低酸素の気息


触れるのを躊躇ってしまうほどの緊張と気迫が鳴を取り巻いて、彼をその日へと縛り付けるのが分かる。近くにいると空気が薄いとさえ感じるけどそれでも、鳴、と呼ぶのを私は止めたりしない。


「成宮さんって冷たくないですか?」
「んー?」


オフを日本で過しこっちに戻り1ヶ月。結婚したと言っても私と鳴はなんら変わることはなく、自主トレ明けの選手はそれぞれの課題を手にキャンプを開始。それと共に私は鳴の専属マネージャーとして今季をスタート。広報とは違い、業務内容は多岐にわたり各部との連携なども大切な仕事。今も広報部にグッズの確認にオフィスに来たところ。開幕当日に発売されるものは数に限りがありファンからも期待が高く重要なものだから、鳴を応援してくれる大切な気持ちに応えられるようにしなくちゃと手に取り1つ1つ確認しながら気が引き締まる想い。
広報だった頃は営業や開発に文句つけられてイライラしたっけ…。恥ずかしい。形は違えど、選手を輝かせようとする気持ちは同じだった。

はぁ、と溜息をついて気を取り直してサンプルチェック。タオルと…キーホルダーと、ステッカー…って、もう。
隣でジッとこっちを見てくる視線にはたと手を止めてじとりと冷たい目線を向ける。


「ちょっと…ジャン。ロイのちゃんとチェックしてる?」
「え…あ、はい!します!!」
「してなかったのね」


まったく…。私の言葉にポカンとしてる場合じゃないでしょ?
ロイとはなかなか上手くいかないと聞いた。大丈夫かな…私が心配しても詮無いことだけど。また怒ってんのかー?とかつての同僚がおかしそうに笑って通り過ぎる。ちょっと。またってなによ。


「…ほら、これ」
「え…」
「ロイの写真、私はこれじゃない方がいいと思う。営業と開発とは話した?」 
「いえ…まだ」
「素敵な写真だけどみんながみんな自分の思う最高を推し出してくる。ジャンはどう思う?ジャンはロイのプレイを見てどんな時に心が震える?」
「!………」


そう言いながら私が手にする鳴のグッズに使われている写真は私が撮った写真。これ、揉めたなぁ…。営業は所属カメラマンの撮った写真を使いたいし、開発としてはグッズに反映しやすい写真がいい。私は私が鳴の1番近くに在るというプライドの元で最高の鳴を写し取った写真を推すわけだから衝突は必至。昨年のオフに入る前に4時間にも及ぶグッズ会議にて最終的に専属の名を存分に行使させてもらい私が推した写真が使われることになった。所属カメラマンからは嫌味を言われるしカイルからはもう少し柔軟に生きろいつか刺されるぞとお決まりの忠告をされたけど私が鳴の1番近くにいるのに、その私が鳴を譲るわけないじゃない。
誰が聞いても呆れるほどのプライドを、それでもさすがだと認めてくれる人たちと仕事が出来る環境は恵まれているとしか言えない。

だからこそ、ジャンにも譲らない強さを持って臨んでほしい。
私の言葉に何かを考えるように目を伏せるジャンを横目で見て、さて…私もサンプルの写真を撮って次行かなきゃ。えっと…カイルと鳴のスケジュールの調整をしてからキャンプ地に飛行機で戻って、その頃には自主トレを中嶋さんとしているはずだからトレーニング内容を確認して夕飯を用意して…。
……やばい。スケジュールはスマホに入れている文字が表す以上に過密で頭の中に一々流していないと取り零してしまいそうなほどいっぱいいっぱい。ふうー…と焦る心を落ち着かせるために目を閉じ一息ついて飛行機に乗っている間にSNSのチェックと最近の球界の情報収集を各方面からしないと。


「じゃあね、ジャン。しっかりや…」
「陽菜さん!!」
「!…離して」
「いたっ!」


まったく…気安く人妻の手を握るな。
サンプルの入ったダンボールの前から立ち上がったところで下からジャンに手を掴まれすかさずその頭を叩く。わはは!と周りから上がる笑い声が暢気で安心する。ジャンは時々冗談にならないぐらい熱の篭もった目で私を見ることがある。今もぎくりと震えた心をごまかすように頭を強く叩き過ぎちゃった。さすがにごめん。

