海に恋して君に恋して
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 もちろん拓人はそんなことを知らないから聞いてくるのだということくらい分かっているが、いきなりやって来て人の都合も知らず話を押し進めようとする神経は理解できない。だいたい、未成年に契約能力はないのだから、この部屋は俺が借りたものではないということくらい分かりそうなものだが。イタリアの法律なんか知らないが、どこも似たようなものなんじゃないのか。

「で、お前いつになったら帰るんだ」

 比奈ちゃんが帰ったあとも我が家のごとくくつろぐ拓人に、冷たい視線を向ける。まったく意に介さないような態度で、彼がコーヒーに口をつけた。一口飲んで、不味い、と呟く。大きなお世話だ。

「落ち着いて聞けよ、俺は、Giapponeに帰ってきたんだ」
「イタリアに帰れ」
「ユウトにここのことを聞いてきた。そのうち新しく部屋を借りるから、その時は一緒に住もう」
「却下だ。だいたいお前は信用できないんだよ。本当に俺の従兄かも怪しい」
「戸籍を見せてもいいが……」

 そんなことより引越しだ、とのたまう彼に、何がどうそんなことだと返す。
 なにを急に現れて引越し引越しと。この男は何がしたいんだ。

「ここを引越すわけにはいかないんだよ。世話してもらってるんだから」
「誰に?」
「……誰でもいいだろ」
「女か」
「お前には関係ない」

 頑なな態度を貫く俺に、やれやれといったふうにため息をついた拓人は、後頭部を掻いて、そばに寄ってきたタマの首をくすぐる。気持ち良さそうなタマの声と重なって、拓人の声が響いた。

「お前をユウトから遠ざけるために、引越しをさせたいんだ」
「は?」
「分かってくれよ、あの人はお前の親なんかじゃない」
「それは……」

 一番、言われたくないことだった。たしかに、あの人は俺の親じゃない。それは分かっている、痛いほど。でも、そうして割り切れるほど大人になったわけじゃない。血が繋がっていなくてもあの人は戸籍上は俺の父親で、本当に俺の父親ならどれだけ良かったことかと思い続けてきたのだ。

「……俺は、あの人の子じゃないよ、そんなことは知ってる」
「それなら、」
「でも、他に親はいない」
「違う」
「違わない。俺に親はいない」

 眉を寄せて口をつぐんだ拓人を尻目に、タマの食事を用意する。今日はすっかり気が削がれて、料理をする気分ではなくなってしまった。インスタントでいいか、と思いつつ、俺の意識はどこかふわふわと頼りないどこかをうろついていた。