なんだよー?まだヘレナが陽菜の胸揉みしだいたこと根に持ってんのかー?」
「揉み…!?え!?」
「「………」」
「鳥肌立つからガキみたいな反応止めてくれる?」


あたふたと慌てて真っ赤になってあわあわと言葉を探す慌てっぷりを見せる俺の隣のロッカーのニック。ぞわっ、と鳥肌が立った不快感を眉根寄せて向ける俺の肩に、なんだなんだ?と寄りかかるロイが重くて鬱陶しいから腕を振って払う。重てェし投手の肩!!


「ニック、澄ました顔してんのに立派に興味あんのか?今度アンディーと飲むから連れてってやろうか!?」
「って、ロイたちが言った時はニックの初々しさを餌に女の子たちを釣ろうとしてる時だから気をつけなよ」
「んん!?成宮、お前…陽菜みてーなこと言うようになったな!」
「ような、じゃなくて陽菜が言ってた」
「相変わらずだなぁ…陽菜」
「陽菜さんって厳しいんですね」


前にご飯をご一緒した時も…とダンとロイにその時のことを話して聞かせるニックを横目に口角が上がるのを感じながら着替える。あの時ね。まだチームに馴染まずアンディーとロイの悪ノリコンビに捕まる頻度の高いニックを連れて飯に行った時がもう数ヶ月前か。


「言わないのか?」
「ん?」
「よくジャンに言ってたろ。陽菜は優しいから厳しいって」
「!…お前、聞いてないようで聞いてるな」


ジェフ。感情は読み取りにくいけど、リードはすげェ分かりやすく強気でいやらしく戦略的。ニックと同じルーキーだけど、コイツら正反対。闘志が顔に剥き出しのニック。内に秘めて投手にリードでそれを示させるジェフ。試合に向かう姿勢にしてもそれぞれだから面白い。


「そういえばジャンの姿が見えないな」
「法人の接待だってさ。カイルいわく、そういう場に顔を出して球界で顔を広めるのも広報の仕事らしいけど陽菜はファンに顔を覚えられる方がずっと大切だってよく断ってカイルに投げられてたよ」
「投げられてた?」
「コーヒーとかボールとか」
「……陽菜は大丈夫だったのか?」 
「俺の奥さんナメんな」


深刻な顔をするジェフに、ていうか陽菜"さん"な!、と返しニッと笑いサングラスを掛けて支度完了!ロイに捕まりダンにからかわれるニックの肩を叩き、お疲れー!とその横を通り過ぎる。やっば…口元緩んで疲れてた身体も弾むや。
陽菜は俺の登板が終わった頃に帰って飯作っててくれるって言ってたから多分もう出来てる。玄関のドアを開けるとすげェ良い匂いがして、奥からトタトタと向かってくる足音が近付いてくる。間もなく玄関に続く廊下に顔を出した陽菜が俺を見つけてパァッ!と表情を明るくして言うんだ。


「鳴!」
「!」


……と、やばい。意識が完璧に飛んじゃってた。
タクシーに乗ろうと歩いていた球場外でファンの子に呼び止められて一瞬誰が呼ばれてるかと思った。呼ばれてから1、2歩は進んじゃった足を止めて、ハイハーイ!とサングラスを取りながら何気無しに振り返るとファンの子は、おー!俺のユニフォームを着てタオルまで持ってくれてる。ありがと!と笑い掛ければ嬉しそうに破顔する俺と同じかちょっと上ぐらいの女の子。


「サインいい?」
「もっちろん!えーっと、タオルでいい?」
「ユニフォームじゃ駄目?」
「!……」


あー…そういう。
俺にサインペンを渡してから無邪気な振る舞いから一転、誘うような響きをさせて言う彼女は自分の着るユニフォームの裾を書きやすいようにしたよとばかりに手で引いて目を細める。そこにしろって?冗談。そこ、胸の上じゃん。たまにいる、こういう子。


「んー」
「え、駄目?」
「うん。駄目」
「えぇ…。あ!じゃあハグは?他のファンの子に鳴にハグしてもらったって聞いたんだ」
「それも無理!ごめん。サインならタオルにしてあげるよ」
「えぇー…」


不満そうな声を、ははっ、と笑ってやり過ごし首に掛かるタオルを引いてさっさとサインを済ませようっと。くっそ、ジャンの奴。こういう時に居ねェで何が担当広報だっての!俺を放っぽって手に入れた顔の広さで必要な時に必要以上の仕事をしてもらおうじゃん。

チッ、と舌打ちしたいのを堪えてジャンには飯奢らせようと心中ではたっぷり悪態をついていた時、フッとファンの子が近づく気配。ハッと息を呑み反射的に手を出せば俺に顔を寄せていたその額を押さえてガードに成功。あっぶな…。


