dust | ナノ


 知らない人(島崎)に助けて貰ったけどこれはきっと夢だ



眠れない。

べっとりと重く体は寝ようとしているのに、冴えてしまった頭がそれを阻んで幾度目かの寝返りの後私は寝付くことを諦めて起き上がった。
もう暦では秋口になるというのに、いつまでも暑さが尾を引くような日が続き、今日も無風の湿った空気が寝苦しさに輪を掛けたのだろうと思う。

水を飲もうと冷蔵庫を開けて、そこにあるはずの2Lペットボトルが行方不明だった。


「……あー…」


そうだ。
お風呂上りに一気に飲み切ってしまったんだった。

時刻は深夜1時を過ぎた頃。
コンビニまでは1km弱。
仕方なく水道水をコップに注ぐが、ガラス越しに自分の体温とほとんど変わらないぬるま湯が満ちていくのにうっとして、結局そのまま逆さまに捨ててしまう。


「行くかぁ…」


女が夜道を一人歩きだなんて褒められたものでないことは重々承知だが、冴えてしまった意識は冷たい飲料を欲してやまない。
ショートパンツからジャージの長ズボンに履き替えて、フード付きのパーカーを被り財布と鍵だけを持ってアパートを後にした。

流石にしんと静まり返った暗がりを歩く人は他にいない。
砂まじりのアスファルトをつっかけサンダルで踏みしめる足音だけが寝静まったベッドタウンの外れに響く。


「…あっつ」


コンビニまであと中程だろうという距離をひたすら歩き続けている内に籠った体温を少しでも外に出そうと被っていたフードを外した。
せめてほんの少しでも風が吹いてくれていればまだマシなのに、と滲んだ汗を拭った私の後方から、私以外の足音が混ざり始めた。

音に気付いてすぐ後ろを振り返った。
点在している街灯の間で姿はよく見えなかったが、影の体格と足音の感じから、男性であるのがわかる。

嫌なタイミングになってしまったな、とフードを外したことを後悔した。
携帯を置いてきたせいで誰かと通話しながら歩いている振りもできないことも。
何でまだコンビニに辿り着かないんだろう。遠いぞ、1km弱。

競歩の速度で足早に歩き始めた私の後ろを、足音はついてくる。
適当な、そう例えばこのすぐ横のアパートが実はこの足音さんの家で、「あーなんだ気にすることなかった」ってホッとしたい。
そんな私の希望に反するように、足音はスピードを上げた私以上の速さで此方に近づいてくる。

そうだ、追い抜いて貰おう。
それがいい。


「……」


歩く速度を緩めて、相手が私を通り過ぎてくれることを期待した。
足音のペースは私の歩みが遅くなっても変わりなく、ズカズカと私のより幾分か荒い音で近づいてくる。
もうすぐ側だという所で。


「姉ちゃん、一人でこんな遅くに何処行くの?」


うわ。
と引くほどアルコールの臭いを振り撒いた中年の男性が話し掛けてきた。
ビクリと明らかに体を固くして警戒している私の怪訝そうな顔は目に入らないのか、尚も男性は「俺ついてってあげようか」と、きっと自分では人の好い笑顔のつもりなのだろうにやけ顔で私の隣を保つように歩いてくる。


「お構いなく」
「…」


目を合わせないようにそう言って少しだけ駆け足で進んだ。
直後斜め後ろでスゥと息を吸う音が聞こえて、「マズイ」と咄嗟に振り返る。
急に耳をつんざくような大声と共に横っ腹に衝撃がやって来て痛みに呻きながらよろけた。


「人が!親切に!言って!やってんだろ!!」


頭部を腕で庇いながら「痛いです」「やめて」と言ってみるが、完全に頭に血が上ってしまったのか振り下ろされる拳や蹴りつけてくる足に躊躇いは一切ない。

こんなことなら、水道水で我慢していれば良かった。
後悔先に立たず。

言葉を掛けるだけ無駄だと判断した私は只管、それこそ亀のように蹲ってこの災難が過ぎ去るのを待っていた。
早く疲れるか、飽きてどっか行ってくれないかな。本気で痛いし。


「面白そうですね。何してるんですか?」


不意に凛とした男性の声が夜に響いた。
同時に私に降りかかっていた拳や蹴りが止まって、少しだけ顔を上げて何事かと様子を窺う。

私に声を掛けた中年男性の肩を、その背後に立っている誰かが掴んでいる。
「何だお前」と中年が振り払おうとして、突然「グッ」と呻いて固まった。
耳に届いた呻き声にただならぬものを感じて私は起き上がる。
私が体を起こしたのと同時に、今度は中年が地面に膝をついて自分の腹部を抑えるように体を丸めた。
姿勢の低くなった中年の薄い髪が掴まれて、無理矢理立ち掛けの体勢になるとゴスッと背筋が凍るような鋭い音が中年の体に再度打ち込まれた。


「あれぇ?どうしたんです?さっきまで元気に腕やら脚やら振り回してたじゃないですか」
「…カ…ッ……、…グ…」
「抵抗しないと、死んじゃいますよー」
「! あ、あのっ!や、やりすぎ!…じゃ、ないですかね…」


