エクボが彼に取り憑いてる
※同棲主
私の彼は、時折別人のように見える時がある。
姿形はそのままなのに、でも中身がすり替えられてしまったような。
1人で買い物に出て行って、帰ってきたらもう”違う”のだ。
靴の脱ぎ方が違う。
コーヒーカップの持ち方が違う。
歩き方が違う。
『--』
でも私を呼ぶ声は彼で、その眼差しも彼のもの。
最初は気のせいだと思っていた。
けれど幾度も違和感を抱くことがあって、その頻度は週に何回もある。
私たちの生活が脅かされるような何かがそれ以外に起こることは無く、いつもは「違う」と思ったその日の内に、いつの間にか元に戻っているから触れずにいた。
それなのに。
『おはよう』
「……おは、よう」
『? どうかしたか?』
初めてだ。
日を跨いでも、”違う”ままだなんてことは。
挨拶を言い淀んだ私を不審がりながら、『彼』は伸びをしてベッドから立ち上がった。
その後ろ姿を見送り、私も後に続いて洗面所に向かった。
「……」
『あ”ー……ペッ』
2人並んで歯を磨き、『彼』が口を濯いで顔を洗い、一足先に出て行く。
飛沫が飛び散る普段と違って、壁や床が綺麗なままのその仕草を見て、「やはり違う」と確信を持ってしまった。
毎朝文句を言いながらその後始末をしていたのに、いざやらなくてもよくなると寂しいんだな、と頭の片隅で思った。
---
いつ戻るのだろう。
昼を過ぎ、夕を過ぎ、夜を迎えても『彼』はまだいた。
その間は彼と変わらぬように過ごしていて、時々『彼』であることを忘れてしまう程自然に一緒にいてしまった。
料理をした私に代わって洗い物をしている『彼』の背中を見つめながら、食後のお茶を啜る。
そうしていると洗い物を終えた『彼』が手を拭き私の向かいに腰掛けた。
テーブル脇に置いていた彼の湯のみをひっくり返して、お茶を注ぎ差し出す。
「洗い物ありがとう」
『ああ。茶、どうも』
「…………」
時計を見れば、昨晩彼が買い物に出掛けた時間を回っていた。
それは必然、丸1日『彼』が過ごしたということになる。
彼はいつ帰ってくるんだろう。
そっと温くなった彼とお揃いの自分の湯のみを両手で包んで、残り僅かな茶を見つめた。
『何か悩んでんのか?』
「えっ?」
『不安そうな顔してるからよ』
「あ……それは……」
元凶が目の前にあるのに、そうと言っても良いものか。
逡巡している内に、残り少ない私の茶を継ぎ足そうと『彼』が急須を持った。
それが傾けられる前に私は「大丈夫です」と手で制する。
なんとなく、2人の物を『彼』に満たされるのが憚られて。
「……あの」
『ん?』
手の中の湯のみに、少しだけ力を込めた。
固い私の声音に、『彼』は首を傾げる。
その目を見て、やはり口にしようと覚悟を決めた。
「アナタ、違う人ですよね」
『……』
「時々、彼に成り代わってるのには気付いてました」
指先が震える。
もしかしたら、声もかもしれない。
それでも言い切った。
「今日1日……昨日の夜からずっとアナタでしたよね。いつ彼は帰ってくるんですか?」
汗を滲ませている私と違って、『彼』は眉ひとつ動かさずに私の問いを聞いていた。
口をつけられていない彼の湯のみからはまだ湯気が登っていて、私と『彼』の間で消えていく。
その立ち上がる湯気がフッと揺らめいたかと思うと、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
『なぁんだ、気付かれちまってたか。面白かったのによ』
『彼』の口元が歪んで、人差し指の先で彼の頬をトントンと示すようにしている。
『見えねぇのによく気付いたな。長年連れ添った勘か何かか?』
「……っ」
声を出そうと口を開いたのに、出てきたのはただの呼吸音だった。
急に恐怖が体を蝕んで動けないでいると目の前の『彼』は笑みを一層深めた。
『俺様、エクボってんだ。ヨロシクな』
よろしく……?
足にも指にも力が入らないのに、ガタガタと勝手に体が震える。
縋るように視線だけで『彼』に訴えた。
お願いだから、彼を返して。
そう言いたいのに、嫌な予感が止まらない。
『帰ってくるのはいつになるだろうなぁ?帰ってこれたらいいけどな』
「……な、………だって……」
昨日までは彼だったのに。
昨日の夜まではいつも通りだったのに。
何で。
どうして。
『改めて仲良くしてくれよ。なあ?』
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