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 午後の斜陽、コーヒーの重たいかおり、吹き抜ける初秋の穏やかな風。
 レースのカーテンのそばにあるサボテンが、揺れもせずに微笑んでいる。
 男の声で低いハミングが聞こえる。それに合わせて、華さんの呼吸が静かに響く。
 猫が自由なんじゃなくて、ヒトが不自由すぎるだけ。そう思っていることに変わりはない。ありのままでいることが難しいヒトと違って、僕らはいつだってありのままだ。
 でも、それがいいとか悪いとか、そういうことじゃないのでは、とも思い始めている。
 ありのままであることが果たして善なのか、繕って生きていくことが果たして悪なのか。そんなことは大して重要なエッセンスじゃない。
 重要なのは、その与えられた自由の幅をどう生かすかなのだ。それ次第で、ヒトは猫よりもきっとずっとのびのびと生きるんだろうと思っている。
 華さんと「トラ」の行く末を、僕は見届けることができない。なぜなら、猫の一生はヒトよりずっと短いので、僕は彼らを待たずしてアール・アイ・ピイになってしまうからだ。
 でも、正直なところそんなものにあまり興味はなくて。
 てくてくと、ひたすら丁寧にならされたアスファルトを道なりに行く。今の時期は、いたぶれる虫も多いしそんなに暑くもないので、僕としては最高の季節だ。
 もうすぐ冬が来る。変化のない日々。
 ただ、もう少しくらい長生きできると思っていたけれど、僕は案外そんなに強くなかったらしい。おかしい、華さんに連れられていやいや動物病院の検診も受けていたのに。(病院が嫌いなのは、なにもヒトに限った話じゃないんだ)
 どうやら、検診を受けることと病気になることは、また別の話であるようだ。ちぇっという気持ちである。
 華さんと「トラ」は、冷たく眠る僕を見つけるだろうか。それとも、あの子は最近顔を見せないね、と言って微笑み合うだろうか。
 どちらでもいいと思った。僕がたとえ華さんの手で土に還されなくても、ぜんぜん構わないと思った。
 「トラ」は一匹でいい。

 生え揃った睫毛が震えて、笑う。
 僕はそのきれいな横顔をそっと、記憶に刻み込む。


20150814~20161006 eco miyasaki
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