01



「ひよ」
「あ、うん。ちょっと待ってー」
「チッ……」
「待って待って、もうちょっと」
「おせーんだよ」

 放課後、わたしのクラスに彼氏が迎えに来た。おしゃべりをしながら一緒に帰る準備をしていた友人が、あからさまに顔を歪める。嫌いなものが食卓に並んだときの子どものようなあけすけなものだ。
 人の大事な大事な彼氏に向かってなんて顔をしてくれる。

「ってかわたしひよじゃない」
「まだかよ」
「ん、終わった」

 これ以上彼を待たせるとろくなことにならない。これまでの経験で痛いほどそれを知っているわたしは、整頓など二の次でとりあえず鞄に何もかもを詰め込んで、ファスナーを閉めるのも途中に立ち上がって駆け寄った。

「頼子ー、また明日ねー」
「うん、ばいばい」

 人が挨拶をしている途中だというのに、彼氏……真中あゆむは、わたしの腕を掴んでズルズルと廊下を引きずっていく。ちょうど下校時間ということもあって廊下には人が多く、そのどれもが少しの恐怖と好奇を孕んでわたしたちを見、そして「またか……」というような呆れた無表情に変わる。

「ちょっとあゆむ、引っ張んないでよ」
「お前が遅いからだろ」
「……もう」

 わたしのことを、この恋人はいつもこう呼ぶ。『ひよ』と。
 理由は単純であるようで難しい。わたしの旭頼子という名前の、名字と名前のお尻と頭がくっついているだけなのだが、わたしの名前は特別呼びづらい発音ではないし、そんなふうに捻って考える人などいなかった。だけど彼は、初対面の時からわたしのことをそう呼んで、わたしを混乱させた。(もっともはじめの頃は、頼子の子もセットで『ひよこ』と呼ばれていたのだが)
 命名に深い意味はなかったらしく、彼いわく「動きがひよこっぽかった」からだそうだ。

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