望まぬ快楽


 バイト上がりの着替え中、悶々としていた。あのピアスの持ち主を見つけてしまったからだ。じっと見つめていると、怪訝そうに見つめ返された。

「ん、叶、どしたの」
「…………あのさ、そのピアス……」
「ああ、こないだ片方どっかで落としちゃってさ……」

 着替えを終えた三宮が、あれと同じデザインのピアスを着けるのを見てしまった。そして聞いてみると、もうほとんど確定だ。同じデザインなら持っているやつもいるだろう、でも、最近失くしたとなるともうかなりクロだ。指摘されて、片耳につけたピアスを指先でもてあそぶ三宮に、疑念が膨らむ。おまえが失くした片方のピアス、織がスイートのゴミ箱に捨てたよ、なあ。

「片方ないなら、無理してつけることないだろ」
「まあそうなんだけど、これ気に入ってるから」

 丁寧にオールバックにしていた髪の毛をぐしゃぐしゃと崩し、三宮は解放されたかのようにすがすがしいため息をついた。それから、着替えない俺を見て首を傾げる。

「着替えねえの?」
「あ、うん……」

 ベストを脱いでハンガーにかける。タイをほどきシャツを脱ぐと、視線を感じた。

「……なに?」
「いや……叶、おまえさ」
「うん」

 口ごもりながらも、目はじっと俺を、俺の背中あたりを見ている。背中に何かついていたか、と振り向くが、当然おのれの背後が見えるだけだ。三宮に視線で疑問を投げかけると、彼は、俺から目を逸らさずに言った。

「噛み痕、ないな」
「……」

 うなじのことを言っているのだと、すぐに分かった。思わずそこに手をやって隠す。その舐めるような視線は、まるで見られてはいけない場所を見られているようで、身体がかっと熱くなる。首筋に手を当てたまま三宮のほうを見ることができないで黙っていると、その手首を掴まれた。

「なんで痕ないの?」
「なんでって……」
「なあ」

 三宮の、奇妙な圧力に、答えられなくなる。何を怒っているのかは分からないが、声が低い。おそるおそる、彼のほうを見る。そして、見なきゃよかった、と秒速で後悔した。
 織と同じ目をしている。

「さんのみや……」
「あの子は別につがいじゃないんだ?」
「……それは」
「じゃあなんであんなふうに」
「やめろよ!」

 思わず腕を振り払った。頭の中でけたたましいアラームが鳴る。まずい、この場を離れないと、なんで、なんで三宮が。この間弟のことを俺に重ねて心配してくれていた男と同一人物には見えなかった。
 肌着姿のまま、ロッカールームのドアに向けて走る。ドアノブに手をかけたところで、後ろから肩を掴まれてドアに身体をぶつけるように押しつけられた。うめき声が漏れる。目をぎゅっとつぶって衝撃に耐え、再び開く。

「……!」
「つがいだってあの子が言うから! 俺は納得したんだぞ! なのに!」

 爛々と、正気を失ったような熱のこもった目つきで見下ろされ、混乱する。何を言ってるんだ、こいつは。織が俺のことをつがいと言ったからって、何に納得するんだ?
 抵抗しようとするも、下半身を下半身で阻まれ、両手首を掴まれて押さえつけられ、何もできなかった。
 そのとき、俺は嫌なことに気づいてしまった。織との生活を続けているうちに、生理周期みたいに嫌でも身体に刻まれた日付。
 今夜は、満月だ。

「やめ、三宮、やめろ」
「おかしいと思ってたよ、つがいになったわりにはおまえからフェロモン出っぱなしだし、たまに誘うみたいな目で見てたよな」
「見てねえよ!」

 身体が熱を持つのをごまかすように大きな声を出した。威嚇したつもりだったが、冷静さを欠いた三宮には何も響かなかった。頬を思い切り殴られて、頭がちかちかする。

「ッ……」

 何発か続けざまに殴られて、それでも俺は抵抗した。ここで抵抗をやめたら駄目だと、本能が告げていた。諦めたら終わる。けれど、同じ男なのに、体格も似たようなものなのに、力の差は歴然としていた。俺の両手首を片手で捻り上げ、三宮は俺のスラックスを引きずり下ろした。着替え途中でベルトを外していたのがあだになる。

「やめろよ!」

 ボクサーもずり下ろされて、ますます焦る。足をがむしゃらに動かして抵抗するも、尻がひやっとしたフロアに触れて一瞬身を縮こまらせた隙に、首を絞めんばかりの勢いで押さえつけられた。

「嫌だって言ってたよな」
「三宮っ……」
「叶はあの子のこと迷惑なんだよな」
「やめろってば!」
「だったら俺が解放してやるよ」

 頸椎を圧迫されて、抵抗が掠れた音になる。俺の上に馬乗りになった三宮が、顔を近づけてきて、この上なく残酷な宣言をした。

「俺がおまえのつがいになってやるよ」

 それは、今から俺をレイプすると言っているのと同じだった。
 喉の奥から、絞り出すような悲鳴が漏れて、泣き出しそうになる。そして、それと同時に自分の身体が勝手に発情していることもあいまって、絶望的な気持ちになった。
 目に溜まった涙をこぼさないように必死になりながら、発情の症状を抑えようとするが、呼吸が秒単位で荒くなってきて、身体の準備が整ってしまう。
 案の定、すぼまりに触れた三宮は、大げさな反応を示した俺を笑った。

「うれしいよな? 俺がつがいになってやるって言ってんだ、身体は喜んでるよな?」
「やめ、ろ……!」

 強烈な、抗いがたい生理現象に、呼吸もままならない。身体の自由が利かなくなってもまだ弱弱しく抵抗を続ける俺に舌打ちした三宮は、自分のデニムの前を寛げた。そして、まがまがしく勃起したものを、俺に近づけてくる。その目は、俺の発情に当てられて完全に飛んでいる。

「さんのみや、いやだ、やめろよ……!」
「まだ言ってんのかよ、諦めろ」
「あ、あ、あぐっ……!」

 押しつけられて、三宮が腰を進めてくる。織以外のものが、俺を蹂躙して服従させるために、入ってくる。嫌だ、こんなの気持ち悪い、吐きそうだ、舌を噛んで死にたい、織以外の熱。
 心はそう拒絶するのに、俺の身体はうれしそうに吸いついた。
 奥までびっちりと広げられ、俺の腰を掴んだ三宮が、間髪を入れず腰を振り始める。

「ぅあ、あっ」

 つるりとした掴みどころのないフロアに爪を立て、背中を擦って逃げようとするのだが、その程度の抵抗を押し潰すのは、三宮にとっては赤子の手を捻るよりも簡単だった。腰を打ち付けながら、頬を上気させて舌なめずりした彼が、口を開く。

「叶……俺のつがいになれよ」
「なら、ないっ……!」
「まあ、叶の意思は関係ないんだけどな」

 首筋に熱い指が触れた。それから、半分引き抜いて俺の身体をひっくり返そうとする。あ、駄目だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
 ここから先はほんとうに、織への裏切りだとかそれ以前に俺の運命が決まってしまうから。俺は死に物狂いで抵抗する。うなじだけは守らなくちゃいけない。たとえ身体が三宮に屈服しても、それだけは絶対に駄目だ。
 満月特有の麻薬みたいに全身に回った快楽と、絶望と、戦いながら首筋だけは明け渡さないように抗う。だけど、三宮は俺の抵抗を楽しむ余裕すらまだあるみたいだった。

「叶。諦めろよ」

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