「お前の気持ちを分かってやれるって言えない。俺はそれが辛い」
頭を抱えたまま動かない駒浦に、俺はかける言葉が見つからない。
「お前のきれいごとはもう聞き飽きた」
ただ、思うままに話していた。話さないと、駄目だと思った。
「俺の言葉の何分の一がお前に伝わるんだろうな」
少し離れてしまった駒浦との距離を詰めた。それでも駒浦は一歩も動かない。
ちゃんと腰を落ち着けて、俺はただ一人呟いた。
「俺だって、お前みたいに器用に、上手く生きられたらと思っていた。俺がもっとちゃんとした人間だったら、あいつを……柚希を一度だって悲しませることはなかったんだ」
駒浦は黙ったままだ。それでいい。聞いても聞かなくてもいい。これは俺の戯れ言なのだから。
「俺はお前が羨ましかった。お前みたいな奴に、なりたかった」
交錯するお互いの「希望」。それは自分の暗い影を見つめて見つけた、しかし俺たちには手に入ることのない光だった。そんなことでけんかして、何になる? こんな言い合いをして、誰が得をする?
あいつは、柚希はどんな顔をする?
俺は話すことをやめた。手に入れられないものを惜しむ気持ちを分かち合ったところで、結局手に入らないのだから。ただ、こいつみたいな奴が俺のことを羨むなんて間違っている――それだけは思った。
「だから……俺みたいな奴を羨んだりするな」
駒浦がようやく顔を上げた。
「勝者の余裕だな。いくらでも言え」
いつも通りの皮肉だ。笑顔が少々様になっていないが、それはそれで面白かった。
「もう、帰るか」
「そうするよ。……あーあ、授業さぼったの初めてだなぁ」
駒浦が勢いよくジャンプして、俺の先を歩き始めた。袖で顔をこすっているのを見て、その足取りの意図が少し分かった。
去り際にふと脳裏に浮かんだ顔があって、俺は先を行く駒浦を呼び止めた。
「お前を思ってる人はもっと近くに居る。余計なお世話かもしれんがな」
それは、仁岡の顔。歩みを止めた駒浦は、言葉を探しているようだった。
「ああ、そうだな。分かってるよ」
ほんと、近くに居てくれるんだ。そう呟いて、振り返った駒浦は寂しそうに笑った。
その日もまた、駒浦と柚希の家に向かった。必要以上に周囲に気を配って歩いていたけれど、誰もいないみたいだった。
「昼さ、先生に呼ばれて」
駒浦が思い出したように口を開いた。
「そういえば、そうだったな」
「大学決まったんだ」
……推薦、か。駒浦の実力ならそんなことも出来るのか。
「おめでとう、羨ましいな」
俺の言葉に駒浦は苦笑した。伸びを一つして、そのついでにあくびもしていた。
「あとはお前らを待つばっかりだなー。それはそれで暇だな」
お前ら、か。しっかり柚希が頭数に入ってる。
玄関の前に来ると、二階の方で窓の開く音が聞こえた。
「望道!」
俺は手を上げてそれに応えた。柚希が手の平をこっちに向けて「ちょっと待ってて」のジェスチャーをした。窓が静かに閉められる。
「……お前、今度は逃げんなよ」
「怒ってんの? あの後二人っきりでいちゃついてたくせに」
へらへらと笑ってくる駒浦を肘で強めにどつく。……今、怒ってるよ。
「ごめんね、なんか昨日また急に熱が上がっちゃって。大事を取ったの。明日は絶対行くよ」
今日はお母さんも仕事でいないらしい。柚希が紅茶を出そうかと言ったが、今日はさすがに長居をするつもりもなかったし、病人にそんなことをさせるわけにはいかなかった。
「ああ、急がなくていいよ」
「そうそう、焦るとまた熱上がっちゃうからね」
他愛無い話で今日のところは帰ろう。今日あったことはまた今度話そう。さっき駒浦とそう決めたのだ。
「今日はこの前話した電磁波とエネルギーの話を思い出してたよ」
「よく覚えてたね」
微笑んで、柚希は目をつむったまま天井を仰いだ。居間の天井には、最近流行の丸いLEDライト以外に何もなかったけれど、俺も駒浦も彼女に倣ってその優しい光を見つめた。
「人間の目で見えるものは全て可視光線の反射だと思うと、世界って、人間の目では見えないものに溢れてる。――本当に、不思議としか言いようがない。
宇宙全体のエネルギーの比率は、物質4%、ダークマター23%、ダークエネルギー73%だから、恒星の電磁波のエネルギーが『目に見える』ものが大半だと言っても、それは宇宙全体から見たらほんのわずかでしかないの」
「宇宙のエネルギーのほとんどは、出所がよく分からないものばかりってことか」
俺の確認に、柚希はゆっくりと頷いてくれる。
「直接観測できないものをあの手この手で解明しようとする。その方法を作り出す。それが、宇宙物理学の姿よ」
直接観測できない、それは……。
「直接観察できないという点で、人の気持ちも一緒かもしれないね」
駒浦が発した言葉は、俺が思ったのと全く一緒だった。
「分かったら苦労しない。でも実際は分からないから、人は相手のことを思って奔走して、相手のことを考えるだけで苦しくなる。それだけに、手段を選べなくなることだってあるのかもしれない」
電灯の白色光から沈黙が降りる。この優しい光に当てられてもなお見えないものがあるなんて信じがたいことだったけど、近くにいても見えないものは本当にあった。……駒浦の全ては、この言葉だったのだろうか。
玄関まで柚希が見送りにきてくれた。
「じゃあ、また」
「うん、また明日」
あくまでいつも通りの言葉で、誰よりも、一秒でも離れたくない人と俺は別れる。またやってくる明日を俺は心待ちにして帰路につく。
【了】