寄る辺ない獣性


 進言して以来、晴市が亜里香に物を贈る頻度は随分少なくなったものの、ゼロになったわけではなかった。
 相変わらずブランドショップに連れ込まれている。「これくらいなら場所取らねえだろ」と、背筋が凍るような値段のペンダントトップを贈られたことも記憶に新しい。
 これもそのプレゼント攻撃の一環だろうか、目の前に差し出されたものを見て、亜里香は首を傾げた。

「くま、ですか」
「ああ。お前に似てた」
「……私に」

 いつものように食事を済ませドライブを楽しみ、夜景を眺めてからホテルの一室に入ると、テーブルに小ぶりのくまのぬいぐるみが鎮座していた。
 その毛並みやつぶらな瞳からして、おそらく高級な類のテディベアなのだろうが、残念ながら亜里香にはその価値が分からない。

「私、こんな顔しているんですか?」
「いや。ショーケースに並べられてる姿がな、似てた」
「……?」

 いったいどういうことだ、と訝しむ。
 亜里香は晴市の情婦ではあるが、身売りしているわけではない。値の張る贈り物はしょっちゅうだが、直接の金銭的援助を受けているわけでもない。
 ぱちぱち、と数度まばたきすると、晴市が口を開きくまの頭を撫でる。

「寂しそうに客の顔を眺めてるんだ。もらわれてももらわれなくても構わねえってツラでな、諦めたみたいに笑ってた」
「……」

 相変わらず、晴市は亜里香のことを不幸だと思っているようだ。
 出会ったときもそうだった、彼は亜里香の顔を、ダメな男を引き寄せるタイプの顔、と評した。
 さて、そう言われて改めてぬいぐるみの顔を見る。そう言われてしまうと、たしかに憂いを帯びているような気もする。
 亜里香は、ぬいぐるみを抱き寄せた。

「……ありがとうございます」
「ああ、そうだ」
「え?」
「万が一の話をしようじゃねえか」

 ベッドに尊大に座って足を組んだ男に、疑問の目を向ける。万が一の話?
 ぬいぐるみを腕に抱いたまま、亜里香は晴市に近づいた。と、腕を取られ、彼の胸の中に飛び込むかたちになる。
 耳元で、低い声が甘やかすように囁く。

「そのくまは、たんすの肥やしにするなよ。手の届くところに置いておけ。もし困ったことがあったら、そいつの左手を握りしめるんだ」
「……?」

 自分が贈った服や装飾品、靴や鞄が半分以上たんすの肥やしになってしまっていることを知っているかのような口ぶりに、ばつが悪くなる。
 そして、晴市の不思議な命令に首を傾げた。

「どういう意味ですか?」
「……お前が一生その意味を知らねェで済むことを祈るばっかりだがな」
「なに……?」

 にやりと笑い、晴市が亜里香の頬に手を滑らせる。その少しかさついた指先にうっとりと目を閉じると、あっけなく唇が重なった。
 晴市に跨るような、彼を珍しく見下ろす格好で舌をもてあそばれ、肩に縋るつもりで手を置いた。

「っあ、んん……」
「イイコだ……可愛い」

 欲情したざらついた低い声で囁かれて下腹部が疼く。まだ触れられてもいないのに、どんどん身体に熱が溜まり行き場をなくして腹底で暴れる。
 晴市の手がぬいぐるみをつまみ、ベッドの端に放り投げる。音もなく転がった物憂げなくまを横目に、亜里香はふとそのことに気がついて身をよじった。

「シャワー、浴びさせて……」
「駄目だ。今日はこのまま」

 季節は冬。寒いとは言え、室内外の寒暖差で汗をかいている。
 器用に亜里香の着衣を乱していく晴市にいやいやと首を振り儚い抵抗を続けるが、首筋をべろりと舐められて息が詰まった。

「っひ」

 亜里香は、晴市が初めてだ。彼以外の男を知らないので比べようもないが、きっと晴市は手先が器用なのだ。数え切れないほど女を抱いてきて、慣れている。
 たやすく自分を快楽の奈落に突き落としてしまうその手管に翻弄されて、下肢の付け根を這い回る指に、亜里香は耐えられず晴市の頭を掻き抱く。

「あっ、あっ」

 脳の神経に直接触られていると錯覚するびりびりとした刺激に、声が押し出されるように漏れる。
 ぐ、ぐ、と何度も腹を内側から押され、亜里香の身体はあっけなく晴市に落ちた。
 荒い呼吸を隠せずに涙目で晴市を見下ろすと、ぎらぎらと劣情を隠しもしない瞳が見つめ返してくる。厚い舌が、薄い唇を舐めた。
 あ、喰われる。

