フゥー…と長く息を吐き滴った汗を腕で拭う。無意識に投球フォームにズレが生じていた今季。調子を崩すとまではいかなくてもトレーナーに指摘されたそれをオフの間に修正するのが最大の課題。メジャー2年目、勝利数は契約継続に及第点を貰ったものの地元紙やニュースを見る限りもう一伸びを期待してる雰囲気。
想像以上に厳しい世界。ここでは結果が全てで、日本でどう人気でどう活躍してきたかなんて関係ない。…いいじゃん、そうこなくっちゃ自分の全部を賭けるのに足りないよ。もっと期待してもらっちゃっても構わない。その期待値を上げるのもさえも俺次第。


「鳴ー!」
「ハイハーイ!応援よろしくー!」


オフシーズンに入り地元に帰ってきた球団の自主トレーニングを応援するために球場やトレーニングルーム前にファンが駆けつけてくれるの、日本とあんまり変わんない。
予定していたトレーニングを終えて帰ろうとする俺を球場の出入り口で待ってるファンにサインや握手を求められれば快く応じるのもプロの仕事の内。面倒だって言う選手もいるけど、俺は幸いこういうのが向いてる方。


「鳴、結婚するって本当!?」
「どうかなー?彼女次第!」
「えぇー。鳴を待たせてるんだ?」
「俺ってば優しいから女の子の気持ちをちゃんと優先したいんだよねー」
「優しいー!でもさー、気を付けた方がいいよー」
「んー?」


なにが?と心の中で低く唸る声を出したいのをグッと我慢してにこやかにサインに応じながら返す俺の前によく見るファンの子。多分大学生かな、それぐらいの女の子。ププッ、とつい笑っちゃうけどね、口元が。だってこの子、会ったばかりの頃の陽菜よりも大人っぽい。

小さな男の子のママが、この子もピッチャー目指してるの!、って言うから、いつか投げ合おうな!、と被ってるキャンプにサインしながら対応してんの見えない?俺はもっとこの男の子と話したいんだけど。

スッ、と横目で投げたはずの冷たい一瞥にも気付かねェし。応援してくれんのはありがたいけどさ。


「彼女って、いつも一緒にいる広報の人でしょ?」
「へへっ、トップシークレット!」
「絶対に鳴を利用してるって!」
「………」
「やめた方がいいよ。出世したくて鳴を利用してるに決まってる。注目浴びたいんだよ」
「……よし、頑張れよ!あ、そーだ!特別に見せてやるよ」
「鳴?鳴ってば!!」
「あのさー!!」
「!」


男の子が嬉しそうに笑うその横で、汚い言葉垂れ流すのはどうなの?

他のファンから求められたサイン用に渡されたボールをきつく握り女の子に向き合い声を大きく上げる俺にその場がざわついて注目が集まり静かになる。他のチームメイトもその場にはいて、どうやら聞いてたらしい。やめとけ、と肩を叩かれたけど今更でしょ?

びっくりした顔で目を見開く女の子に、まぁそうだよな、と目を細めた一瞥を投げてグラウンドに足を向ける。鳴?とこの期に及んでまだ言う?こんなに冷たい目を向けたの初めてなのに?


「見てなよ、未来のライバル!」


球場の端っこから振りかぶり男の子にニッと笑う俺に周りが息を呑んだ。あ、てめ…!そこで笑ってんのアンディーだろ!?視界の端っこだけどちゃんと見えてんだからな!あとで見てろよ!

ビュッと投げたボールが空気を切り裂くように音を立てて真っ直ぐ飛んでいく。
最後まで見届ける前に男の子に向き合いグッと左手の拳を向けたと同時に、ガシャンッと遠くで俺の投げたボールがバックネットのフェンスに当たった音が聞こえた。おぉー!!と周りの驚きや感嘆の声に混じって男の子が目を輝かせピョンッと跳ねてから俺と小さな拳をコツンと合わせる。良い目してるよ、お前。頑張れよ。


「ごめん、投げちゃった!」


ボールの代わり、とボールを渡してくれたファンに握手をして許してもらってから青い顔をしてる後ろの女の子に向き合う。あ、ちゃんと伝わった?なら良かったよ。俺がこんなに怒ってるってさ。


「あの子はそんな子じゃないから、応援してくれると嬉しいよ」


よろしく、と少し屈みまだ呆然としてる女の子と目を合わせて真っ直ぐ訴える。
陽菜がそんな風に見えんのかよ。そんなわけないじゃん。陽菜がそうしたいならとっくに俺に尻尾を振ってただろうし、なんなら初対面の時に俺を見て溜息ついたあの瞬間見せたいぐらいだっての。このチームには他にも有名選手はいる。散らそうと思えばいつでも処女散ってたでしょ。
あの子は俺の。俺だけの愛おしい子なんだってば。

女の子は真っ青な顔のまんまコクコクと頷いて盛り上がるファンの中に消えていった。ちょーっと可哀想なことしたかな。
何千何万と呼ばれたか分からない自分の名前を陽菜を馬鹿にしたあの女の子に呼ばれんのが嫌で堪らなかったからって大人気なかったか…。ま、謝る気はねェけど!


