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(C)Yuuki nanase 2010 - 2013



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守りたいもの
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 トントン、トン

閉じられた楽譜の表紙の上で梨子の指先が跳ねる。

週明け初日の放課後。練習室の予約時間が来るまでの間、梨子は一人屋上のベンチに座り、携帯音楽プレイヤーから流れる音楽に耳を傾けていた。時折膝の上に置いた楽譜の上でリズムを刻みながら。

梨子が聴いているのは、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲。資料室から借りてきたいくつかのCDを聴きながらイメージを固めていた。指揮者やソリストが変われば雰囲気はガラリと変わってしまう。梨子は自分がどう演奏すべきかを模索し続けていた。

前回のオケ練習で自分の不甲斐なさを痛感し、同時に恵介や潤の期待を裏切るような演奏をしてしまった。結果として、信用失墜には至らなかったものの、あんな演奏は二度としないと誓った。

「……違う」

第二楽章半ばまで聴いたところで停止ボタンを押した。今聴いていた演奏は自分の解釈とは異なる音楽であると梨子は判断した。そして、はっきり話し合ったことはないけれど、恐らく恵介の解釈とも異なるだろう。

プレイヤーの中のCDを別のものに入れ替えて再生ボタンを押す。俯き目を閉じて耳に流れ込む音楽に集中し始めた梨子の指は、再び楽譜の上で踊った。

しばらくして曲が第二楽章に差し掛かった頃、人の気配を感じて目を開けた。足元に影がかかっているのを見て梨子が顔を上げると、そこには音楽科の制服を着た一人の女子生徒が立っていた。

一瞬戸惑いを見せた梨子だが、その顔に見覚えがあることに気付いた。彼女は学内オケメンバーの発表があったあの日、梨子とぶつかった女子生徒だった。梨子はイヤホンを耳から外しながら自分を見下ろす女子生徒を見据えながら、

「何か御用ですか?先輩」

わざわざ目の前に立っているのだから十中八九自分に用があるのはわかっている。そして、その用件に関しても梨子は薄々気付いてはいたが。

「聞いたわよ」

しばらくしてからその女子生徒が口を開いた。

「聞いたって、何をお聞きになったんでしょうか?」

答えの予想はついている。そしてそれはとても確信に近いもので。

「土曜日の練習のことよ」

ああ、やっぱりだ。梨子は心の中で呟いた。ある意味あれだけインパクトのある演奏をしたのだ。話が広がっていてもなんら不思議はなかった。

「そうですか」

梨子がそれだけ返事をすると女子生徒は眉間に皺を寄せた。

「言い訳はしないのね」
「自分の力不足が招いた結果ですから」
「……そう」

それだけ言って女子生徒は黙ったまま梨子を見つめた。その目には様々な負の感情が見え隠れしていた。

「辞退する気はないの?」
「何をですか?」
「……何って、ソリスト…………いえ、ゲストメンバーを」

特に驚く様子もなく、目を細めてじっと女子生徒の目を見つめる梨子。そしてしばらくの沈黙の後で口を開いた。

「何故辞退する必要があるんです?」
「……何故って、逆にこちらが聞きたいわ。あれだけ不様な演奏をしておきながらなお、何故あの場に立ち続けようとするの?」
「そんなこと、先輩にお答えする義理はありません」
「なんですって?」

顔色一つ変えずに言い放った梨子に対し、女子生徒の顔が怒りで徐々に赤くなっていく。梨子にしてみれば、あの時の演奏を聴いてもいないのに不様だと酷評されたあげく、いきなり不躾に尋ねられても応えてやる義理もない。

「宮川さんあなた生意気よ!一年のくせに、ゲストに選ばれるなんて。あげくにソリストにまで……」
「うーん……そうですね」
「そうですねって……あなた、本当になんなの?!どうして二葉先輩はこんな子を選んで……」

そこまで言いかけて女子生徒は口をつぐんだが、梨子は聞き逃さなかった。

「先輩……もしかして、恵介先輩のこと……」
「な、なんで名前呼びなのよ?!」
「えっ、あの、や、これはなんていうか、その、潤先輩の指令というか……複雑な事情があってですね」
「は?」

最終的に本人の許可は得たものの、名前呼びに至った経緯は詳しく説明すると少々面倒くさい。だが、簡潔に言ってしまうとすれば、それは完璧ななりゆきだ。

「…………辞退しなさい」
「え?」

はじめて梨子の表情に変化が起こった。それは驚きの顔。陰で色々言われていることは知ってはいたが、まさか直接辞退を迫られるなんて、とんだ予想外だ。

「一年のあなたにゲストメンバーは相応しくない」
「学年って関係あるんでしょうか?」
「こういうのは上級生から選ばれるものでしょう?!」
「選ばれたのは私の意思ではないですし、そもそも音楽は学年でするものじゃないと思いますけど」
「っ、あなたのそういうところが……!」
「僕も一年なんですけど、辞退すべきですか?」

ふいに聞こえた第三者の声。梨子と女子生徒の二人が同時に声のした方へ顔を向けると、そこには遥が立っていた。

「……遥くん」
「こんにちは、梨子ちゃん」

遥はいつも通りニコニコしながら梨子たちの方へゆっくりと近付いてくる。

「遥くん、どしたの?」
「ん?どうしたって、梨子ちゃんに会いに来たんだよ」
「私に?」
「そう、梨子ちゃんにすごく会いたくなってね。探してたんだ」
「え、そうなの?!」
「うん。だけど見つかって良かった。……何だかタイミングも良かったみたいだし、ね」

梨子を優しい眼差しで見つめながら頭を撫でていた遥は、目線を梨子と対峙していた女子生徒へと移した。

「僕も一年なんですが、辞退すべきですか?」
「そ、それは……」

いきなりの遥の登場に動揺を隠せないでいる女子生徒。そんな彼女に遥はさらに、

「自惚れるつもりはないですけど、僕たちを選んだのは大学部音楽科の中でもエリートである学内オケの先輩たちであって、そんな先輩たちが僕らに実力があると判断されたから僕らはあの場にいるんです。しかし、僕らが適格に欠けているとおっしゃるのなら、それは大学の先輩方の判断ミスだと言うのと同じことだと思います」

遥のもっともな言い分に女子生徒の顔色は段々と失われていくように見えた。





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