「は、るいち、さん」
「ン……?」

 一度の絶頂を味わい腰の力が抜けてしまい、亜里香は晴市の腿の上にへたり込んでしまわないように必死で膝に力をこめる。
 その涙ぐましい努力を察したのか、彼は亜里香の両脇に手を挿し込み持ち上げて、ベッドに寝かせた。
 散らばる髪の毛を梳き、口づけが落とされる。それは、今からお前をめちゃくちゃに抱く、と宣言せんばかりの、みだらなものだった。

「んっ、んー……」
「相変わらず鼻で息すんのが下手だなァ」

 とろん、と頭の奥がぐずぐずに煮崩れてゆく。脳の細胞全部が、溶けて流れ落ちてしまいそうに錯覚する。
 肌に唇が吸いついて、痕を残してはそれを舌が確認するように舐める。
 散々身体中に愛撫を重ねられ、可愛らしいリップ音を立てて唇がたどり着いた先に、亜里香の蕩かされた意識が一瞬だけ覚醒する。

「はるいちさ、ダメ……!」

 下肢の付け根に吸いつかれ、背筋がおもちゃのように跳ねる。
 普段、シャワーを浴びてからでもそこに口づけられるのには抵抗がある。それなのに。

「はる、あっ、あぁあっ……!」

 あえかな抵抗をものともせずに、晴市の舌や指がそこを這いずる。あっという間に二度目の高みに押し上げられて、逃げようと浮く腰を掴まれて身動きができない状態で、晴市はさらに刺激を与える。

「も、っやだ、はるいちさん」

 喘ぎ声にぐずぐずと泣きが入ってきたところで、晴市がようやく顔を離した。
 いつの間に脱いだのか、引き締まった上半身が薄暗い部屋の照明に照らされていて、普段丁寧に撫でつけられている髪は少し乱れている。
 晴市が、歯でスキンを咥えその端をつまんで引き、包装を破いた。涙でぼやける視界にそれを認め、心臓がせわしなく拍動する。
 知れず、口元を手で覆って目を閉じると、膝頭を割り開きひたりと熱いものが押しつけられて、押し入ってくる。

「あ、あ、あ」
「……ッ息吐け、そう、イイコだ、可愛いな」

 身体の内側を擦られて嬲られて、あっさりと、大切な場所まで侵入を許してしまう。
 奥をぐ、と押し上げるように突かれ、情けない声を上げてシーツに沈む。強すぎる刺激に身をよじって逃げようとするのを押さえつけられ、串刺しにされる。

「あっ……あっ」
「亜里香」

 腹の奥で嵐が吹き荒れているような、暴力のような快感に、ぽろぽろと涙があふれる。
 敏感なところを余すことなく触れられて、潰されて、圧倒的な雄に屈服させられている。
 けれどそれでも、容赦のない快楽に染め上げながらも、晴市の手つきはいつだって優しいのだ。指を絡ませて握りしめてくれる手に、縋るように頬を寄せる。
 口元に晴市の額から伝った汗が落ちた。無意識のうちにそれを舐め取ると、甘い塩の味がする。

「はる、あっ、ああっ」
「……ぐ、亜里香、力抜け」
「できなっ、や、あぅ、うー……!」

 お互いの下生えが絡み合うほどに深く、蛙のように足を持ち上げ開かされて上から腰を落とされて、目の前に星が散った。

 ◆◆◆

 晴市の運転する車の助手席で、亜里香は黙ってくまのぬいぐるみを腕に抱いて朝の陽射しに染まる街を見ていた。
 怒っているわけでも、ご機嫌斜めなわけでもない。ただ、喋る余力がないのだ。
 ふう、と熱っぽいため息を空間に溶かす。まだ、中に晴市がいるかのように、あらぬ場所が腫れぼったく熱を持っている。
 晴市はときどきああなる、と亜里香は思う。
 優しいのに変わりはない。ただ、内に秘める獣性を必死で抑えつけるような、こちらを食い尽くすかのような獰猛なセックスをすることがある。
 きっと仕事で何かがあるのだ、と考える。彼の仕事についてはまるで知らないが、裏側からこの横浜をまとめ上げるのはストレスが溜まるのに違いない。
 捌け口でいいと、亜里香は目を閉じる。それで晴市が気持ちを落ち着けてくれるのなら、多大なる光栄だ。

「着いたぞ」
「ん、はい」

 気づけば、モーニングを食べようと決めたアニヴェルセルカフェに一番近いパーキングで車が停まっている。車を出ようとシートベルトを外す手を握り込まれ、不自由な拘束がある中で引き寄せられる。

「亜里香」
「……はい」
「……顔が赤い」

 それは、昨晩の内臓ごと揺さぶられるようなひどいセックスの余韻だ。とは、言えない。

「空調が、効いていたのかも」
「そうか?」

 どうせ何もかも分かっているくせに。亜里香の腹の奥で疼く熱を、晴市が察せないはずがないのだ。
 狡い察しの悪さに、亜里香は今度こそ少しだけ機嫌を損ねてふいと顔を逸らす。
 晴市が、喉の奥でくつくつと笑った。

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