「俺もそうだったよ」
「…え?」


顔を腕に埋めたままくぐもった声だけど確かに聞こえた。えっと…何がだろう?大丈夫ですか?と私もしゃがみ込みアンディーさんの前で顔を覗き込んでみても反応なし。

…なんだか、子供みたい。小さくなって、何かに怯えるようで。身体は私よりも断然大きくて腕も骨ばってて筋肉質な目の前のこの人がとても心細そう…。
いつも明るいアンディーさんに息を呑んだ時、グィッと手を引かれてハッとする私の真後ろをボールがびゅん!と通りネットに当たって落ちる。あ…危なかった…!ここがバッターボックスだってこと、すっかり忘れちゃってた…!


「あ、ありがとうございます」


アンディーさんが手を引いてくれなかったら位置的に頭に直撃コース。ドクドクと脈が大きく打ってアンディーさんが引いてくれた隣にへたりと座り込む。そんな私に、ははっ!と笑い声を上げて、ふうー、と息をつきながら空を仰いだアンディーさんはぽつりぽつりと話し始めた。


「俺もそうだったよ。子供の頃、ただ純粋にボールを追い掛ける野球だったのが今は違う。夢に見たことがあるんだよ、頭の上に上がったフライが落ちてきて…それが金なんだ」
「!」
「笑っちまうよな…。だから寝たくねェしグローブを付けるたびに手が震えちまうんだよ」
「だから…夜な夜な飲むんですか?」
「情けねェよな」
「っ…そんな…!」


そんなこと、ない!首をブンブンと横に振る私に眉を下げて笑うアンディーさんは、初めて話した、と空に向かって言う。


「昼間は悪かった、怒鳴っちまって」
「いいえ…私の方が…全然…っ、何も分かってませんでした」
「そりゃ知られたくなくて隠してるからしょうがねェんだよ」
「知られたくない?」
「球団の人間に知られりゃ、外されちまうかもしれねェからな。カイルもそれがあるからわざと知らねェふりをしてくれてんだ」
「!」
「けど、陽菜は違うか。ルイスから聞いたぜ。俺たちの味方でいたいって、言ってくれたんだってな」
「ルイスさんが…」
「ルイスもあの歳だ。辛酸を舐めてきただろうし達観してるところがある。ただ、陽菜のことは面白い奴だって褒めてたぜ」
「それは…褒められているんでしょうか?」


いまいちそんな気がしないのは私だけ?
眉根を寄せれば、ブハッ!、と噴き出し笑ったアンディーさんは、褒めてる褒めてる、と私の頭をぽすぽす叩いてからまた空を見上げて口を噤んでしまう。

私に…何か。私に何かできることはないかな…。うー…情けない。本当に私はなんにもない。こんな時にアンディーさんをどう奮い立たせられるか分からない。けど。カイルさんは日本の精神論は詭弁だって言うけれど大切なことはきっと変わらないはずだって、私は思う。

1度口を開いて、また閉じて。バスンとまたネットに球が突っ込んだ音を聞きながら意を決して口を開く。アンディーさんに向けられた怒声や怒りに揺れる鋭い目を忘れたわけじゃなくて今も怖じ気ついてしまいそうになる。


「アンディーさん」
「ん?」
「料理しましょう!」
「…はあ?」
「洗濯はしてますか?掃除は?」
「いや…そりゃお前、まともに家に帰ってねェんだから…」
「やりましょう!!」
「あ、おま…!立ち上がって下がったら…」


バスンッ!


「ぎゃあ!!」


し、死んでしまうあんな球を身体に受けたら!!
一体何キロを打ってるんだろう…?身体のすぐ後ろを通り掠めた球にゾッとしながら慌ててアンディーさんの方へ寄る。あ…危なかった…。


「ブッ、くくくっ…」
「え…もしかしてアンディーさん…?」


俯きフルフル震えて、まさか。


「ははははっ!おま、ぎゃあ!って…!叫び方!!」
「わ、笑わないでください!咄嗟に可愛い声なんて出ませんよ!!」
「いやそこは気合でっ…ぶくくっ!出さねェと彼氏出来ねェぞー?ブハッ!はははっ!!」
「笑いすぎー!!」


自覚はあるけど女子力のなさをこんなに明け透けに笑われるなんて初めてだからカァッと顔が赤くなって、ついにはお腹を抱えて笑いが止まらず苦しそうにさえするアンディーさんの腕を叩き怒ってみるけど効果なし。そんなに!?そんなに笑う!?そりゃアンディーさんが一緒に飲む女の人に比べたら子供っぽいだろうけど一応成人済なんですけど!!

思わずグッと拳を握るも、殴っちゃいけない、とブンブン首を横に振って我慢、我慢。


「あー…久し振りにめちゃくちゃ笑った…」 
「良かったデスネ」
「拗ねんなよー」
「気安く触んないでください」
「お?なんだ?大人の女の真似事か?」
「大人の女ですけど!!」
「はははっ!吠えるな吠えるな!」


この人、もしかして私が犬かなんかに見えてるのでは…?

