トレーニングウェアに着替えストレッチをしながらスマホでスケジュールの確認。げっ…陽菜、しばらくオフないじゃん。カレンダーのマスが許す限りいっぱいに予定が入る日もあって、陽菜の使っている青いラインの入る日を数えるのも途中でやめた。基本オフに入ってる俺とは違って内部はこれからが本番。
新しい戦力の確保やリリースしなければならない選手との話し合い。キャンプの日程に取材の日程組み立てなんちゃら…を陽菜が朝家を出る前に念仏のように唱えてて、やっぱ早く2人で暮らそうって決意した。
陽菜が広報という職じゃなく、内部でなんらかの仕事に就けるようにと検討するってカイルは言ったけど無用だけどね俺からしたら。陽菜はさ、確かに選手のサポートをさせたらそんじゃそこらの男には負けない敏腕な子だ。けど!それとこれと、陽菜が無理をすんのとは別問題。早く同じ家に帰って、早く同じ朝を……あれ?これ、前にどっかで誰かが言ってたような…?


「おー!成宮!」
「あぁ、ロイだ。思い出した。彼女とは上手くやってんの?」
「はあ?とっくに別れたっつーの!」
「え?そうなんだっけ?ドンマイ!」
「くっそ!幸せ俺にも分けろ!」
「うわ!!」


ガッと乱暴に肩を腕を回し、この野郎!と俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でるロイが入ってきて思い出した。前に言ってたことあるよな、ロイ。彼女…あ、今は元カノか。その子に自分のところに帰ってきてほしいから一緒に暮らしたいとせがまれてるって話し。


「苦しいってば!!で?結局なんで別れたのさ?」
「一緒に暮らしはしたんだけどな」
「あぁ、暮らしたんだ」
「暮らしてみたら違った、だと!」
「ブハッ!かわいそー!」
「なんだとコラッ!!」
「いたたた!!」
「禿げろ!!お前なんか禿げて陽菜に幻滅されろ!!」


グリグリと頭を乱暴に撫で混ぜられて、やーめーろー!と抵抗する俺と呪いのように、禿げろー!と繰り返すロイとの攻防は俺のトレーナーである中嶋さんが入ってきてやっと集結。あーもう髪の毛グシャグシャじゃん!!
べー!と舌を出してシッシッと追い払ったロイは今日はウエイトだと器具がある部屋へと入っていった。


「ははっ、幸せ者に洗礼か」
「笑い事じゃないって、中嶋さん。本当に禿げたらどうすんのさ!」
「陽菜なら大丈夫だ。鳴が禿げても愛想尽かしたりしないさ」
「フォローになってない!」


トレーナーである中嶋さんは俺がこっちに移籍してからずっと就いてくれている日本人のトレーナーだ。MLBの中でも様々な形で球団に所属する日本人がいることは日本にいた頃から知っていたものの、実際世話になると本当に助かる。陽菜しかり中嶋さんしかり、同じ日本人で同じ価値観や生活習慣を理解されるってことはメンタル的にすっごい意味がある。
投球フォームの崩れに最初に気付いてくれたのもこの人。
通訳や生活環境については陽菜が、身体のことや野球感についてはこの40代半ばで短髪に白髪が混じる中嶋さんにずっと任せてる。それだから陽菜と中嶋さんは連絡を取り合っているのもあって面識が深い。

ハイハイと軽く俺をあしらう中嶋さん、さすがはやんちゃ盛りで生意気な男の子2人のお父さんだよ。前にホームパーティーに招かれた時に遊び倒してすっげー疲れたっけ。また遊びに行こ。生意気だけど、可愛いんだよね。


「さて、これからの話だが」
「んー?」


足を開き身体を倒す俺の背中を押す中嶋さんからの声に耳を傾けながら頭の中でカウントをする。


「メディカルチェックを受けてもらう」
「あぁ、1年に1回登録選手に求められてるやつ?」


昨年も受けたね、と続けながら身体を起こし今度は右足側に身体を倒す俺に、あぁ、と中嶋さんが俺の前に座り同じようにストレッチを始める。うっわ、柔らかいな!休日は趣味のボルダリングに家族で行くって言ってたっけ。そういうの、いいよな。俺もいつか陽菜と野球以外で楽しい時間を持てたらいいかも。


