不道徳な関係


 満月で、かつ近くに織がいること。それが俺の発情の条件らしい。と、織が結論付けた。

「いや、今まで俺満月の日もふつうにここで仕事してたよ」
「そりゃそうよ、あたしここのスイートに住み始めたの、先月からだもの」
「…………」

 それって、俺と出会ってからってことか。そう聞けば、当たり前のように頷かれる。

「それまではパパの仕事なんて興味なかったし、ホテルマンって大変、くらいの意識しかなかったけど……、あなたの荷物の中からうちの社員証が出てきたの見て、即決した」
「待て、俺の荷物あさったのか」

 社員証はバイトにも貸与される、タイムカードの記録をつけるための磁気カードだ。苦々しい気持ちで非難すると、これもまた当たり前のように頷いた。

「おまえ、運命だからまた惹かれ合うみたいなこと言っといてちゃっかり……」
「運命にあぐらかいてたら、何も手に入らないわよ。ご利用は計画的に、って言うでしょ」

 その言葉、利用用途が少し違う。
 とすると、出会ったあの日恋人がむらむらしていたのも、俺の無意識のフェロモンにあてられて……ということなのか、オメガのフェロモンがオメガに効くというのはあまり聞かない話だが。
 仮眠室を占拠してセックスしていたものの、俺が織に目をつけられていることはいわばホテルの従業員の間では暗黙の了解、周知の事実で、そして支配人の愛娘である彼女の暴挙を誰が注意できるだろうか、ということで俺たちは一切のお咎めなしでスイートまで移動してきた。堂々としている織と比べ、俺はできるだけ小さく縮こまって廊下を歩いていた。今の今までほとんど公然とセックスしておいてあんなに堂々と背筋を伸ばして歩ける神経が分からない。
 スイートのふかふかのベッドの上で、俺は靴も脱がずにあぐらをかいてぶつぶつと文句を垂れている。

「ていうか、俺の意思を無視して好き勝手するのは、ただのレイプだろ」
「えっ、気持ちよくない?」
「そういう問題じゃない」

 があん、と本気でショックを受けたような顔をしているところ悪いが、そういう問題じゃない。気持ちよければ和姦というのはレイプ魔の勝手な言い分である。会話が成立する気がしない。

「なんで俺なんだよ、遊ぶならもっと割り切れるやつを探せ」

 深々とため息をついて背を向けると、その背中に織が寄り掛かってきた。小さな体温。あったかくてかわいい。胸元に腕が回って、服をきゅっと握りしめられる。ガラス細工みたいに小さな指。この指が俺の腹の底を掻き回しておかしくするなんて、にわかには信じられない。

「あたし、小さい頃におじいちゃんに聞いた話が、ずっと頭に残ってる」
「……おじいちゃん?」
「うちの家系は代々、アルファ同士で交配して優秀な血族として子孫を繁栄させてきたの。そりゃ、強い血と強い血が混ざって弱くはならないわよね。……うちのママは、あたしが赤ん坊の頃に失踪した。理由は誰も教えてくれなかったけど、おじいちゃんだけは、こっそりね、おまえのママは運命のつがいを見つけたから、この家を出て行ったんだよ、って教えてくれた」

 ていうか、胸が背中に当たってあまり話に集中できない。かろうじて、母親が出奔したのはほかに恋人ができたせいだというのは分かった。
「今の安定した暮らしを捨ててまで選びたい人ってどんな人だろうって思って、うらやましくなった。だから、あたしも、親に決められた結婚とか、優秀なアルファとか、そういうの関係なく、運命のつがいを見つけたら絶対離さないようにしようって決めたの」
 だいたい分かった。蒸発した自分の母親の自由がまぶしくて、俺をこんな茶番に付き合わせているのだ。おじいさん、教訓のつもり、戒めのつもりで娘をなじったんだろうけど、孫娘には完全に逆効果になってるぞ。

「婚約者とか、いるの」
「いるわよ」

 こともなげにため息とともに肯定の返事。
 なんとなく、勝手にショックを受けている自分がいて嫌になる。でもだって、俺の身体をこんなふうに変えておいて、自分はあっさり婚約者がいるととんずらされるのほど胸糞の悪いものはないだろう。

