本音でぶつかる!

 登下校以外の外出を禁止されて早一ヶ月。買い出しは行かせてくれるけど、反省しなさい、ということなのか友達と遊ぶんだといくら言っても休日の外出は許してもらえなかった。
 吉川さんは、当たり前だけどお仕事の都合で九月が終わるとあのマンションにすっかり来なくなってしまい、つまり一ヶ月会っていないのだ。
 爆発しそうだ。

「……こいつなんで死んでるんだ」
「家出のペナルティで外出禁止になってるらしいです」

 頭の上で、みこちゃんと早坂先輩が会話している。あたしはと言えば、机に額をくっつけていじけている。

「家出?」
「まあ、そのへんは私の口からはちょっと」

 本人に聞いてくれ、と言って、みこちゃんはすすすと離れていく。残されたあたしと早坂先輩の間に小さな沈黙が降りてきた。
 ややあって、それを破ったのは早坂先輩だった。

「……い、家出なんてお前けっこうアグレッシブなことするんだな」
「……うるさいです」
「なんだよ、学校は来てるんだから自由はそれなりにあるだろ? そこまでへこむことかよ?」
「……うるさいです」
「それにしても、理由はなんだ? どうせくだらないことなんだろ」
「……うるさいです」
「お前さっきから何なんだよ! それが先輩に対する態度かよ!?」

 あたしの対応に、早坂先輩がキレた。
 のそっと身体を起こし、じっとりと早坂先輩を見つめる。そして深いため息をつく。

「早坂先輩はいいですね」
「え?」
「いつもそんなのんきで、幸せそうで」
「お前今すげー失礼なこと言ってるの気づいてる?」

 苛立ちにか顔を歪めた先輩がわなわなと唇を震わせた。
 早坂先輩にどれだけ失礼な態度をとってもあたしの私生活には一切影響がない。だからどうでもいい。
 吉川さんは、電話には出てくれるけどあまり長電話してくれない。あたしの携帯代がすさまじいことになることを心配していると言っていた。だって家出した上に携帯代がかさんだら、今度は携帯を取り上げられるかもよ。とのこと。
 残念ながら格安SIMで通話し放題のプランに入っていないあたしは、お母さんならやりかねん、とあまり電話できないでいる……。メールだと吉川さんはそっけないし(絵文字が一切ないし、返信が遅い!)。
 吉川さんから電話してくれればいいのに、とちょっといじけるけど、言えない。

「で、家出の原因は何だよ」
「先輩には関係ないです」
「まさかあのおっさん関連じゃないだろうな」
「……」

 沈黙は肯定である。それを察した先輩が、また大声を出す。

「お前あんだけ言ったのに!」
「うるっさいです!」
「家出しなきゃいけないような付き合い俺は絶対認めないからな!」
「なんで先輩に認められなきゃいけないんですか!」
「認めさせろよじゃないと俺がかわいそうだろ!」
「はあ? 意味わかんないんですけど?」
「お前俺を手ひどくフッたの忘れたのかよ!?」

 その通りなので、一応黙る。でも納得はしていない。勝手に好意寄せてきて俺の認める奴じゃないと交際は許さないなんて、意味が分からない。何様なんだいったい。
 そして大声でやり合っていたせいで、いつの間にか昼休みの教室の視線の大半がこちらに向けられていることに気づき、はっとする。

「先輩」
「なんだよ」
「今先輩、あたしにフラれたって大声で言っちゃいましたよ」
「……」

 先輩がぐるりと教室を見回し、たいへん気まずそうな顔をした。若干顔が赤い。
 それから先輩は、お小言のように一言投げつけて教室を去って行った。ちょっと離れたところで様子をうかがっていたみこちゃんが戻ってくる。

「早坂先輩、今なんて?」
「……吉川さんに迷惑かけるなって」
「そりゃそうだ」

 そりゃそうだ。涙が出そうになった。
 あたしこどもなんだなって。吉川さんに迷惑かけるしかできないんだなって。

「ほらあ、へこまないの! うじうじ悩まないのが新のいいとこなんだから!」
「あたしだって悩むの!」
「悩むのはいいけど、うじうじするのは新らしくないよ」
「……」

 そうなんだよね。うじうじ悩むのって、自分でも性分じゃないって思うんだけど。
 深く考えても仕方ないのかもしれない。現状、お母さんには反対されてるし、吉川さんには会えないし、電話を短くしないとまたお母さんの逆鱗に触れるかもしれないし。それは全部仕方のないことで、今は我慢するしかないのかもしれない。

「ねっ、新は猪突猛進が一番だって!」
「それ褒めてる?」
「一応」

 吉川さんのところに猪突猛進したい。それができないのが死ぬほどもどかしい。
 でも待てよ。このままずるずるしていたらたぶんあたしは一生外出禁止だ。ここはお母さんに直談判すべきなのでは。
 それとなく、休日の外出をほのめかしても許してもらえなかったけど、本気でぶつかればきっとそれなりの答えを返してくれる。お母さんはそういう人だ。
 それに、あたしもお母さんも、ずっとこのままでいいはずない。

