福ノ子
 団地アムネジア2


 ケーキを食べ終え、各々が適当にくつろぎ始めた所で、唐突に腹の虫が鳴った。ベッドの上で黒猫とじゃれていた伊織も「ひろむくん、おなかしゅいたの?」と大きな目を瞬いている。
 そういえば時間に追われて、まともな昼食をとっていない事に気がついた。

「……なんか食うか?」

 徐に腰を上げた駆蹴が、冷蔵庫をあさり始める。さすがに迷惑だろうと躊躇したが、振り返った駆蹴は微かに表情を緩めた。

「この前、伊織とお好み焼きした時の材料が余ってんだ。食ってくれると助かる」
「でも、」
「そのうち八重たちも来るだろうから」

 そう言うと駆蹴は、キャベツを掴んでキッチンへ引っ込んでしまった。「おぼろのせる〜」とはしゃぐ伊織の下半身が、玉こんにゃくの如く揺れている。それを複雑な思いで見つめながら、この前あいつとお好み焼きしたのか? と出かかった質問を飲み込んだ。

「……伊織、もうパンツ乾いてるんじゃないか」
「いや! ちゅめたいもん」
「その格好の方が、寒いだろう」
「むう」

 不服そうな伊織が頬をぷくっと膨らませると、バーンと玄関が開いた。

「駆蹴ーっ、伊織いる?」

 底抜けに明るい八重の声。「お前、チャイムくらい鳴らせ」とつっこむのは龍二だ。

「やえたーん!」
「おー、なんでフルチン」

 お迎えに走った伊織が、八重に飛び付く。

「やっぱりなるひろもいたー!」

 俺を見つけた八重が「久しぶり〜」と無邪気に笑う。龍二と淫らに絡み合っていた姿がよみがえって顔が引きつったが、何とか笑顔を浮かべることに成功した。

「八重、元気だったか」
「お昼に来るって言うから待ってたのに!」

 いや、誰のせいだ。

「ビール買ってきたから俺たちも混ぜてよ」

 八重はともかく、こちらに気づいていた龍二すら全く悪びれず、コンビニの袋から缶ビールを出している。敢えてむし返すメリットも無いが、少しは気まずそうにしたらどうだ。

「何か、つまみねーの」
「冷凍庫にイカがあるけど」
「いいね〜、炙ろうぜ」
「ちょっとあんたたち、準備手伝いなさいよ」

 ホットプレートを用意する桜を後目に、男衆はしれっと缶ビールを開けていく。あっという間に騒がしくなった部屋は、別の種類の心地よさに包まれた。

 なんだ、悪くない。
 うるさいくらいの笑い声と、人が集まる温度。
 彼らとの関係には変な堅苦しさもなければ、特別な気遣いも必要ない。

「昼ビール最高〜」
「みんな、おさけくちゃい」
「お子様はジュースな」
「むう!」

 鼻をつまむ伊織に、ご機嫌の龍二がオレンジジュースを渡す。すると、憤慨した伊織が「あかちゃんじゃないもん!」と尖らせた赤い唇を、駆蹴の頬にぷちゅっとくっつけた。

「……っ」

 箸でつついていたイカが、勢い余って宙を舞う。それはきれいな放物線を描くと、龍二の腕に着地した。

「熱っぢぃ!」
「龍、ナイスキャッチ!」
「かけるしゃんも、いおりにちゅーして!」
「……、大人になったらな」

 呆れた駆蹴の横で「大人になったらするのか」と問い詰めそうになるのを耐える。縺れる心境は、まるで一人娘を持つ父親のようだ。
 誤魔化すように缶ビールをあおると、笑いを堪えた桜がまた肩を震わせていた。

 優しい春風が舞い込む2号棟103号室。
 玄関を埋める雑多な靴と同じ数の笑い声。
 それは、開け放たれた窓から賑やかしく溢れた。


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