甘い時間

 手に持った包み紙をいじりながら、あたしはお母さんと歓談している伴田さんの背中を見つめた。
 伴田さんは、だいたい用事がない限り毎週土曜にやってきて、お母さんとお話してあたしとコミュニケーションを取ろうとしている。そしてあたしがつれない態度なのを毎週嘆いている。
 ちょっとは反省すればいいんだ、吉川さんのことをあんな風に言いやがって。と思う気持ちと、もういいかな、と思う気持ちが半々くらいで、あたしとしても正直なところ伴田さんにどういう態度を取ったらいいのか分からない。
 吉川さんのことを抜きにしても、よく知らないおじさんがいきなり父親のように接してくるのはいい気分ではないし。でも、こうして毎週やってきて徐々に距離を縮めようとしているその姿は、いきなり、という表現は当てはまらない気がしてなんだか悪い気分ではないのだ。
 あたしはしばらく考えて、それから時計を見て慌てて立ち上がる。

「新、もう行くの?」
「う、うん」
「……」

 伴田さんはいまだに、吉川さんのことをよく思ってない。そこがまたむかつくところだけど、別に伴田さんによく思われたところで何か得があるかって言ったらそんなこともないので放っておく。
 立ち上がって、あたしがもじもじしているのを見たお母さんがしたり顔で笑う。く、くそう、もうどうにでもなれ。

「あ、あの、伴田さん」
「何?」
「こ、これよかったら……」
「えっ」

 持っていた包み紙を自分にくれるとはまさか思ってもいなかったらしい伴田さんが驚いたような顔をした。それから、戸惑うようにそれを受け取ってあたしの顔をうかがい見る。

「……作ってラッピングしたら、余っただけです……」
「あ、ありがとう」
「じゃあ行ってきます!」

 ぷいっと顔をそらして玄関に向かうあたしを伴田さんが追いかけてきた。

「あの、新ちゃん」
「なんですか」
「その、相手の方に変なことをされたら、すぐに言うんだよ」
「吉川さんは変なことなんてしませんっ!」
「あっ……」

 ぎろっと睨みつけて、あたしは力いっぱいドアを閉めた。最後に目に映った伴田さんは、しまった、という顔をしていた。基本的に失言が多い人だなと思った。
 たぶん、伴田さんの意向としては「守ってあげたい」とかそんな感じなんだろうと思うけど、吉川さんを悪者にされるのは腹が立つし、何よりあたしは守られるほど弱くはない。
 今日も、吉川さんのおうちに行くことにしている。一応行くとは言ってあるけど、何時、とか約束はしていない。
 なぜなら、駅からアパートまでの道のりを、一人で精神統一しながら歩きたいからだ。もしかしたら、何時って約束したら吉川さんはとても優しいから駅まで迎えに来てくれるかもしれないけど、それはあたし的にまずい。
 というわけで今日もスマートに電車で吉川さんの住む町にやってきたあたしは、すうはあ深呼吸しながらアパートの前の角を曲がる。

「……よし」

 荷物を確認して、あたしは吉川さんの部屋のチャイムを鳴らした。

「はいはい」
「こんにちは!」
「入って」

 吉川さんが、辺りを気にするそぶりを見せながらあたしを手招きした。あたしは、ドキドキしながらお邪魔しますと呟いて上がって靴を脱ぐ。

「迷わなかったか? あと、変な人に遭遇してないよな?」
「大丈夫です!」
「ならいいけど」

 コートを脱いで、吉川さんが壁にかけてくれる。近寄ってきた吉川さんに、持っていた紙袋をはいっと渡すと、吉川さんは案の定きょとんとした。

「何?」
「バレンタインです!」
「……」

 ほんとうはバレンタインは昨日だったけど吉川さんは平日はお仕事なので今日になってしまったのは仕方ない。
 料理は普段つくっているからお手の物だけど、お菓子作りとなるとまた勝手が違うことを学んだ。ネットで作り方を調べて一度練習して失敗して、二度目の挑戦でようやくさまになったものをラッピングしてある。伴田さんにあげたやつは、言葉通り吉川さん用のものをラッピングして余ったものだ。
 ところがだ。
 吉川さんはなぜか浮かない顔をしている。

「あの、吉川さん……?」

 クリスマスの時と同じことを思っているのだろうか。自分だけもらえない、というやつ? とぼんやり考えていると、吉川さんは紙袋から箱を取り出してなんだか苦々しそうな顔であたしを見た。