 ◆

「吉川さんに会いたい」
「認めないって言ったでしょ」

 直球すぎる言葉を、帰宅したお母さんにぶつけると、秒で打ち返された。めげないぞ。

「なんで?」
「なんで? 自分の胸に手を当ててよく考えてみなさい」

 ぺたんこの胸に手を当てて、吉川さんのことを考える。何が駄目なのか、どの部分をもってしてお母さんは認めないと言っているのか考える。
 やっぱり、年の差しか出てこない。でもあたしはもう結婚だってできる年だし、最低限自分の身は守れるつもりだし、そもそも吉川さんがあたしにひどいことをするなんて到底思えない。

「その考え方がそもそもこどもなのよ」
「……」
「年の差くらい、って新は思ってるかもしれないけどね」

 お母さんがため息をついてスーツのジャケットを脱いだ。それを椅子の背もたれに掛けて、へたり込むように座った。疲れてるんだな。と思ったけど、あたしにだってあたしの事情がある。そろそろ吉川さん不足で手足が震えそうなのだ。

「たとえば新が結婚したとするわね」

 よ、吉川さんと結婚。

「こんなこと言いたくないけど、確実に、相手のほうが先に亡くなる」
「へっ」

 いきなり何の話だ。ぽかんとして間抜けに口を開けてお母さんを見ると、お母さんはとっても真面目な顔をしている。

「相手に先立たれるさみしさとかはお母さんはよく知ってるし、苦労も多かった」
「……」
「覚悟しててもつらいし、きれいごとで生活は成り立たない」

 小さい頃にお父さんに遊んでもらった記憶がぼんやり蘇る。肩車された見た景色には今も届かないし、もう決して届くことはないのだろう。わりと早くにあたしの成長は止まった。
 でも、あの頃よりも大きくなったこの姿をお父さんに見せてあげたい。そしてそう思っているのはお母さんも一緒で。

「だから、新にはそんな思いはしてほしくないの」
「……」

 お母さんの言っていることはすごく分かる。こどもながらに、お父さんがいなくなったときはすごくさみしくて悲しかったし、お母さんが夜にこっそりひとりでお父さんの遺影を抱きしめて嗚咽を堪えているのを何度も見た。
 でも。

「……人は、いつか死んじゃうよ」
「……」
「それは、相手が吉川さんじゃなくてもだよ。同い年の人とか年下の人と結婚しても、その人があたしより長生きしてくれる保証なんてどこにもないよ」

 お父さんだって、お母さんよりほんの少し先に生まれただけなのに、あたしたちを置いて勝手にひとりで死んじゃった。
 そんなひどいことはもちろん言わなかったけど、そう思ったのはたしかだ。人なんていつどうやって死んでしまうか分からない。明日あたしは事故に遭うかもしれないし、吉川さんは足場から滑って落ちてしまうかも分からない。
 でもそんなことを想像して生きていくわけにはいかない。だってあたしたちは生きているのだ。

「また、こどもだって言われるかもしれないけど。……あたし、今を一生懸命生きたいよ。何年か後とか、死んじゃった後に、後悔したくないよ」
「……どうして分かってくれないの?」
「……」
「誰に似たんだか、頑固ね」

 ため息をついて、お母さんは疲れたような表情で髪の毛を掻き上げた。誰に似たんだろうな、お父さんだったら、うれしいな。

「様子見よ」
「え?」
「新があの晩、あんなふうに電話越しに泣いてたの聞いて、正直びっくりした」
「……」
「母子家庭だから男の子にからかわれることが多いって言われたことがあったの。でも、新は負けずに言い返して絶対に泣かない子だって担任の先生は言ってた。お母さん、あんたが泣いたのなんて、小学校に上がってから見たことない」
「……」

 そう、だったんだっけ。

「高校生は高校生らしく、夜十時以降は家にいること。それが条件」
「……お母さん」
「様子見」

 眉を寄せて、お母さんがしぶしぶと言ったふうに二度目のその言葉を呟いた。
 あたしがぱっと顔を輝かせたのを見て、お母さんはあきれたようにため息をついた。
 慌てて部屋に戻って携帯を手に取る。

『もしもし』
「よ、吉川さん!」
『ん?』
「あの、あの、今度の日曜日、お時間ありますか!」
『まあ、予定はないけど』
「ど、どこか行きませんか? お母さんが、行ってもいいって!」
『……』

 吉川さんが少し沈黙する。不安になったけど、次に発した声は明るくて優しいものだった。

『じゃあ、こないだ話してた水族館か、動物園でも、行くか?』
「あたし! 水族館がいいです!」
『決まりな』

 電話の向こうで、吉川さんが「しょうがねえなあ」みたいにほほえむのが見えた気がして胸が高鳴る。吉川さんに、会える!
 その夜は、とってもどきどきしてしまって全然寝付けなくて、朝寝坊してしまうかもと思ったくらいだった。
 もちろん目覚ましをかけていたからそんなことはなかったけど、いつもよりも眠たくて、だけど週末吉川さんと会えると思ったらもっとどきどきして、授業中に居眠りなんてできなかった。

「なんか今日機嫌いい?」
「日曜日ね、吉川さんとデートなの!」
「あれ、外出禁止は?」
「解除〜!」
「よかったじゃん」

 みこちゃんに散々からかわれたけど、あたしはとっても幸せなので毛ほども気にならない。
 週末、早く来ないかな。