いてて…、と頭を抱えるジャンに眉根を吊り上げ、なに?と腕時計を見ながら問いかける。


「成宮さんは現状を知ってるんですか!?」
「はあ?関係ないでしょ」
「ありますよ!!成宮さんは陽菜さんの夫ですよね?関係ないわけ…」
「違う違う、そっちじゃない」
「え?」
「ジャンには関係ないでしょって話をしてるんだよ、私は」
「えぇ!?」
「なんでそこで驚くの…」


ガンッと受けた衝撃を隠さない素直にジャンに苦笑いを零していれば、カイルが部屋から出てきて苛々した様子で私に手招き。あぁ、もう分かってるから今にもその手から嵐巻き起こせそうな勢いで手招きするのやめて!待たせてごめんなさい!でもあなたの部下でもありますからね私を引き止めてるのは!!


「鳴が私のことで知らないことがあるわけない」
「!」
「と、いうわけでジャンに心配されるようなことは何もないからジャンはロイのことに集中しなよ。それから忘れてるみたいだから言うけど私も"成宮"だからね」


溜息混じりの私の言葉にまだ何か言いたげに口を開いたジャンを振り切るように背を向けて、カイル、とその名前を呼べばジャンはようやくカイルが腕組みしてこちらを見ていることに気付いたらしく後ろからは声にもならない呻きが上がった。あーぁ、この後カイルのキツーイお説教が待ってるかな。

ありがとう。心配してくれるのは有り難いけど選手のことを二の次にしてされる心配は私が1番本意じゃないことだよ。それは鳴にも同じ。

けど、


「陽菜さん!」
「なに?」
「俺は陽菜さんが悪いところなんて1つもないと思います!」
「!……」


そういうジャンに救われる瞬間があるのも確かなことだから振り返り、バーカ、と言いながらもつい笑ってしまう。受け取れない好意に心苦しくなる時もあるけど"こういう状況"だからこそ自分を許容してくれる言葉は大切に思える。


「あれは少数意見だからな」


からの、容赦なく千尋の谷に突き落とすかつての上司カイル。部屋に入るなりバッサリ切り捨ててくるカイルの後ろ姿に年始にお父さんが観ていた大河ドラマを思い出す。武士が袈裟斬りにするひと場面に例えるなら私は絶命…。もう、カイルはいつでもカイルらしくて怒るを通り越して、プハッ!とつい笑っちゃう。
クスクスと笑う私が、もちろん、と頷きながらカイルの部屋お馴染みのソファーに座りさてやりましょう。


「よろしくお願いします」


テーブルを挟んで前に座ったカイルに頭を下げてそう言い真っ直ぐに見据えればカイルは口角を上げて笑い、生意気だ、と穏やかに言った。

時間にすれば短く感じるだろう開幕までは2ヶ月ほどの時間をどう過ごすか、正解はこのシーズンが終わってみないときっと出ない。長い長い時間を掛けて丁寧に真摯に弛まず怯まずに取り組む鳴のサポートをたくさんの人がする。
私はその中のほんの1人に過ぎなくて、毎日のように鳴の推進力に圧倒されて負けるものかと奮い立つ。
カイルと一通り取材日程などのスケジュール調整を終えてキャンプ地に向かう2時間ほどの飛行機に乗った私はスマホでSNSをチェックしながら小さく溜息をついた。


「……力不足、か」


第三者からの評価はとても大切。カイルはきっとそう言いたかったに違いない。身内から得られる評価はどうしても私情が混じってしまうから自分が真にどう見えているかを見落としやすくなってしまうから。ことファンからのそれに対してはそれが正義みたいなところがあるし…私も理解しているつもりではいたけど、やっぱり厳しいなぁ…。
睨んだ文字の羅列がまさか形を変えるわけもなく、ゆっくりと私の心を抉るのを感じながら目を閉じた。