可愛いなー、なんてブククッと笑いながら私の頭をぐりぐりと撫でるアンディーさんをじとりと見据える。間違いない、これは黒。絶対に私のことよく吠える犬かなんかかと思ってる…!


「…よし!」
「!」


ムゥッとしていればパンッと自分の膝を叩いて立ち上がるアンディーさんを見上げれば私を見下ろした腰に手を当て彼はニッと笑う。
別人みたい…まるで憑き物が取れたみたいにスッキリした顔。


「やるか!行くぞ、陽菜」
「やるって…」
「まずは掃除だな!それから料理なんてやったことねェから教えてもらわなきゃ出来ねェから陽菜、頼むぞ」
「は、はい!!」
「オイ後ろ」
「ぎゃあ!!」
「ブッハ!!ははっ!ぶはははは!!」
「っ…もう!!」
「あ?なんだバット握って。お前、バット振れるのか?なかなかサマになってんじゃねェか!」
「当たり前じゃないですか。青道高校元マネをナメないでください」
「よーし!打ってみろ!」
「アンディーの…バカヤロー!!」
「オイ!!」


アンディーさん改めアンディー。そう呼ぶことにした私にアンディーは、その方が陽菜らしいし堅苦しくなくていい、と快活に笑った。
彼の不調はあれから一月ほど続き、彼も苦しそうではあったけど前向きに改善点に向き合う姿を包み隠さず雑誌や新聞のインタビューで話すことでファンからの応援も高まりそれが大きなモチベーションになった。
飲み歩く日も次第に少なくなり、自宅で自炊したご飯を載せた彼のSNSも大人気で私は今日も更新されたアンディーの朝ごはん写真を見ながらデスク前で、ほう…、と息をついた。

色々なことがあったし、まだまだ仕事で迷惑を掛けてしまうし時々怒らせてしまうけど結果オーライ。


「陽菜ー!飲みに行くぞー!」
「嫌」
「なんでだよ!?」


どうしてか頻繁に誘われるようになったこと以外は。

試合終了後、取材陣からのインタビューの取り纏めを終えてさぁ帰ろうとしていればこうしてアンディーが声を掛けてくるのはもはや日常茶飯事。ルイスやロイが呆れたように笑ってまたやってるよと言うのもありふれた日常。記者たちも、良いコンビだなー、なんて笑うまでになったんだから溜息も出てちゃうよ。


「飲みに行くなんて言って、食材の買い出しに付き合わせるんでしょ?」
「よく分かってんな」
「食材の買い出しぐらいじゃいいじゃねェか、陽菜」
「ロイ。簡単にそう言うけど、前に安請け合いしたらどこまで食材買いに行ったと思う?地方の朝市で新鮮な野菜を買いたいからって望まないロングドライブだよ?で、そのまま出社。カイルに怒られたの私だけ!」
「よし、じゃ陽菜は今日俺と飲みに行くか」
「お願いルイス。というわけで、アンディー。今日は食材の買い出しぐらい良いって言うロイが付き合ってくれるって」
「はあ!?おま、陽菜!!」
「よーし!ロイ!俺の手料理振る舞ってやるぞー!」


アンディーに肩を組まれてぎゃあぎゃあと言い合う2人を振り返り笑い、行こうか、とルイスと歩く。なんだか視線を感じて、うん?、とルイスを見れば感心したような眼差しを向けられていて首を傾げる。


「いやー、変わるもんだな。堂々としてるし強くなったなと思ってな」
「そう?私、こっちが素だよ」
「なんだ、猫被ってたのか」 
「まぁそんなところ。でももうやめた。被り物してたら本心が見えないから」
「なるほど」
「それに、どこでだってナメられたらおしまいでしょ?」
「!…ははっ!違いない!」


私の中でこの仕事が私の誇りを持つことと、彼らがベストを尽くせるようにすることと、それは絶対に同義じゃなきゃいけない。
苦しいこともたくさんあるけれど、自分に嘘をつかず歩いたこの道の先で大切な人に会えますように。



ひたむきであれ
「陽菜、俺の担当から外れるんだって?」
「うん。今までありがとう、アンディー」
「しかも専属付きかー。一人前だな!」
「そうかな」
「珍しく弱気だな。どうした?」
「うーん…不安しかないの」
「就くのは新しく来る日本人だよな?」
「そう。成宮鳴」
「成宮か。あっちじゃ有名なんだろ?陽菜も知ってんのか?」
「うん。あっちは私のこと知らないだろうけどね」
「ふうん…よっしゃ!可愛がってやるか!」
「あんまり飲みに連れて行かないでよ…?」


ー了ー
2020/11/27

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