鍵の隠し場所を知る男
12

「ひとりでも大丈夫、でいたいんじゃないのか?」
「それは……でも、今の生活から比奈を切り離すなんて無理だよ」
「依存したくないって言っていただろう」
「……」

 顔を歪めて、ヒサトが大きくため息をつく。コーヒーを一口飲んで、口を開く。

「イタリアに行けば、ひとりでも大丈夫になるのかな」
「それは分からない。ただ、お前のその容姿をGiapponeだけに留めておくのは、俺としてはもったいないとしか言えない」

 ヒサトの美貌を日本だけに留めておくなんて、もったいない、の一言では済まされない。
 今までたくさんのモデルを見てきたが、ここまで儚げなきれいな横顔は見たことがないし、この前ヒナに見せてもらったロッソという雑誌に載っていた彼は、初めてとはまるで思えないほどカメラマンと意思疎通ができているかのように、自然体ながらきちんと自分の役割を理解したポージングで、完全にモデルだった。彼には才能があるのだ、それも相当の。それを日本だけに留め置くなんて。

「もったいない」
「そこまで言うほどか?」
「言うほどだ」
「イタリアねぇ……」

 少し揺れているな。あと一押しか、それとも時期を待つか。
 そしてもうひとつ、俺は大事なことを思い出して、それが無意識に口をついて出た。

「ルカの養子になる件なんだが」
「それは断る」
「……お前の父親だぞ」
「俺の父親は、生涯父さんだけだ。ルカじゃない」
「お前につらく当たったのに、まだそんなことを言うのか?」
「いいんだ、もう。父さんが悪かったわけじゃない……あ」
「あ?」
「でも、籍を抜くって言われたんだ」
「じゃあルカの養子に……」
「それなら勘当ってことにされたほうがマシ」
「……」

 こっちはどう誘ってもてこでもヒナが進言しても動かないだろう。そこまでにルカを憎んでいるとは思わなかった。誤算だ。

「そんなに、ルカを憎んでいるのか?」
「……よく分からない。でも、母さんをあんなにしたのはルカに責任があるから」
「あんな?」
「……子どもでも分かる速度で、どんどんおかしくなっていった。誰もいないのに笑ったり泣いたり何かに話しかけたり、急に叫んだり、今思えば立派な病気だった」
「……」
「怖かったよ、母さんが」

 母さんがルカを受け入れたとか、そんなことは問題じゃないんだ。重要なのは、母さんを壊したのが俺だってこと、それだけ。
 言って、ヒサトはコーヒーを飲み干して掃除に戻ってしまった。まるで俺なんか存在しないように。
俺は、どうしていいのか分からず、ぬるくなったコーヒーを舐める。
 ヒサトの傷は、俺が思っている以上に深い。どう触れればいいのか分からないほどに繊細すぎて、まるで壊れ物を相手にしているようだ。
 薄いガラスに包まれているような彼の傷だらけの心に、触れたいと思う。けれどいくら手を伸ばしたって触れるのは外のガラスの膜で。無理に触れようとすればきっと割れて、元に戻らなくなってしまうのだろう。
 がさがさとビニール袋が音を立てる。俺は、すっかり冷めたコーヒーをすすって濃いコーヒーの匂いに浸かる。
開け放たれた窓からは、涼しい夕方の風が吹き抜けていた。

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