「契約は契約には違いないが、それを元に見直すケースも少なくないからな」
「まぁ、選手側からしたら有り難い話だよ。自分の身体のことって意外と自分が分かってないしね」
「鳴らしからぬな」
「なにそれ」


顎に手をあてて感心したように、ほう、と中嶋さんが言ったりするから思わず、ははっ!と笑い肩を竦める。確かに。入団する前の俺だったら、俺のことは俺が1番分かってる!とかって豪語しただろうけど。
腕を上げて頭の後ろを通しストレッチを続ける俺は口角を上げて笑い、陽菜がさ、と目を伏せる。


「俺が気付くよりも早く俺の色んなことに気付くから、そんな大口叩けなくなった」
「鳴が苛々をぶつける先はいつも陽菜だったからなぁ」
「…中嶋さんもよく見てるよね」
「その分陽菜はなかなか大変そうだったぞ。鳴が真正面からぶつけるからありゃ堪ったもんじゃなかっただろうよ」
「もしかしてなんか相談されてた、とか?」
「ま、仕事だしな。鳴の外面の良さも、陽菜が鳴のことにいつも気を配ってるのもな。まぁ陽菜は今は仕事ってだけじゃないだろうが」
「俺のことって?」
「さて。それは近々カイルから話しがあるだろ」
「はあ?」


カイルから?そう言われると心当たりは次の俺担当の広報ってことなんだろうけど、陽菜もいるし専属はもう必要ないと陽菜と結婚することを報告に行った時に希望を伝えた。
眉を顰めて思案しても答えが出ない俺に、やるか、と立ち上がる中嶋さん。釈然としないながらもトレーニングを開始した。このトレーニングが終わったらメディカルチェックに行くぞ、という中嶋さんが取り出したタブレットで俺の球と球が打たれる率を研究し3年目のさらなる進化へと向かう。
オフとはいえ、もうこっから戦いが始まってる。新しい挑戦者も入ってくるだろうし、負けてらんないしね。


「で?話しってなに?」


俺ってばトレーニングで疲れてんだけど!
中嶋さんとのトレーニングと時間のかかるメディカルチェックを終えてスマホの通知に気付いた俺が足を運んだ先はオフィスで、目の前にはにこりともしないし世間話だってしないカイル。ソファーにふんぞり返ってやれば目を細められたけど、あー!疲れた!なんて叫べばカイルから缶コーヒーを渡され…って投げられた!!あっぶな…陽菜がああなら上司もこう!ていうか確実に陽菜に悪影響与えてんじゃん!まぁ、飲むけど。…んー、陽菜が淹れてくれるコーヒーの方が美味い。


「陽菜の後任についてを、」
「いらない!」
「…と、言うと思ったから手を打った」
「手?」
「成宮を1人にすると何をやらかすか気が気じゃないという本人からの強い希望もあった」
「失礼な人だな」
「だ、そうだぞ」


入れ、とカイルも俺とテーブルを挟んでソファーに座りながら声を掛ける先でドアが開く。
別に誰でもいいけどさ。
あ、窓の方に目をやればもうガラスに雨垂れは見られない。雨、止んだし終わったら陽菜に連絡してどっかで待ち合わせして飯食いに行こっかな。さて、善は急げ。


「失礼とは随分なご挨拶」


スマホに目を落し、陽菜にメッセージを送った同タイミングで通知音と声が重なって聞こえて目を何回か瞬いてから顔を上げた。


「え、は?陽菜?」
「専属の広報をつけないってごねるならマネージャーをつけてもらう」
「はあ!?ちょ、どういうこと!?」
「というわけで、よろしくお願いします。成宮選手」
「っ……はあぁっ、もう…」


ってことは、なに?中嶋さんももう知ってたってことじゃん。陽菜がカイルに呼ばれてたのもこのこと?苦笑いする俺に手を後ろに組んでニッと得意げに笑う陽菜を前に立ち上がり手を出す。
目を丸くした陽菜が俺の手を見て、俺を見つめる。初対面の時、俺の手を取らなかった陽菜もそれを思い出したらしく懐かしげに目を細めて差し出した俺の手を握った。


