海に恋して君に恋して
08

 たくと、という響きに、覚えがある。思い出そうとすると、頭が妙に痛んだ。どこで聞いたんだ、たくと…………ああ、そうか。
 一番触れたくない記憶が、まざまざとよみがえってきた。

「……今さら、何の用」
「従弟に会いに来た。……理由は、ないといけないか?」
「理由があってもなくても、いけない」
「なぜ?」
「俺はお前が嫌いだから」

 戸惑うような視線を遮って、俺はドアを閉めようとノブを引いた。しかし、ものすごい力でドアの側面を握られてそれを阻まれる。鋭い碧眼でこちらを見つめる男に、戦慄する。
 今は夜じゃない、ひとりでもない。だけど寂しい。怖い。思い出して重なる、この瞳とあの瞳。……おまえ、ゆうとさんのこどもじゃないんだろう……みんながうわさしている……おまえ、ぼくの……。
 ずっと寂しかった、悲しかった。ひとりぼっちはもう嫌だ。蔑まれるのもごめんだ。俺だって皆と同じようにただ普通に男女が交わった果として生まれてきたはずなのに、どうして違うのだ? どうして違う、なぜ置いていかれる、なぜ蔑視される?

「……ヒサト?」
「あれ? 先輩?」

 ぐらぐらに揺れていたはっと意識がクリアになる。声のしたほうに顔を向けると、きょとんとした顔で比奈ちゃんがマンションの廊下に立ちすくんでいた。

「こんにちは?」
「Buongiorno,bella.ヒサトに用事かな」
「お兄さん誰?」
「ああ、失礼。俺の名前はヤナギタクト、ヒサトの従兄さ」
「タマちゃん元気ですか?」
「……ああ、元気だよ……上がって」

 比奈ちゃんが俺の顔をまじまじと、大きな瞳で見つめる。真っ黒なその円に、引いていた血の気がどっと戻ってくるような気がした。

「先輩、顔真っ青ですよ。大丈夫ですか?」
「ああ、うん。平気」
「お邪魔しまーす」
「Permesso!」
「ちょっと待った」

 悪気も何もなさそうな声で比奈ちゃんに続き押し入ってくる男に手と声で待ったをかける。何、と首を傾げた彼の胸板を押して、部屋から外へ押し出す。

「お前の入室は許可しない」
「どうしてだ?」
「どうもこうも、俺はお前に何の用事もない」
「俺はある」
「だから、俺はない。出てけ」
「ユウトに会っただろう」
「……」

 聞きたくなかった名前を告げられて、思わず押していた腕から力が抜ける。由人。