「で?あのボールは誰が拾うんだ?成宮」
「え?誰かが…げっ!カイル!!」
「俺はやめとけって言ったからなー」
「はあ!?カイルが来てるなんて言ってないじゃん!!」
「いいから早く行け」
「なんで俺が……誰かが…」
「………」
「あー!!もう分かったよ!!行けばいいんでしょ、行けば!!」


くっそアンディー腹抱えて笑いやがって!!
広報のボス、つまり陽菜の上司のカイルは稲城実業で監督をやってた国友監督にすっげー似てる!どこで使うのさ!?と聞きたくなるぐらい筋肉質で強面、寡黙、俺の苦手なタイプ!

今度は足の速さで魅せろよー!と笑うチームメイトと、頑張れー!と応援してくれるファンを背に、くっそー!!とボールを走り取りに行く俺が、


「で?」


と、また同じ言葉で追及されるのは連れて来られた広報のオフィス内の一室、カイルの部屋。
で?ってなにさ。クルクルと拾ったボールを手で遊ばせる俺をジッと見据える視線の鋭さに居心地が悪い。


「陽菜に聞かなかったのか」
「はあ?陽菜に?」


なにを?と眉を寄せる俺。


「陽菜なら俺の家で謹慎中だけど。カイル、知ってるよね」
「それがどうした」
「どうしたって、こっちが聞きたいよ。なんで怒ってんの?」
「よくもあんなことをしといて」


はぁ、と溜息をついたカイルが自分の椅子から立ち上がり応接用のソファーに座る俺の前に座る。


「あんなことって、空港でのこと?」
「そうだ」
「プロポーズしただけじゃん」
「お前はメジャーリーガーだという自覚があるのか?」
「はあ?」
「そして陽菜はこの業界でスキャンダルの許されない職にあるという認識は?」
「!」
「ないか」
「ど、どういうこと?」
「少し考えれば分かることだ。さっきのお前のファン然り、選手につく広報が女というだけで陽菜はそういう目で見られる」
「そんなの…気にしなきゃいいじゃん」
「成宮は何もわかってないな」
「だから!!何が!?ハッキリ言えば!?」
「陽菜が広報として働けるかどうかの瀬戸際ということだ」
「!……なんで?あんなに一生懸命仕事してんじゃん」


意味分かんない、と続ける俺の声が掠れるのを聞きながらまた溜息をつくカイルに、ちょっと待ってよ、と眉を顰める。ガンガンと頭が痛い。ギュッとボールを握り締めるとギュムと鈍い音がした。


「カイル、昨日の夜陽菜と電話してたよね」
「やはり一緒に居たのか」
「その時に陽菜に何言ったんだよ?」


俺は何も言われてない。けど確かにあの時、陽菜はカイルと電話をしていて俺に何かを言付けられてたみたいだった。あの後色々あって聞くのを忘れてしまったけど、カイルの話しぶりだと重要なことのはずだ。
朝、俺から、ずっと広報として働くの?と聞かれた陽菜の顔が上手く思い出せない。どんな。どんな顔して陽菜は言ってたっけ?今はただ俺と一緒に過ごしたいと。そして俺はそんな陽菜に大雑把だと言った時、陽菜は…。

カイルは少しだけ俺を細めた目で見据えてから眉根を寄せて口を開いた。


「成宮のスポンサーが減る前に別れろと言った」
「!……は?何言ってんの?」
「成宮に伝えろと、」


ガタンッと俺とカイルの間にある高そうなテーブルが大きな音を立てた。
俺がテーブルに足を乗せ、反対側にいるカイルの胸ぐらを掴んだから。手にしていたボールはカイルのデスクの下へとコロコロと転がっていったのが視界の端に見えた。


「そう俺が言った」
「なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんないんだよ、陽菜が!俺に直接言えばいいだろ!!」
「それを本気で言ってるとしたら成宮、お前は少しも陽菜の仕事を理解していない」