地面にへたり込む中年を尚も殴り続けようとする誰かの、「死んじゃいますよ」という声にハッとして振りかぶった腕を抑えるようにしがみついた。
中年は既に負ったダメージでいっぱいいっぱいになっていて、抵抗どころか呻くので精一杯そうだった。
酒で巡りの良くなっていた顔が土気色になって、腹部の圧が効いたのかへ垂れ込んだ地面に吐いて弱々しく様変わりしている。
幸い肩で息は出来ているみたいだが、これ以上は危ないだろう。
私の制止に誰かは腕を下して此方を見た。

同じ年くらいの男性。
しがみついた腕はしっかりと筋肉の厚みがあって、スマートな印象の糸目と数秒見つめ合う。


「…あ。…す、すみません。不躾に。…助かりました」


しがみついたままだったことを思い出して、ぱっと身を離す。
深々とお辞儀をすると「耳障りだったので。お気になさらず」と軽い調子の声が返ってきた。
近くの住人だったのかもしれない。
1ミリも私のせいだとは思ってないけど、「お騒がせしてすみませんでした」と形式的に言いながら頭を上げれば、私を助けた男の人は倒れ込んでいる中年の体を何やらまさぐっている。


「……あの、何を…?」
「身分証ないかなと。…あ。コレですか?」
「え。ええ、免許証、ですね、それ」
「控えとかなくて大丈夫です?」
「何故…?」
「暴行受けてたじゃないですか。警察に突き出すのに使えますよ」
「……でもそれ持ち出したら窃盗ですよ」
「落ちてたんですよ、コレは。だから警察に届けてあげるんです」


冗句でも言っているかのように「ハハハ」と笑って、その男の人は中年の免許証をしまった。自分のポケットに。

その動作に躊躇のようなものはなく、助けて貰ってなんではあるけれど何となくこの人ともあまり関わり合いにならない方が良い気がした。


「とりあえず、ありがとうございました。じゃあ、私はこれで…」
「はい。夜道には気を付けて」


ヒラヒラと手を此方に振って、男の人も中年の前から立ち去っていく。
更に悪事を重ねるようなことにはならなさそうで、その背中を見て私も元の目的だったコンビニへと向かう。
明らかに靴型の着いた服や殴打の痕がある女が来たことにコンビニ店員は一瞬ぎょっとした風に此方を見てきたが、特にそれで何か声を掛けられることもなく無事に飲料を買うことは出来た。

当初の予定よりも大分遅くなった水分補給。
冷えた清涼飲料水を飲み込んで、そこで初めて自分の喉がとても渇いていたことに気が付いた。
500mlペットボトルの半分を軽く一気飲み出来たことに感動を覚えたのも束の間、帰路についていた私の足は段々とペースを落としやがて止まった。


「…あのおじさん、まだいる…よね…」


酔っていたし、気絶してるか寝てるかしててくれていますように。
そう祈りながら恐る恐る問題の通りを窺ってみた。


「……あれ?」


しかし意外にもそこには想像していた中年の姿はなく、ただ転々と続く街灯の中にすらりとした長躯を塀に預けている先程の男の人が立っていた。
私の声に此方を向いた男の人は背を預けていた塀から身を起こして「さっき振りです」と笑う。
それにぺこりと会釈を返した。


「どうも…」
「さっきの人は自宅まで送ったので、ご心配なく」
「え。…はぁ…」


送ったって…ああ、免許証で住所見たから…タクシーとか、人に頼んだってこと、だよね多分。

頭の中の情報を整理しながらだったから、すごく気の抜けた返事をしてしまった。
けれどこの人はそれを責めるでもなく、自然に私の隣に立ってくる。


「あの。私に、…何か…?」
「危ないでしょう?夜道。送りますよ。アナタも」
「結構です!お気遣いなく…!」
「まあまあ」


私の勘がこの人から早く離れるよう告げている。
「そんなこと言わずに」と気安く人の肩に触れてくる辺りとか、碌な人種じゃないに決まっている。私の経験則だ。


「本当に…、…!?」


肩に回された腕を突っぱねるように押し退けて、男の人の背景が街灯に照らされた塀でないことに気が付いた。

…此処…、私のアパートの、エントランス…?


「えっ…何で…、えっ!?」


驚いている私から身を離した男の人は私の反応に満足げに頷いている。

何が起こったの。
だってさっきまで、私たち、外に居たし………

目を見開いたまま動けないでいる私の肩に、また馴れ馴れしく男の人はポンと手を置いてから歩き去っていく。


「これに懲りたら夜に出歩かないことです」


コツコツと革靴の靴音が遠のいていく。
それを視認することも儘ならないまま私は疑問符でいっぱいになる頭をふるふると弱く振った。

夢だ。そうに決まってる。
こんな運の悪い、説明も理解もできないようなこと、現実に起きる訳がない。


「うんうん。悪い夢だコレ。嫌な夢見てるな私ってば…明晰夢っていうんだっけこういうの…」


自分に言い聞かせながら階段を上り、鍵をサムターンに差し込もうと持っていたビニール袋を肘に掛ける。
と、ズキリと中年の猛攻から頭を庇い続けていた腕が内出血していることを伝えてくる鈍い痛みを発して、思わず「痛っ」と身を縮こませた。

…最近の明晰夢って痛みまで感じるんだなあ。




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