いちじかんめ

教室の廊下側、つまり右側一番端の列の前から3つ目に鎮座する綾瀬春香。
彼女は現在進行形で迎撃戦の最中だった。
月曜日の一時間目の英語。
どうしようも無く眠たいのは致し方ない。
開始僅か5分にして既に頭が重たい。
頭の奥は麻痺済みだ。
机に広げた教科書が解読出来ない。
もとから読めないんだけど。
アルファベットがだんだん絵に見えてきた。
まるで、アラビア語を勉強している気分。

(あ、ヤバイ。)

瞼が意図していないのに閉じて行く。
眠りの奥に引きずり込まれていくような、ずぷずふと沈んでいくような、感覚。
先生の声とクーラーの微かな音が耳に心地良い。
頭がくら、と前に揺れる。
無意識で腕を枕にして、机に突っ伏した。
シャーペンが右手から転がり落ちる。授業は未だ始まったばかり。



憂鬱である。
全くもって憂鬱である、と宮森茜は軽く欠伸をした。
一時間目から英語だなんて。
これだから月曜日はいやなんだ。
未だお休み気分でいたいのに。
土日の間に呆けた頭は簡単には起動してくれない。
目の前のアルファベットが左から右へ、留まらずに流れて行く。
朝の休み時間にまだまだ話したいことはあったのに。
何時も本令ぎりぎりに駆け込んで仕舞うから、結局話せない。
大人に言わせれば、どうでもいい刹那的な時間の使用方法。
昨日のドラマだとか、他のクラスの誰其の彼氏が浮気してるだとか、先生を駅で見ただとか。
土日の間にたまった、機械越しでは伝えきれない情報を交わしたい。
ノートの上をシャーペンでなぞる。
先生の話しは聞いていなくとも、ノートだけはとっておかなくては。
あとから見直すことは無いとおもうけど。
でもテスト前は流石に開くかも知れない。
多分。

(あ、)

ちらりと前方を見遣れば、斜め前で春香が死んでいた。
この場合の「死」とは物騒な意味での「死」ではない。
単に寝ているだけだ。
これは後でノートを見せることになるかもしれない。
見返りにアイスでも要求してやろうか。
にしても、春香は随分と気持ち良さそうだ。
後ろからなので正確には解らないけど、多分。

(爆睡…)

欠伸がくわ、と出た。
良いな。
私も寝たいな。
シャーペンを手の上で回す。
くるんくるん。
小学校のとき、男子に交ざって特訓をした気がする。
仲間うちでの階級があって、自由帳に名前を書いて格付けまでした。
今は誰が持っているのだろうか。
それともとっくに捨てられてしまっただろうか。

(あわ、)

シャーペンが嫌がって、手の上からダイナミックに身投げした。



かしゃん、と誰かがペンを落とした音がした。三上咲はそれに身体をぴくり、と揺らしてうたた寝の淵から生還した。
七列ある机の真ん中、そしてその列の一番前の席。
そこが咲の授業中の定位置にされた席だった。
ぶっちゃけて、この席は寝るのには調度良い。
机の上に全部ひろげて、肘ついて、考えてる風にしとけば楽勝だ。
爆睡は流石に無理だとは思うけど、半分寝るくらいなら。
あとは、この席実は内職がしやすい。
教卓にぴったりくっつけておけば、机の上は半分以上見えない。

そういえば、古文の予習をしていなかったことに気が付いて咲は机の中から古文のノートを引っ張りだした。



市ノ瀬千夏は思考する。
曰く、神は天上にいるのだそうだ。
人間が支配したつもりの世界を遥か高みから見下ろしているらしい。
なんか、昨日のドラマで言ってた気がする。
神さまの許容範囲は知らないが、何時かノアの洪水の様にこの世界も消えて仕舞うのだろうか。
だとしたら、生き残るのはきっと私の知らない遠い所にいる、私の知り得ない誰か。
文明の破壊を受けていない人達。
或は、人間は一人だって残らないのかも知れない。
神さまだって馬鹿ではない。
二の舞、同じ失敗は繰り返さないはず。
そういえば、神さまはもう洪水はしないと言ったのだったか。
現存する人間は皆ノアの一族である、らしい(確か。
人類皆兄弟。
素晴らしいじゃない。
教卓真ん前真ん中の席でふて腐れている親友も、何と無く苦手な先生も、隣の席の気になるあいつも、皆みんな兄弟だなんて!
しかし。
だがしかし、神さまなんていないのだ。
生物でも生き物の始まりを習ったではないか。
結局神さまを生んだのは人なのだ。

「あー次を市ノ瀬、」

不意に意識の圏外から名前を呼ばれた。
机の上のノートを見る。
今は英語の時間だった。

(ヤバイ、)

私は何を答えれば良い。
そもそも何を問われた。
今までの思考の内容など綺麗に忘れて、ヤバイの三文字が頭をしめる。
それでも何かを言わなければ、この先生は許してくれそうにない。

「、わかりません」

(問題が)

嘘は言ってない。
はず。
かっこの中も言っていないけど。

「…では、山崎」

後ろの人へと順番が回った。
心の中で胸を撫で下ろす。
上手くごまかせたのか、それとも諦められたのか。
さて、私は今何を考えていたのだったか。
ああ、休み時間が待ち遠しい。



水内雛は前を見ていた。
正確には黒板では無い。
自分の前に座る山崎真也をだ。
金曜日の放課後から土日を経て、今に至るまでの真也不足の補充。

(土日試合で遠征とかまぢ、ないんですけど)

ふに、口だけを歪めて心の中で唸る。
真也が活躍するのは全然嬉しいことだけど。
会えなかったというのは別の話だ。
マネージャーにでも為ってやろうか。

「わかりません、」

二個前の席で千夏がさらりと先生の質問に答えた。
この場合は応えた、だろうか。

(あれきっと、千夏は話し聞いてなかった)

見てなくても、なんとなくわかる。
千夏の性格と、今の声的に考え事してたっぽい。
頭いい千夏が答えられない筈がないもん。

「…では、山崎」

(あ、真也当てられた)

授業中に彼氏の名前が呼ばれたら思わずどき、としてしまう。
きっとこれは私だけじゃない。
春香も前言ってたし。
しかし、悠長に青春感に浸ってはいられない。
千夏で真也と当てられたから、次当てられるのは当然私だ。
慌てて、次の問題をチェックする。
多分、間違えてはいない。

「×××」

真也が答えた。
うん、相変わらず格好良い。
先生が説明に入った。
今の問題についての解説をしていく。
私は正直この時間が苦手だ。
何時先生が「では、」と言うか解らない。
チョークと黒板のがんがんいう音がとまった。
静かな教室に、チョークを台に置いたぱちり、というおとが響く。
先生がゆっくりと振り向いた。
唇が動く。

「では、次を水内さん」




誰かが時計を見る。
チャイムがなるまで、あと少し。
10。
9。
8。
7。
6。
5。
4。
3。
2。
1。
ゼロ。

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