陽菜のことは理解出来ない。
球団営業リンはたった今通り過ぎた球団の顔とも呼べるアンディーの後を追い掛けて歩くアンディー担当広報三森陽菜を振り返りその黒髪がたなびく様子に、無駄に綺麗……と小さく呟き目を細めた。
広報部に珍しく女が入ったと営業部の上司からそれとなく聞いた印象は扱いにくい女というもので、お疲れ様です、とにこりとも笑わず媚びない無表情さにたった今リンもそう思い上司に同意する。扱いにくい…そう評されること自体がそもそもおかしい。男は女がニコニコ笑って言うことをただ聞いていればそれでいいし、そうじゃなければ煙たがる。MLB球団という場所は活躍する選手を支えるという職場柄、男性が多くその中に女性が交じるだけで奇異な目で見られる。それならば可愛がってもらえるように振る舞う方が適当。賢くか弱く自分が持てるもので勝負していった方が成功への近道だし楽に決まってる。

今日も必死になっちゃって…バッカみたい。
アンディーだってどうせ側に就くならニコニコ笑ってる可愛い子か優秀な人が良いでしょ。広報部のボス、カイルは厳格で冷淡だけどとても優秀とこの業界で誰もが認める人。あんな新人が就いたんじゃ、不満でしょうね。

体格差が生み出す歩幅の差で自然と小走りになる日本人の小さな女の子。英語も時々発音が怪しい時もあるしなぜ球団広報に、しかも球団の人気選手を担当することが出来たのかリンには理解出来ず、アンディーさん!と上がる陽菜の声に鼻で笑いながら背を向けた。あんなにうるさく付き纏ってたらいつかは外される。


「え?アンディー側が断るって…アンディーはノリノリでしたよ」


お酒の席でだけど、とは口にせずリンが眉根を寄せる先で、本当か?、と同じように眉根を寄せながら書類に目を落とした営業部上司は小さく溜息をついた。
リンが上司に呼び出されたのはアンディーの担当広報である陽菜の後ろ姿を見たまだその記憶が残る数ヶ月後のこと。営業部の中でも法人宛にスタンド席売上やスポンサー獲得に成績の良いリンは上司に渡された書類に目を通し、確かにこれは自分がアンディーから二つ返事で了承を得た案件だと顔を上げる。今更断ってくるのは納得できない。これは球団のスポンサー側が人気選手のアンディーを広告塔として行われるイベントだ。不満が顔に出そうになったが対応してくれた上司にまずは、申し訳ありません、と謝罪し、私のせいじゃないけど、と心の中で吐き捨てた。


「アンディーの担当広報から断るという連絡がきた。リン、直接確認してこい」
「!……はい」


上司のうんざりしたような言い方からするとすでに一戦交えたのは明白だった。この案件に関して担当したのは私なのになんでわざわざ上司に…?嫌がらせとしか思えない。デスクで必要書類などをカバンに入れたリンは1度だけ強めにヒールで床を踏み鳴らして、いってきまーす、と素知らぬ顔でにこりと笑い同僚たちに声を掛け営業部のオフィスを出た。アンディーの担当…あの日本人の女、三森陽菜。……気に食わない。


「失礼します。三森さんはいらっしゃいますか?」
「あぁ、お疲れ様。陽菜ね。陽菜はー……あぁ出てきた。オーイ!陽菜!営業部のリンだ」


広報部のオフィスに足を運び三森陽菜の在室を尋ねれば、たった今一室から出てきたその姿に手を振る同僚に笑って応じる三森陽菜がリンを見つけてぺこりと頭を下げ、こちらへどうぞ、と出てきた部屋へと促すように手を動かした。そこは…広報部のボスの部屋。

お疲れ様です、とにこりと笑ったそれが不本意だけれど形だけ貼り付けた笑顔なのは同じ女同士すぐに分かった。リンも促されるまま足を向けながら、


「お忙しいところ連絡もなしにすみません」


そう社交辞令を淡々と述べた。それに対しても一言も返さずに、カイル、と部屋の主を呼びながらドアを開ける陽菜にリンは眉をぴくりと吊り上げた。何この子……。上司の部屋に入るのにノックもしないの?


「ここで話していいですか?」
「先にノックをしろ」
「あぁ…忘れてまし……きゃあー!!な、投げないでくださいよ!!それ今さっき私が持ってきた表彰盾じゃないですか!!カイルが自分で行きたくないからって私に取りに行かせたやつ!」


こ、怖わぁ…広報部のボス、カイル。聞きしに勝る強面と理不尽な暴挙。
部下に盾を投げつけ、そうさせたお前が悪い、と言い放つその声の低さにも萎縮するリンを後ろに陽菜は慣れた様子で、もう…、となんとかキャッチした盾の無事を確認してから溜息をついて、失礼します、と今更カイルに入室の挨拶をする。可愛げない、と内心ほくそ笑むリンはカイルに一瞥されてビクリと身体を跳ねさせてから頭を下げた。


「アンディーの件だろう?部下が悪かったな」
「い、いえ。ただ詳細を伺いたくて」
「しこたま文句を言ってやれ」
「はあ…」


上司がそう言うならば遠慮なくそうさせてもらいます。
強い味方を得たリンにとってはカイルと陽菜と3人でいる空間は好都合。どう言い逃れもできないでしょ?なんでわざわざこの部屋を選んだのかは知らないけど、やっぱりバカよこの女。