「俺さ」
「はい」
「甘いもん、あんまり……」
「……存じております」

 旧校舎でお弁当攻撃をしていたときにプリンで体調を悪くさせてしまったことがあるので、もちろんそんなことは分かっている。

「あまり甘くない味付けになっています!」
「あー、でも、お菓子はお菓子だろ……」
「はい、サブレです」
「……」
「えっ……だめですか……」

 必死こいて、甘いものが苦手なカレに贈る(ハート)絶対失敗しない塩サブレ(ハート)これでカレの塩対応も激甘に(ハート)(ハート)(ハート)、というレシピを発掘したのだが……。
 激甘どころか塩対応が激しくなっている……。
 あたしがよっぽどしょんぼり顔になってしまっていたのか、吉川さんが慌てたように、いや、と言う。

「大丈夫、食える」
「……無理しなくていいです……」
「あー……」

 ローテーブルのわきに座った吉川さんがラッピングを剥がす。そして出てきたのは、あたしのてのひらにちょこんと乗っかるようなころころしたキューブのサブレ。白いだけだと面白くないので、抹茶味も混ぜている。……まさか。

「お、お抹茶はお好きですか」
「嫌いではない」

 わああよかった、味つけも地雷だったらどうしようと思った。
 箱の中で石畳のようにサブレが並んでいる。初めて作ったにしては上出来だけど、吉川さんが嫌いなら、無駄になっちゃったなあ……。
 と思っていると、吉川さんがひとつつまんで口に入れた。

「あ、あのっ、無理しなくっていいです……!」
「ん?」

 もぐもぐしている吉川さんの顔が芳しくないので、あたしは真っ青になって箱を奪い取ろうとする。でも、吉川さんにさりげなくそれを阻止されて、もう一個さらに口に運ぶ。ヒイィ。

「よしかわさん……」
「せっかく作ってくれたんだから、食うよ」
「……!」

 だって、十五個も入ってるのに!
 吉川さんがどれくらい甘いの嫌いかも知らないでいっぱい作っちゃったのに。あたしが悪いのに。

「吉川さああん!」
「うおっ」

 どかっと抱きつくと、体勢を崩した吉川さんになだれ込むようになってしまった。そのまま吉川さんの首筋にすりすりと頭を寄せると、思いっきり引き剥がされる。

「ス、ストップ」
「来年はもっともーっと甘くないの作ります!」
「……」

 来年があるのか、とぼそっと呟いたのを聞き逃すあたしではない。

「ないんですか!?」
「いや……分からん」
「あります!」
「あ、そう……」

 照れくさそうに頭をがしがしと掻いた吉川さんが体を起こしてあたしの髪をくしゃくしゃと撫でて笑った。
 それから、ちょっと唸ったあとで言う。

「あの、ホワイトデー、何か欲しいもんある?」
「いらないです! 吉川さんが一緒にいてくれたらなんにもいらないです!」
「……」

 吉川さんが、情けない顔で笑う。

「たしかにあんま甘くはないけど、全部食ったら胸焼けしそうだな」
「あの……食べなくていいです……持って帰って、伴田さんに押しつけるので」
「……それはちょっといただけない」
「え?」

 むっとした顔で三つめを口に運び、吉川さんは難しい顔をした。
 なんだろう。伴田さんにあげたらいけないのかな。……。あっ。

「嫉妬ですか!?」
「ちげーよ!」

 顔を真っ赤にした吉川さんに、さては図星だな、と思っていたら、吉川さんは塩味の軽いキスをしてくれた。途端におとなしくなってしまうあたしなのである。
 最近あたしは、いつ吉川さんにあの恥ずかしいキスをされちゃうのかな、とちょっとだけそわそわしている。お正月以来、してくれないけど。……してくれない? そんなの、恥ずかしいからしなくていいもん! 別に待ってなんかないし! ちっとも!
 一人で顔を赤くしているあたしに、吉川さんは不思議そうな顔をして、もう一つ食べた。
 そしてホワイトデー、あたしは吉川さんにくまさんのぬいぐるみをもらった。可愛かったけど、吉川さんがこれを買うところを想像したらくまさんより全然可愛かった。

「これからは、会えないときもこれを吉川さんだと思えばさみしくないです!」
「恥ずかしいこと言うな」