おくびょうだった(働/相佐

自意識過剰でもなんでも無く、矢鱈と視線を感じる様になった。同じキッチンの中から、あるいはロッカールームで、何処かしらから必ず視線を向けられた。出処はいつも一揃いの深い青の目で、横目に見やればすんでのところで逸らされる。だからいつも「何か用か」と尋ねる事が出来ないでいた。といっても、向けられた視線をきちんと意識する様になったのは最近の話で、実際はもっと前からゆるゆると、布が水を吸う様な強かさでもって変化は訪れていた。触れた先から侵食してくるそれは明確な色をもたず、果たして向こうが知られぬ様にしているのか、それとも自分が見ない様にしているのか。どうにもその境界が曖昧で、そこが問題だった。この緩やかな変化は向こうが齎したものだと思い込んでいたが、それはある意味で無責任なものかもしれない。向こうが踏み込むタイミングを伺っているのを知っていて、態と隙をつくってみせているのだから。伸ばされそうになる腕を迎合してしまえば、最早どちらの所為だとも言えない。

「さとうくん!」

がしゃん、と気が付いたら手からボウルが滑り落ちていた。泡立った生クリームが床に放射線状に散らばる。ひどく白いな、と悠長な事を思った。モップ、モップ!と相馬が倉庫の方に駆けていくのを視線で追って、取り敢えず逆さまになって床に転がるボウルと泡立て器を拾い上げた。指先に生クリームが付く。ぺろり、と舐めてみればひどく甘かった。普段しないことを衝動的にやってしまうのも、何でもないミスを犯してしまうのも、きっとこの強かな変化が齎した結果に他ならない。そのまま立ち上がるのも面倒になって相馬が帰ってくるまでじっと床にしゃがみ込んでいた。

もう、佐藤君も手伝ってよ!落としたの佐藤君でしょ!文句を言いながらも相馬がモップで生クリーム拭き取っていくのを床からじっと見上げている。きいきいと喚く相馬の声は右から左、何一つ頭に入ってはこない。そうこうしている内に床は元通り綺麗になって、モップを片付けに行こうと相馬は身を翻す。反射的に、考える間もなく相馬のコックコートの裾をぐい、と強く引いた。うわ、ちょ、と上擦った声をあげて相馬がしゃがみ込む。目線の高さが同じになった。青い二つの目が此方を不思議そうな目で見ている。

「言いたいことが、あるんだろう」

お互い、なにもかも、判ってない。けれど言わなければいけない事はあるはずだ。明白な言葉にして仕舞わなければもう、収まりがつかない。なあ、いい加減二人して誤魔化すのは辞めてしまおうぜ。気が付かないフリももうきっと限界だ。相馬は告げた言葉に驚いた様に双眸が見開いて、それから逡巡するように頭を振ると、床に手を付くとぐい、と此方に身を乗り出した。必死に押し出した小さな声はひどく震えている。

「…いまから僕がすること、全部忘れてくれる?」

相馬の顔がピントが合わない程に近い。というより、距離、ゼロ。けれど押し退けるのも億劫で、焦点を結ばない視線で相馬の青い目を見詰めた。朧げにぶれるその目に浮かぶ感情など見えない。だって、仕様がないじゃないか、近すぎるんだ。




(だから抵抗しなかった、そう言う逃げ道と言い訳を残しておいた。ずるいって?そう言うなよ、おれはお前が言うところのヘタレなんだから)



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