遠いから逃げる臆病者
03

 空が青い。雲が多い。鳥の鳴き声がする。風が木の葉を揺らす音がする。車の走る音がする。近所の家の犬が吠えている。
 コンクリートの床の上に寝そべると、いろいろな音がクリアになる。たくさんの色が目に入ってくる。上空を飛行機が飛んでいる。小さなエンジンの音と、紙飛行機のような影。飛行機が通ったあとを、真っ白な線が通っている。
 自分の腹が、空気を吸ったり吐いたりして動いているのを感じる。うすら寒い生命のあかしだ。
 眩しい光から目を逸らしたくてごろりと身体を横向きにした。遠くで近くで、チャイムの音がする。どこか、校舎全体がざわめくような気がして、閉じていた目を開ける。階段をぱたぱたと駆け上がる音がして、俺は起き上がった。

「いっちばあーん」

 間の抜けた声とともに比奈が、ドアをがちゃんと開けて姿を現した。直後に俺を見つけて、露骨に残念そうな顔をして、でもすぐにそれは笑顔になって、俺に近寄ってきた。

「こんにちは!」
「おはよ」
「……先輩、元気ない?」
「そう見える?」
「ちょっと」

 変なところで鋭いな、この子は。後頭部を掻いて、曖昧に視線を逸らす。

「比奈、携帯落としていったよ……あ、こんにちは」
「おはよう」

 ピンク色の携帯を手に、後輩がやってくる。どうやら今日は屋上でランチタイムらしい。
 購買にパンを買いに行くのも面倒で、俺は腹も減っていないし今日の昼は抜くことにした。にわかに騒がしくなった屋上でふたたび寝転び、おととい、ルカと顔を合わせたおとといを思い返した。

『同罪ではないのか?』

 今まで、気づかなかった、いや、気づかないふりをしていた。母さんがルカを愛していたなら、ルカの一方通行の恋でないなら、彼を受け入れた母さんがいるということ。父さんと結婚していながらルカに恋をして、俺を産み落とした母さんがいるということ。
 気づかないふりで見ないふりで、今までルカへの憎悪だけが俺を支えてきた。それが崩れるのが、一番怖かった。憎悪が揺れるのが怖かった。それはだって、俺の生きてきた道そのものを否定することになるから。
 憎悪だけを頼りに、いつかどんな方法ででも母さんが浮かばれるように復讐してやる、そう思って生きてきたのに。