疲れた…本当に疲れた。今まで生きてきて、こんなに疲れたことってきっとない。走り続けて投げ込みはそこそこ。疲れとは裏腹に溜まるフラストレーションに神経が苛立つのが自分で分かる。
青道高校に入学し強豪のここでは1年に与えられる機会はそう多くはないと思ってたし、2つ上1つ上の先輩たちとこんなにも違いがあるとは思ってなかった。先輩たちはバケモノ…。
同学年の沢村栄純が練習後も走るのに触発され、負けるわけにいかない、と一緒に走ったもう暗くなった頃。彼が、風呂ぉぉー!!、と元気に走り去っていくその後ろを、はぁ、と小さく息をつきながら寮の壁に寄りかかっていると、わ!!、と側で上がった声におもむろに顔を向けた。なに…?


「び、びっくりした…!」
「あ…お疲れ様です…」
「う、うん。降谷くんもね。ていうか平気?」


誰だっけ…?目が大きく見開いてるのが近くの電灯で分かる。心配そうに下から顔を覗き込まれて、ふわ、と僕の砂埃や汗とは違う良い匂いを感じたのはこの人の髪の毛…かな。


「栄純が走ってったのは見えたけど、降谷くんも一緒に走ってたの?」
「はい…」
「疲労困憊だね」
「……全然平気です」


比較されたくない対象と比較された気がしてムッと返せば目を丸くした彼女が、あはは!と笑う。別に笑われるようなことは言ってない…。あぁ、そうだ。この人はどこか御幸先輩と似てる雰囲気のあるマネージャーの三森陽菜先輩だ。

三森先輩は、今日も暑かったね、と手に持っていたノートで僕を扇ぐ。あ…気持ち良い。もうここで眠っちゃいたい…。


「あ、こら!寝ない!」
「もういいです…おやすみなさ、」
「寝ない寝ない!ほら、来て!!」
「ちょ…」


もう歩けない…。
三森先輩に強引に手を引かれても身体に力が入らないからグダッとする僕を、重いー!と先輩が引きづるようにして引っ張りどこかへ連れて行く。もうどこでもいいや…。


「ハァハァッ、や、やっと到着…!」
「……食堂?僕、もう食べられません…」
「いいから、いいから!あ、白州お疲れ!」
「あぁ。まだ残ってたのか」
「うん、備品の確認に時間が掛かっちゃって」
「倉持呼ぶか?」
「あ、ううん。今日は平気。お父さんに連絡してるから迎えに来てくれるし、監督にも話してある」
「そうか。いつも悪いな」
「なんのこれしきだよ。あ!白州まだここに居る?」
「ビデオを観てるからな」
「春大の?…あのさ、私の声入ってない?」
「ん?あぁ、あれか。倉持にかけた…」
「わぁー!!言わなくていい!あぁもう嫌だ…!幸子と唯にも絶対ビデオに入ってるよって言われたんだよね…」
「いいだろ別に」
「嫌だよ。私、めっちゃ叫んだし手をグルグル回してゾノ殴ったんだよ」
 

殴る…?あの前園先輩を…?
椅子に座りぐったりしながらも聞いた思いがけない言葉にゾッとする。
疲れとは別に固まって動かなくなる僕を察したのか白州先輩が、お疲れ、と声をかけてくれる。


「走ってたのか」
「はい…」
「白州、哲さんたちは?知ってる?」
「確かミーティングをすると言ってたな。純さんの部屋で」
「よし!降谷くん、と…白州もちょっと待ってて!!」


そう楽しげに言うなりバタバタと食堂の厨房の中へ入っていく三森先輩。見てるだけで疲れる…。マネージャーの人たちも僕たちと同じリズムで練習を手伝ってくれてるはずだから、疲れてないわけがない。なのにあんな、パァッと笑顔を輝かせて…すごい。
はぁー…と長く溜息をついてぱたりとテーブルに突っぷす。あ…テーブル冷たくて気持ち良い。このまま、