「よろしく、陽菜」
「邪魔だけはいないようにするね」
「うっわ、嫌なこと覚えてるなー」
「あの瞬間に絶対に私無しじゃいられなくしてやるって思ったからね」
「じゃあまんまと陽菜の思惑通りになったじゃん、俺」
「今は逆だけどね」
「!」


そう言う陽菜がカイルを見て、カイルは重たい溜息をついてソファーから立ち上がりデスクについた。


「そういうことだ」
「は?どういう…」
「陽菜は欲張りでな、まったく呆れる。成宮に関しちゃ広報も通訳もマネージャーも、自分でさえも譲らないとごねた」
「そんなにごねてない…」
「どの口が言う。メール、電話、挙げ句ここに押し掛けて成宮の側を譲らないと延々と聞かされた俺に他に言うことは?」
「ご理解のある上司が持てて私は大変幸せです」
「馬鹿野郎」
「自分でさえ、って?」


陽菜がソファーに座り鞄から書類を取り出すのを見ながら俺も座る。なるほどね。ここのとこ忙しそうにしてたのは俺のマネージャーになるためってわけ?してやられた、という悔しさと俺の側を離れないという陽菜の固い決意に顔が喜んだらいいんだか顰めたらいいんだかの複雑な感じになってる、多分。

取り出した書類を俺に渡す陽菜は、一応目を通してね、と今度はペンをテーブルに置く。
まぁ契約だ。こういうのはちゃんとしないとね。


「陽菜が成宮の広報に就けないなら新しく入団する選手に就いてもら…」
「そんなん俺が許すわけねーし!!」
「と、言うだろうと陽菜が言い募った」
「へへっ!さっすがは俺のお嫁さん!!」
「ほざけ色ボケ」
「そこまで言う!?」
「とにかく成宮の側は今まで通り陽菜に任せる。広報関係に関しては俺が担当するが」
「了解。カイルと陽菜か決めたなら任せるよ」


あぁ本当だ。書類には陽菜の業務内容について広報業務は携わらないってある。けど、今までも広報であってマネージャーのようにこなしてくれてたわけだし、1つ陽菜の荷が降りたと思えばいいのか。
サインのためにペンを手に取りカイルを見ればにやりと笑われて、あぁなるほどね、とハッと笑いが零れる。ああだこうだと不満を零すけど結局は陽菜の負担を減らすように計らったんじゃん。素直じゃない上司だよ、カイルは。


「ん、よし。はい」
「お疲れ様。……はい。間違いありません」
「マネージャーに就くのは来季から?」
「うん。今季は一通り鳴のスケジュールを確認してるのは私だから広報として最後まで勤めるよ。そうは言っても今までとそう大きく変わらないけどね」


嬉しそうに笑う陽菜が書類を確認しながら鞄の中を整理する姿を膝に頬杖ついて見つめる。俺は陽菜が嬉しければいい。けど、こうなってみて前にカイルが俺をここに呼び出し別れろとまで言った真意が今なら分かる。
広報として陽菜が働くことができなくても俺の隣で俺が幸せにしてあげればそれでいいと思ってたわけだけど、そうじゃない。俺が幸せにするんじゃなくて、2人で幸せになる方法をちゃんと考えるべきだったんだ。俺の側にいること以前に陽菜がこの仕事が好きだって気持ちを尊重してあげて、そうなって初めて陽菜が俺と幸せになるスタートラインに立てるってこと…今ようやく分かった気がする。

俺も陽菜も、またここからなんだ。


「改めてよろしく。マネージャー」
「!はい、成宮選手」



RE START
「さー!終わり終わり!陽菜、飯食いに…」
「残念だったな成宮。陽菜はこれから取引先と会食だ」
「はあ!?聞いてない!!」
「さっき決まったばかりで。ごめんね、鳴。先に帰ってて」
「…迎えに行く。終わったら即連絡!!」
「ハイハイ」

→第3部へ続く
2020/10/09

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