遠いから逃げる臆病者
10
相も変わらずそっけのない部屋だ。ソファとテレビとテーブルくらいしかない。
大型のホームセンターで手に入れた電動のコーヒーミルとフィルターと、豆を量り売りしている感じのよい喫茶店で手に入れたオリジナルブレンドの豆を持って、俺はヒサトの家を訪れる。頻繁に訪ねてはコーヒーを飲むのだ、自分の好きな味を持ち込んだって彼なら怒りはしないだろう。……きれい好きな性格なおかげでいつもきちんとしているキッチンに、この一式が納まる場所はあるだろうか、というのはひとつの問題だが。
「Ehi,ご機嫌斜めか?」
「お前が来たら斜めにもなるよ」
いつもの軽口は気にしないで靴を脱いで上がり込み(靴を玄関で脱ぐという形式にもいい加減慣れた)、キッチンへ向かう。ちらりと見えたワンルームは相変わらず寂しいままの風景だった。絵のひとつでも飾ったらどうだろうか。今度ヒサトに絵を描いてやろう。
コーヒーミルのプラグをコンセントに挿し、豆を入れて鼻歌を歌いながら回す。今日の歌は最近聞いている日本の歌手のものだ。女にしては癖のある渋い声が気に入っている。
「何それ、わざわざ買ってきたわけ?」
「まあな。どうせ飲むなら美味しいほうがいいだろう」
「そりゃあそうだけど……俺は使わないからね」
「OK」
隣でマグをふたつ取り出したヒサトの横顔は、不機嫌そうに歪んでいる。その表情は、少しの困惑を映し出しているようにも見えた。
先日、ヒサトの傷をえぐるようなことを、つい口走った。間違ったことを言ったとは思っていないが、真実と事実は別物なのだ。謝ろうにも、次の日会った彼はあのときのような傷ついた表情を消し去ってけろっとしていたのでタイミングを逃した。そして、まるであてつけのように髪の毛を切ったのだ。
かたくなに自分のルーツを隠そうとしていた態度から一転した彼が憤っているのは明白だった。もうどうでもいいと、細い背中が語る。
「……ヒサト」
「何」
「もう一度、ルカに会ってやってくれと言えば怒るか?」
「……ずいぶん下手に出るね」
「そりゃあ、俺にだって人の心を察してやるくらいできる」
「できるのに母さんのことをあんなふうに言ったんだな」
「そうじゃない、どうしてお前はそう……」