「頬にキスも駄目ー?」


駄目に決まってんだろ。
なんで見ず知らずのアンタにそんなこと許さなきゃなんねェわけ?俺だって血の通った人間で、別に身体を売ってるわけじゃねェんだけど。あ、野球をやってる身体で契約して金貰ってるからある意味じゃそうなんの?いやでもさ、アンタがそうやって寄せてくれる雑な好意に嫌悪を抱くぐらいにはちゃんとした人間だって、俺はそう思ってるし拒絶も当然の権利じゃん。
あーぁ、とがっかりしたような声にピリッと神経が奥底で逆撫でされた感覚にスッと自分から表情を作る気力が抜けんのが分かった。タオルにペン先をずっと当てていたから丸く染みる黒い丸を見据えながらサインペンを引く。

あー…陽菜に早く会いたい。


「あの!!そういうのは、えぇっと…!」
「!」


は…?
こっちじゃ陽菜や中嶋さんとじゃないと話さないから、他の声で聞くと耳慣れないような不思議な感覚の日本語の音以上に驚き目を見張る。
あたふたとしながらも意外と頑固なとこ、稲実でバッテリーを組んでた時から変わってねェ。
スマホを片手に唖然とする俺たちを前にディスプレイをタップしてマイペースかよお前。


「英語でなんて言うんだ?あー…不誠実…えっと、」
「…"unfaithful"」
「!おぉー…」
「おー、じゃねェよ。お前、何してんだよ。樹」


暢気に手を叩いて感心してんじゃねェ。
眉を寄せる俺はまだここにいる樹がちぐはぐに絵を貼り合わせたような違和感が拭えず動揺を隠すように中断したサインをタオルにサラサラと書いて固まってるファンの子に、はい、とサインペンを返す。


「あのさ、ごめん。俺、応援してもらえるのは嬉しいけど俺の振る舞いで勘違いしたならハッキリ言っておくよ。ああいうのは陽菜にしかこれから一生しねェから」
「え…"陽菜"?」
「俺の奥さん!」


応援ありがとね!と手を振りファンの子に背を向け、来い、とまだ呆けてる樹に顎をしゃくり指示して歩き出せば、はい!と相変わらず暑苦しいほど忠実についてくる。いや、マジでなんで?


「お前、なんで居んの?」
「え!?鳴さんは知ってるものかと…」
「はあ?」
「陽菜さんに招待してもらいました」 
「は!?」


聞いてないけど!?
そう声を上げた俺をいつも利用するタクシーの運転手が見つけたのかすぐ側に停車し、乗るかい?と窓が開いて声を掛けてきた様子に、おぉー!!と声を上げる樹の脇腹を取り敢えず殴っておいた。


「陽菜ー!!」
「おかえり、鳴」
「ただいま!ちょっと!なんでコイツ居んのさ!?」
「え…あ!樹くん、お疲れ様です」


遠かったでしょ?じゃ、ねェから!!お前も、お邪魔します!って頭下げて俺を会話の中に置き去りにすんなよ!

絶句…!言ってやりてェことが山ほどあるけど玄関のドアを開けた瞬間からする良い匂いに腹は鳴るし奥から駆けて俺を迎えてくれた陽菜がめっちゃくちゃ嬉しそうに笑うしグッと言葉が詰まるほど感情が大渋滞!
うわ…久し振りだ、この感覚。
陽菜が俺に就いてた時はよくあったっけ…。俺のためにやってくれたこと、後で知ったり陽菜と喧嘩したその時にぶつけられた言葉の真意にガツンと頭を殴られたような感覚になるこの感じ。

口を開いては閉じてを繰り返す俺の前で目を丸くした陽菜はふわりと微笑み、おかえり、ともう1度繰り返して、ご飯出来てるよ、と俺の手を引いた。


「あー…もう。怒る気失せた!」
「そう?あ、樹くんもどうぞ」
「ありがとうございます!」
「飯食いながら説明!」 
「ハイハイ。さ、みんなで食べよ!」


俺の手を引く陽菜にくたりと力の抜けた笑みが溢れた。…なんだよ樹。信じられないもの見るような顔でこっち見んな。
ファンの子に蔑ろにされた俺の気持ちの痛みを陽菜は知らないはずなのに俺の手を握るその力がいつもよりほんの少し強く、何度か確かめるようにギュッと力を込めてを繰り返す。こんな風に俺の些細な心の揺らぎを温かさや優しさで覆ってくれるから、俺はいつまでもそれを独占して独占されたいって思うんだ。



独りが占める愛
「へ?礼?」
「うん。日本で樹くんに助けてもらったから、その時のお礼にチケットと航空券を」
「礼、デカすぎじゃん」
「他に思いつかなかったから」
「陽菜、そういうとこあるよな…。一点しか見えなくなると突っ走る」
「俺も驚きました…」
「だろうね。…で?泊まるとこは?」
「あ、それは今から探、」
「バッカじゃねェの。…うちに泊まれば?部屋ならあるし」
「え!?いいんですか!?」
「もちろん!」
「ていうか陽菜はどうせその気だったんでしょ?」
「ふふふー」
「なにそれ可愛すぎじゃん」

2021/06/02




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