01


「あら、雪ですわ」
 侍女の言葉に、セレネは窓の外に目をやった。言葉どおり、黒い空に白い破片がちらちらと輝いている。小さなランプを持って、セレネは窓際に座り込んだ。雪があたたかそうだと思う理由が、今なら分かる。
「冷たくすると、お怪我に響きますわよ」
 かいがいしく自分の肩に毛布をかけてくれる侍女をじっと見つめる。
「ここはどこなんですか?」
聞くと、侍女はにっこり笑って答えてくれる。
「ヴェルデ様の後宮にございます」
「後宮?」
「つまり……ヴェルデ様のお妃様のお部屋にございます」
なぜ、そんな場所に自分がいるのか全然分からない。
 きらびやかな装飾が施されたこの部屋は、緊張してしまってなんだか居心地がよくない。シディアンの質素な部屋のほうが、何倍もいい。
 しかしきっと、これはヴェルデなりの気遣いなのだろうと思う。夕方目を覚ましたセレネに、ヴェルデは、まだ安全と決まったわけではありませんからここにいてくださいね、と厳しい目つきで言った。
「シディアンが迎えに来るまで、ここにいましょうね」
「……シディアンとは、もう……」
「え?」
 ヴェルデの優しい言葉にうつむく。シディアンに自分なんかふさわしくはない。一緒にいればきっと、シディアンは町の人たちにも変な目で見られることになる。親にさえ愛されないのに、どうしてほかの誰かに愛してもらえるだろうか。
「一緒に、いられないの」
「……どうして?」
「わたし……シディアンにはふさわしくないから」
 多くを語る気にはなれなかった。疲れているというのもあるが、言葉にすれば泣き出してしまいそうだったからだ。だからセレネは気持ちを心の奥底にしまいこむ。
「……わたし、親に売られたから……」
「……セレネ、あなた記憶が?」
「……」
 黙って頷く。ヴェルデは、何も言わなかった。そして、待機していた侍女たちに何事か指示すると、ベッドに寝そべるセレネの元に戻ってきて頭を撫でた。
「またあとで来ます。少し、忙しいので」
「……」
 またあとで来ますと言われすでに何時間も経過していたが、セレネは待つことに関しては慣れている。
 窓辺に座っていると冷たい風が吹いて、頬の傷にしみた。そっとセレネが頬を押さえたのを目ざとく発見した侍女の一人が素早く窓を閉めてしまった。
「お怪我に響きますと言ったでしょう」
 体中が打撲や擦り傷まみれだった。特に、擦り傷がずきずきと痛む。それでも心の痛みに比べたらましだった。
最後に、シディアンにごめんなさいと言っておきたかった。いっぱい料理失敗してごめんなさい、お金数えられなくてごめんなさい、危機感が足りなくてごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい……。
 自分はこれからどこへ行けばいいのだろう。家には絶対に戻りたくないし、戻れるはずがない。かと言ってどこかほかに当てがあるわけでもない。
 アージュの言っていたことが正しいんだろうか。結局自分は、そういう運命なのだろうか。諦めなくてはならないんだろうか。
 ぼんやり、そんなことを次から次へ考えていると、部屋の入口に続く廊下辺りがにわかに騒がしくなった。侍女たちが何やら騒ぎ立てている。
「この場所は男子禁制でございます!」
「ヴェルデ様以外の殿方は……」
「分かっている!」
 その声にはっとした。
「ヴェルデ様の許可は取ってある。今日だけだ」
「……その物騒な武器はここに置いて行ってくださいまし」
「……分かった」
 どうしよう。セレネは辺りを見回し、隠れる場所がないかと探した。そして、苦し紛れにベッドにもぐりこんで頭から羽毛の布団に突っ込んだ。しっかりと、足もしまったところで、足音が部屋に入ってきた。
「……寝ているのか?」
「あら、先ほどまで窓のそばに……」
「セレネ」
 優しい声で名前を呼ばれ、じわっと涙が浮かぶ。もう、その名前で呼ばれる資格はないのに。
「顔を、見せてくれないか」
「……」
「話がしたい」
「……」
 声の近さからして、シディアンはベッドのすぐわきにいることが見なくとも分かる。しかもきっと、ベッドの上にうずくまっている自分に合わせて身をかがめている。その姿を想像すると、なんだか申し訳なくなってくる。最後の最後まで、迷惑をかけっぱなしだ。
 鼻水をすすると、シディアンの気遣わしげな声が降ってきた。
「泣いているのか?」
「……」
「傷が痛むか?」
「……」
 セレネは慌てて首を横に振ったが、もちろんシディアンに見えるはずもない。
 そっと、布団をめくって頭だけ外に出した。じっとまっすぐな黒曜石のような黒い瞳で、シディアンが片膝をついてこちらを見つめていた。その視線は、どこまでも鋭く、しかし優しくて柔らかい。
 シディアンの手がゆっくりと伸びてくる。指が耳をくすぐって、それから頬の傷に触れた。ぴくり、とセレネがその傷から受けた小さな刺激に耳を動かすと、シディアンの表情が痛々しくしかめられた。

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