私と鳴が正式に結婚したと球団から発表されたのはキャンプに入る前のこと。
鳴が撮った写真は不本意ながらカイルに使用が許可されて球団としても私が鳴の側で働く球団の人間ということをあえて隠す方がデメリットと判断されたのか鳴の結婚相手である私は鳴の専属マネージャーだとも合わせて明かされた。
それと同時に各方面からは余計なお世話ってくらいの情報が上がり、お祝いのコメントに混じり律儀に私をこき下ろすものも多く投稿されている。
例えば鳴の専属でいるのは鳴を独占したいからだとか、専属を任されるには若すぎるとか、結局は鳴が目当てで仕事してるとか。仕事してないで鳴をちゃんと妻として支えろとか。容姿に対して色々言われるのはしょうがないとして、仕事に関する事を言われてしまうのはとても辛い。この現状をジャンは心配して、これになんのアクションも起こさない鳴を冷たいと怒っているわけだけど私はそれを望まないし鳴もそれを理解してくれてる。
うるさい声を黙らすには誰の目に見ても明らかなものが必要だということを私は鳴をずっと見てきて知ってるから今日も厚顔だと罵られたってそれに目もくれずに大切なものを見落としたりしないように前だけを見つめるんだ。


「お疲れ様、鳴」 
「ん。陽菜も」


お疲れ、と背を向けたまま言う鳴の背中をしばらく見つめていたけど振り返ることもなく中嶋さんとトレーニング中のキャンプ地近くのホテルに併設された施設内。ひらりと手を振ってくれた中嶋さんに頭を下げて、もう少し鳴の側にいたい気持ちをグッと堪えて背を向けて…さて、私もやることやらなきゃ。こっちで他のマネージャー達と情報交換して…それから。


「またやってんぞ、陽菜」
「!…あぁ、アンディー。お疲れ様。調子はどう?」
「悪いように見えるか?」
「少しね」
「たは!さっすが陽菜だ」
「…アンディーもね」


ニッと笑うアンディーが自分の唇を指差す様子を見て苦笑い。私は何かに堪える時、つい唇を噛み締めてしまうのが癖みたいで、ふう、と息をついて肩を撫で下ろしながら唇に痛みを感じて眉が下がる。
アンディーはどうにもままならなくなった時に人と話して心を整理するところがあるから、と出口に向かいながら話せば隣を歩いていたアンディーからは声が返らず…あれ?余計なこと言っちゃった?


「俺がキャンプに入る前から成宮はあんな感じか?」
「あんな?」
「ずっと張り詰めてんじゃねェか」
「そっか、投手は少し早くキャンプに入ってるからね。…ううん、少しずつ。他の投手の状態を見てから段々とね」
「肩は良いんだろ?」
「シークレット」
「ぅおおい!同じチームだろ!?」
「鳴は人を驚かせるのが大好きだから1枚噛んでるの。察して?それがチームメイトであったとしてもね」
「そりゃまた厄介だな」
「ふふっ。…どちらにしてもチームは鳴が完璧な状態じゃないとマウンドには上げない」
「!」
「答えは開幕のグラウンドで出るよ、アンディー」
「…陽菜も大概だな」
「そう?鳴までとはいかなくても首を横に振ってる連中に一泡吹かせようぐらいには思ってるかな」
「ははっ!怖い、怖い。うちのエースの専属は怖いねェ」
「!…そんな風に言ってくれるのはアンディーくらいだよ」


あ…今のはちょっと気持ちが入りすぎたかも…。
淡々と話してるつもりで感情を張り詰めた糸を揺らすような言葉を貰うとすぐに緩んじゃう。

私の言葉に眉根を寄せて足を止めるアンディーに、じゃあまた明日、と何も返らなくても振り返らずまた歩き出せばキャンプに帯同した選手の家族が向かって歩いてきて簡単に挨拶をする。
子供を連れた奥さん…確かダンの。いつも球場に応援しに来てるんだよね。…素敵。その姿をしばらく眺めていればまだこっちを見ているアンディーに気付いてひらりと手を振って今度こそトレーニング施設を出た。
さて。さて、と何度も気持ちを切り替えなきゃいけない自分の迷いや気持ちの揺らぎが嫌で気付けばまた唇を噛み締めていた。




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