怒りで興奮してる俺と胸ぐらを掴まれても冷静なカイル。グッと腕に力を入れてもまったく動じず、噛み締めた奥歯がギリギリと鳴る。


「陽菜の仕事は成宮、お前をこの球団で何不自由なく生活できるように努め守ることだ。お前は知らないかもしれないが女と付き合い別れるたびにマスコミにすっぱ抜かれないように火消しに走ってたのは陽菜だ。そうしてずっとお前を守っていた。お前につくスポンサーは潔癖なイメージを大事にするスポーツメーカーが多い。日本でどう振る舞ってきたか知らないがここはアメリカだ。今までは通用しない」


私の仕事は成宮くんを守ることだから。
陽菜がそう言った言葉が頭の奥でガンガン響く。
女の子と別れるたびに陽菜は苦笑いして、気をつけて、とだけ言ってた。裏で陽菜がそんな風に動いてくれていたとも知らず来るもの拒まずの俺をジッと見て俺の瞳が綺麗だとふわりと笑う陽菜が。


「……分かったら別れろ。スポンサーやマスコミに頭を下げてきた陽菜がああして取り上げられたからにはもう仕事を続けられない。信用に関わる。お前が一言、ドッキリでしたとでも言えば収まる話だ」
「………」


胸ぐらから俺の腕を掴み下げさせるカイルはなるほど、良い上司だよ。この場でも冷静で、部下である陽菜のことをちゃんと考えてる。その点俺ときたら、その大事な部下を奪っちゃう馬鹿な男なんだからさ選手を守るのが広報の仕事とは言っても俺の左手を掴む手に力が入るのもしょうがないよね。
けど、俺だって引くわけにはいくか。


「やだよ」
「!」
「陽菜がこの仕事続けられないなら、俺がそのまま貰う」
「成宮…!」
「結婚して、大事にする。何年も掛けて、陽菜を誰よりも幸せにする姿を見せたら誰も文句言えないよね?」


ここはそういう場所でしょ?
言葉で語るよりも、行動にファンがついてくる。ファンのついた選手にスポンサーがつく、単純で残酷なシステム。

ソファーに改めて座り直し、フゥー…と長く息を吐く。まるでマウンドで打者と向き合ってるような緊張感だ。
しばらくそうしてカイルと向き合う俺の前でカイルが大きく溜息をついて項垂れた。あ、白髪。


「勝手にしろ。こっちも元よりお前が素直に聞くとは思っちゃいない。それは陽菜にしても同じだ」
「じゃあなんで言ったわけ!?」
「言うのも俺の仕事だ」
「なにそれすっげームカつく!!」


ドクドクと心臓が嫌な鼓動を立てっぱなしだし、もしかしたら陽菜と別れなきゃならないかとか一瞬でも頭を過ぎったんだけど!

フッと珍しく笑うカイルはソファーから立ち上がり自分のデスクの下に転がったボールを手に取り、ポーン、と宙へ投げて見せた。
何が、言うのも仕事、だよ。まだ強く掴まれた左手ちょっと痛むよ。そういう意味じゃ陽菜を心配する気持ちは本物だって、ちゃんと伝わった。
ありがとね、と言えば、お前のためじゃない、だって。本当、分かりづらい。ベッと舌を出せばボールを投げつけられて、怖っ!!


「ちなみに成宮、お前の自慢の専属広報が新たにスポンサーにと掛け合った先を知ってるか?」
「へ?」
「花屋だ。薔薇の花束を抱えるお前が商品イメージにぴったりだそうだぞ。明日、CM撮影だ」
「は!?俺、オフの申請してたよね!?」
「文句なら優秀な広報に言うんだな」
「っていうかいつそんな……ハッ!」


もしかしてあの時?俺と喧嘩して店を探し回ったあとに電話を掛けたあの時に陽菜が電話してた相手がそれ?

ビュンッとあの時の光景が頭に過ぎって絶句する俺にカイルが、さすが俺の部下だ、なんて言うから、さすがは俺の彼女だよ、と苦笑いしながら返した。



前途は多難で多幸
「陽菜!!」
「あ、おかえりなさい!」
「た、ただいま!」
「トレーニングどうだった?何か問題なかった?鳴とこんなに離れるのなかなかないから心配で…」
「だ、大丈夫だし!なに、そんなに寂しかった?駆け寄ってきてくれるほど?」
「うん」
「へ!?そ、そう!?えっと、じゃあ…」
「早く聞きたくって」
「………え"」
「ファンの子と揉めたって本当?」
「なんで知って…!」
「カイル」
「アイツ、マジムカつく!!」


続く→
2020/09/03

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