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柔らかな陽射しと共に
1 / 3 「ふいー」 朝からずっと練習室にこもっていた梨子は、数時間ぶりに練習室を出てのびをした。そのまま一度休憩をしようと、リビングへと足を運びその扉を開けると、 「梨子、お疲れさま」 「ゆ、優ちゃん!」 そこには何故か優希が一人ソファーでくつろぎながらお茶を飲んでいた。手を振りながら微笑む優希に駆け寄った梨子は、隣をポンポンと叩かれ促されるままにストンと隣に座った。 「あと三十分しても練習室から出て来なかったら、突入しちゃおうと思ってたんだ」 「え?どして?」 「お茶に誘おうと思ってたんだ」 「あれ、でも」 優希の前のテーブルを見ると、そこにはすでにカップの半分ぐらいまで減っている紅茶と、その横には優希が読んでいたと思われる経済学の本。 「まあ、これは飲み会でいう一次会の前に飲んじゃうゼロ次会って感じかな」 「そ、そんなのあるんだ」 「飲むのが好きなやつはね。一次会の時にはすでにぐてんぐてんで使いものになんねえの」 俺はしないけどね、と言って優希は苦笑いを浮かべた。 「ただここに居るっていうのも逆にカオルさんたちに気を遣わせちゃうから、お茶だけ貰ったんだ」 「そっかあ。でも呼んでくれて良かったのに」 「さっき一回だけ練習室のドアのガラス覗いたら梨子集中してたから。邪魔したくなかったんだよ」 「ごめんね。待たせちゃって」 「俺がアポなしで勝手に来たんだから、梨子はなーんも気にすることないんだよ」 申し訳なさそうな顔をする梨子の頭を優希はニコニコしながら優しく撫でた。そして優希がポンと自分の膝を軽く叩いたかと思うと、 「よし、じゃあ行こうか」 「え?」 すくっと立ち上がった優希を梨子はキョトンとした顔で見上げた。 「カフェ櫻井のテラス席に招待するよ」 「カフェ櫻井?」 「そ。今日は天気がいいからウチの庭でお茶しよう?良い気分転換になると思うよ」 * * * 櫻井家の中庭の芝生には白いテーブルと椅子がセッティングされていた。座る梨子の傍らへと立つ優希は紅茶をカップへと注いでいる。 「今日の紅茶は友達がイギリス旅行に行ってきた時のお土産なんだ」 「すごく良い香り!」 「俺、あまり紅茶の良し悪しってわかんないんだけど、これは香りだけで良い紅茶ってわかったよ。はい、どうぞ」 「ありがとう!」 優希がいれた紅茶のカップを受けとって、梨子はまずその香りをゆっくりと吸い込んだ。自然と気持ちが落ち着くような、柔らかい香りが胸いっぱいに広がった。 「いただきます」 梨子はフーと少しだけ紅茶を冷ましてからカップに口をつけた。 「おいし?」 梨子の向かい側に座った優希が自分のカップを手にしながらニコニコと笑っている。 「おいしい!」 「そっか。良かった」 梨子の嬉しそうに笑うのを見て優希はホッとしたような表情を浮かべた。 誰かが連れ出さなければ梨子は今日も一日練習室にこもっていただろう。練習に集中するのは良いことではあるが、根を詰めるのは良くない。優希は梨子が休息を取るためのきっかけを作りたかったのだ。 「高校生活は慣れた?」 「うん、中等部の時の友達がみんな同じクラスだったからね」 「そかそか。それは俺も安心したよ」 「でもね、勉強がやっぱり中等部の時より難しいよ」 「それは俺も苦労したなあ」 中学から高校へ進学してからまずその違いに誰もが戸惑うのは勉強である。教科書の進むペースがあまりに早過ぎてついていけなくなってしまう生徒が必ず出てしまうのだ。 優希は親友である修司や兄の大輝の協力のおかげで無事に大学へと進学することができた。 「俺が言うのもなんだけど、勉強はできる時にしておいた方がいいよ」 「え?」 「勉強しても将来なんの役に立つんだなんて言うやつがいるけど、勉強することは可能性を広げることだから、怠っちゃいけないんだ」 「……可能性?」 「そう。いざやりたいことを見つけた時にね、偏差値が足りないとか知識が足りないとかで諦めるなんて嫌じゃない?あの時に勉強しておけばよかったなんて後悔しても無駄なわけだし」 高校時代や若い頃は将来の展望など漠然としか持てない人が多いだろう。しかし、何がきっかけでやりたいことが見つかるかわからないではないか。そんな時に過去の怠慢を嘆いても後の祭りなわけで。 「俺はね、兄貴が病院を継ぐって決める前から会社の方に関わりたいって思ってたんだ。経済学の入門書を絵本代わりにしてたぐらいだし。だから早めに将来の目標は決まってたし、自分のやるべきことははっきりしてたんだ」 優希のように早くから将来の目標が決まり、そのために自分のすべきことを定め、その後も目標を変えることなく真っ直ぐ進んできた人間など極稀だろう。 |
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