「どんなやつ?」
「飛び級でアメリカの大学を卒業して、今は外資IT企業の日本支社でえらい人をやってる」

 説明が適当なのが、相手への興味のなさを物語っている。飛び級で大学を出て一流企業でいい役職に就いているのに婚約者にこんなにむげに扱われるって、なんとなく腹立たしいんだろうな。
 運命のつがい、というこの世界の普遍的なシステムを信じていないわけじゃない。うちの両親だってそれで引き寄せられて俺がここにいるのだから、甘い匂いがした、それによって強烈な発情が襲った、そのことにたしかに意味はあるのだろう。だけど、俺は生まれてから二十一歳になるまで、アルファとして育てられて生きてきて、今更、あなたはオメガで運命のつがいはこんなにかわいいアルファの女の子だ、なんて言われても簡単には飲み込めない。
 だから、運命のつがいだというだけで、初対面の俺をこんなにもあっさりと包み込める織が、不思議でならない。運命だからってこんなにも簡単に受け入れてしまえるのは、どうしてなんだ。
 織は、俺のうなじを甘噛みして、やわくついた歯型をなぞるように舐めながら、鈴を転がすような可憐な笑い声を立てた。

「どうせ蹴る縁談の相手のことなんてどうでもいいでしょ」
「……蹴るのか」
「だって、琥太郎がいるもの」

 だから、その前提がまず違うんだって。
 腕を振りほどき、織と向き合う。真剣に伝えれば、分かってもらえるのかもしれない。

「織。俺は、運命のつがいとか、そういうので縛られるの、いやだ」
「……」
「だって結局、婚約者との違いは、親が決めたか、運命が決めたかだけだろ。自分で決めてない。俺は、自分で決めて好きになった人と一緒に生きていきたいんだ」

 きょとん、と織が口をつぐむ。そのまんまるなかわいい瞳が、すうっと細くなって、俺を値踏みするような目つきで見つめた。唇を尖らせ、小さな手が俺の両頬を包む。

「分かったわ」

 ようやく、この絶倫身勝手レイプ魔を論破することができた。ほ、と息をついたのもつかの間。

「じゃあ、琥太郎のことを、運命とか抜きで好きになればいいのよね? そうよね、琥太郎のフェロモンを言い訳にして部屋にこもってばっかりじゃ、何にも分かんないものね。いいわ、デートしましょ」

 名案、とばかりにウインクをぶちかまして俺の手の甲にくちづけをするこの嘘みたいにかわいい少女は、もしかしてアルファとかオメガとか以前に、宇宙人なのかもしれない。
 くらくらする視界で、織がはしゃいでクロゼットを開けている。ふりふりのかわいい洋服がずらりと並んでいて、急に、そういえば彼女は何歳なんだろう……と疑問がわいた。

「織って、何歳?」
「あたし? 十七歳」

 高校二年、もしくは三年生か。と計算したところで現実に襲われる。
 未成年じゃん。完全に俺、淫行に引っかかってるじゃん。いや、やられてんの俺なんだけどさ。これってどうなんだ、法律的にアウトなの、セーフなの。

「……織、この日本には、未成年と性的な関係を結んではいけないという法律がある」
「それがなに? 運命を前にして法律なんて、塵ほどの意味もないわ」

 そんなことより、初デートはこの服とこの服、どっちがいい? なんて聞いてくる織に、気が遠くなる。おまえはよくても俺が罪に問われるんだよ……。
 未成年とのそういうのって、どれくらいの大きさの罪なんだ。俺は拘留されたり、罰金を払わされたり、悪ければ刑務所に入れられるのか。というか、そんな不名誉な罪状がついたら就活にたいへんな影響が出る、いや影響どころかもうどこも採ってくれないだろう。

「琥太郎、こたろう」

 俺がぐるぐると考えているのを見かねてか、織が声をかけてきた。

「大丈夫よ、たとえ罪になろうが、全部揉み消してあげるわ」

 無駄に説得力のある言葉に、もう、なんか、事実として俺は被害者なんだという気持ちが強くなってきて、そのままそれが振り切れた。そうだよ、俺、被害者なんだよ、運命だのなんだの言われて、女の子に突っ込まれて散々喘がされて失神するまでやられまくって、俺、被害者なんだよ……。

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