コーヒーでいいですか?と応接用のテーブル前のソファーに促され礼を言って頷き座っていれば間もなくコーヒーとミルクとシロップの乗った小さなトレーが置かれコーヒーの良い香りに少しだけ溜飲が下がる。
…ふうん。この女、コーヒーはブラックなんだ。ミルクもシロップも入れずにテーブルを挟みソファーに座りコーヒーを飲む陽菜を前にどちらも入れて飲むリン。三森陽菜は可愛げない、と何度思ったか知れない印象が自分の中で確立された瞬間だった。


「ご用件は?」
「!…先日アンディーから了承を得た案件について、なぜ今更断りの連絡を?」
「今更…?」


コーヒーのカップから顔を上げた陽菜が鋭くリンを見据え、リンは目を見開いた。


「あの案件は最初からNOです」
「は…?」
「アンディーにも話しを聞きました。お酒の席で話しをされたそうですね。断りの連絡を入れた後すぐに委細確認に来るほど大切な案件なのに」
「それは…選手たちも忙しいので、」
「ならなぜ私に連絡を頂けなかったんですか?」
「っ……」
「ルール違反です。アンディーはそのイベント近々に試合もあるし他の取材も入っています。スケジュールを確認する必要があると考えませんでしたか?」
「ですが!最後に決めるのは選手で…!」
「選手が自分で決めた、と責任逃れが出来るのでその仕事のやり方はとても楽ですね」
「…はあ?」


思わず怒りに声が震えた。淡々と返る反論にも次第に眉根に寄る皺が深くなっていただけにいい加減もう冷静に話すのは耐え兼ねる。手にしていたコーヒーカップをトレーの上に置いて目の前の女を睨む。ふぅー…とこちらの怒りを取り合わず暢気にコーヒーを冷ますその様子にも舐められてるとしか思えない。ギュッと手を握り締め、奥歯を噛み締めるリンは口を開く。


「アンディーは?」
「………」
「アンディーはなんて言っているんですか?」


これで決まりだとばかりに強気な態度とリンの声に今度は陽菜がカップから顔を上げてリンに目を細めた。
確かこの案件の話しをしていた飲みの席で聞いた限りアンディーはこの広報のことをまだ新人のぺーペーでついて歩かれるのが鬱陶しいと言っていたし、この女が勝手に断りを入れているならあわよくばアンディーから外せるかもしれない。
そんなことを考えるリンの勝ち誇った表情に興味なさげに小さく息をついて目を伏せた陽菜にカッと頭に血が上る。


「アンディーには一任されています」
「そんなの嘘よ!!」
「嘘つきはそっちでしょ!!」
「!」
「何が1、2時間で終わる仕事?アンディーにそう言ったでしょ?ふざけないでよ!!1日掛かりのイベントだし前日夜から打ち合わせも必要じゃない!アンディーの今の調子の悪さも把握していないの!?」
「な……え、」
「選手のことを思うなら、選手の調子と意思と現状とを見極めて野球に集中出来るように全部自分が責任を取る覚悟で仕事をするべき!!」
「陽菜、うるせェぞ」
「カイル、でも!!」
「喧嘩してェのか?なら部屋の外でやれ。見てないことにゃ責任を取る必要もねェからな。殴り合いでもなんでもやりやがれ。ただ、オフィスの人間はお前らを見てるからな」
「っ……すみませんでした!」


まったく悪いと思っていない謝罪に目を細めたカイルはデスク前の椅子から立ち上がり陽菜の前まで歩いてきて拳をゴンッ!とその頭に落とした。いたっ!…どころじゃ済まないほどの打撃音だとリンの顔は引き攣る。


「オイ、リン」
「は…はい」
「アンディーが関わる仕事の話しをしたきゃコイツをちゃんと通せ。じゃなきゃこっちもお前を優先して話しをする義理もねェからな」


そっちの上司にもそう話してる、と続けるカイルを前にサァー…と血の気が引く。だからわざわざ、私じゃなくて上司に断りの連絡を入れた…?この女…!
リンに話し掛けながらも依然としてカイルは拳をグリグリと陽菜の頭の上で突き付けていてその下では、いたたたた!と呻きながらもほんの一瞬、リンに怒りの眼差しを向けた。ぎくりと後ずさるとそれに気付いたカイルが、やめろ、と今度はばしりと頭を叩いた。

しこたま文句を言ってやれ、って…私がじゃなくてこの女が私に…?こんなことは初めてだった。今まで仕事で失敗したこともなかったし、そつなくこなすと褒められるぐらいなのに同じ女に叱責されて広報部のボスを使ってまで牽制されるだなんて…っ。

リンはギュッと拳を握り締め唇を噛み締めた顔を隠すように頭を下げる。


「申し訳ありませんでした。今後は気をつけます。先方には私から連絡をして調整に動きます」
「……よろしくお願いします」


広報部の三森陽菜は扱いにくい。それは可愛げがなくて融通が利かないからだとばかり思っていた。けれど違う。上司の言う"扱いづらい"はそうじゃなかった。営業部の成績を平気でへし折ってくるような強気で真摯で何より選手のことを想って行動するのだからそこに一片も隙がなく誠実で正しいから扱いづらいんだ。時に選手に無理を通してスポンサーを獲得しなければ球団経営は成り立たないと綺麗事ばかりは言っていられない数字重視の営業部の敵だとこの日頭の中に刻むリンは揺れる陽菜の黒髪を睨んだ。



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