「寝るなよ」
「!……寝ようとしてません」
「分かりやすいな」


フッと笑う白州先輩が笑いながら僕の前の席の椅子を引き座り三森先輩が行った方へ視線を向ける。


「悪いな。ああいう奴なんだ」
「ええっと…元気な…」
「いや。言葉よりも行動が早い」
「はぁ…」
「ただ、やってる事はいつも誰かのためだから憎めないんだ」


へぇ…そうなんだ。白州先輩はいつも物静かで淡々と練習をこなしてる。こんな風に誰かのことを話すなんて意外だ。目を細める白州先輩は僕の驚きに気付いたのか、付き合いも長いからな、と言う。そっか…うん。そう…、あぁ…眠い…。


「お待たせ!」
「!」
「面白いくらい跳ねた!」
「やめてやれ、陽菜」


半分ぐらい睡眠に足を突っ込んだ状態で、急に頬に感じた冷たすぎる刺激を感じてガタンッと椅子が鳴るほど驚き振り返れば目を丸くした三森先輩がニッと笑って、大成功!、なんて歌うように言いながら僕の隣に座った。な…なにがしたいんだろう?この人は。

ジト、と見据え自分の頬に触れる。あ、もう冷たくない。


「はい、降谷くん」
「!……え?」


アイスだ。カップの…バニラ味。
得意げに笑う三森先輩が手を出すから反射的に出した自分の手に乗るよく見る銘柄のカップアイス。ハッとして顔を上げれば三森先輩はもう白州先輩にも、白州もどうぞ!、と同じアイスを上げていて僕の目線はまたアイスへ。


「どうしたんだ?これ」
「OBのおじさんがマネのみんなにくれた余り!今日、たまたま私が残るってなったからみんなが譲ってくれたんだけどそんなに食べれないから2人にあげる」
「いいのか?」
「もちろん!2人ともお疲れ様」
「悪いな」
「ただしみんなには内緒にしてね」


降谷くんも、と笑う三森先輩の顔がさっきと違う人に思えるぐらい優しく見える。
じわ、と体温を下げていくような冷たさが手の平から身体中に巡る感覚が堪らなく心地が良い。ふうー、と椅子の背にもたれて深く息をつく。そんな僕の肩を、ポンッ、と叩いてふわりと笑うこの人…すごい良い人だ。

はいどうぞ、と木のアイススプーンを僕と白州先輩に渡して立ち上がる三森先輩を、え…
、と目で追い掛ける。


「私はこのノートを監督に出して帰るね。お疲れ様」
「あぁ、陽菜もな。この礼はする」
「さすが白州。御幸ならそうはいかないよ」


いらないけど、そうキッパリ言う三森先輩に焦る。そうだ。僕も礼を言わないと。突然だったし、疲れた身体に何も考えたくなかったけど今はこんなにも心も身体も軽くなった。紛れもなく、この人の疲れを微塵も感じさせない笑顔とこの手にあるアイスのおかげだから。


「!え、わ…!ブッ!!」
「あ……」


ガンッと大きな打撃音にハッと気付く。なんとか引き留めなくちゃと伸ばしギュッと握ってしまったのは三森先輩のハーフパンツの裾。僕の引き戻す力と歩き出そうとした先輩の力が反発し合って、結果今の目の前の光景。


「大丈夫か?陽菜」
「う…っ、白州、ちょ…おでこ見て?どうなってる?割れてない?」
「割れてはないが、赤いな…」
「マジか」


バランスを崩した三森先輩が椅子についた手が滑り、椅子の背もたれにおでこをぶつけてしまった三森先輩は前髪を上げて白州先輩に見せていて。こ、こんなはずじゃ…。赤い、ってことは相当強く打ってしまったんだ。だから、まずやらなきゃいけないこと。謝るのも大事だけどまずは…。

焦る頭の中で浮かぶ言葉の数々をなんとか整理して無意識に握ってしまっていたアイスを立ち上がり三森先輩の額に当てた。ひゃっ!と小さく上がった声と、僕を見上げる丸い目とかち合って、少し落ち着かない気持ちになる。


「すみません…いきなり掴んだから」
「あ、ううん。大丈…」
「まさかあんな風にバランスを崩すなんて思わなくて」
「運動神経のなさには自信がある…」
「あぁ…走り方が見掛け倒しでタイムが遅いって倉持が言ってたな」
「アイツ殴る…!」
「やめておけ。やり返されるのがオチだ」
「白州が助けてくれる。アイスのお礼に」
「まったく…。その時居合わせたらな」
「ふふー。あ、降谷くんもういいよ。アイス溶けちゃうから」


ありがとう、と僕に笑いかける顔は白州先輩と話す時よりずっと大人っぽい。この感じは御幸先輩や倉持先輩を見てても思うことで、3年の先輩たちの前や同級生の前と、僕たち後輩に見せる顔とで違うのが不思議であり…自分でもよく分からない複雑な感覚になる。
アイスを下げた手の中で力を込めるとカップに僅かに自分の指が食い込むのが分かった。あ…溶けてきてる。


「それで、なに?」
「え?」
「止めたでしょ?」
「あ、はい」
「うん?」
「あの…ありがとうございます。アイス、好きです」
「!そっか!なら良かった!御幸が降谷くんは北海道生まれだって聞いたんだ。もしかしたら暑いの辛いかなーってマネたちで話してたんだよね」


たまたまあって良かった!
そう言ってニッと笑う三森先輩が手でピースサインを作り僕に向けてくるから、僕も同じようにすれば、いい子!なんて頭を撫でられる。撫でられたまま目を上げればその手は僕の手より小さく、思わず目を伏せ自分の手をグーパーして確認。やっぱり…違うんだ。もちろん先輩が女の子っていうのは知ってたけど、こうやって実感すると思わず手にしてじっくり見たくなってしまうようなむず痒さ。

そうこうして僕が心中で思案してる間に、じゃあね、と今度こそ三森先輩が食堂を出ていき白州先輩に、食べないのか?、と促され漸く僕もアイスの蓋を開けた。


「!……美味しい」
「良かったな」
「はい…。三森先輩は不思議な人です」
「そうか?話してみると案外分かりやすいぞ」


そうだろうか?バニラアイスを口で溶かしてはまた新たに口に入れてを繰り返し、身体に篭もった熱が段々落ち着いてくるのを感じるのと同時になんとか押し込めていた疲れが身体に上がってくるのを感じる。
分かりやすいって…僕が分かれる日は来るかな…?三森先輩の後輩と同級生に見せる顔が違うから、先輩を理解するにはきっとその壁を超えなきゃいけないんだろう。

あぁ、駄目だ。もう眠い…アイスも食べ終わったし…ちょっとだけここで…。


「お!白州、陽菜ここにいなかったか?」
「麻生か。ウエイトやってたのか」
「あぁ。お前は…ビデオか。お!アイス!!」
「何か陽菜に用か?」
「おー。藤岡が陽菜の連絡先知りてーんだってよ」
「藤岡が?」
「本人に聞けっつったんだけど、どうしてもっつーから」
「麻生は頼まれると断れないよな」
「うっせ!で?陽菜の声がしたと思ったから来たんだけど」
「あぁ。さっきまで居た。監督のところに寄ってから帰るって言ってたからまだいるんじゃないか?」
「マジか!サンキュー!!」


僕がそのまま食堂で眠ってしまい小野先輩になんとか連れられて部屋に戻ったその後日、スタンドでひときわ大きな声で応援する三森先輩の姿が目に止まり、あ…、と思い出しピースサインを向ければ驚き目を見開いた三森先輩が嬉しそうに僕にピースサインを返してくれた。フッと心が軽くなるのを感じながら次は僕がこのお礼に三森先輩にアイスをあげようとひっそりと心に決めたのだった。



不思議で優しいあの人
「ちょっと。僕があげに行くから来ないでよ」
「俺もちょうど日頃の感謝にあげようと思ってたんだよ!!」
「なんの感謝?」
「この間前髪切ってもらった!お前は!?」
「僕はボタンつけてもらった」
「なにィ!?それ、何回目だ!?」
「1回目だけど」
「俺は3回つけてもらった!だから俺の方が感謝してる!!」
「僕だよ」
「俺!!」
「………御幸、どうにかしてバッテリーでしょ」
「いやなんともできねーわ、コイツら本当馬鹿!!」

ー了ー
2020/09/13

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