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Stand by you.
1 / 4 「あ、またやっちゃった……」 土曜の朝、梨子は自宅練習室にて目を覚ました。休憩をしていた間に、いつの間にか床に正座をしてソファに顔を突っ伏すという不思議な体勢で寝てしまっていたようだ。 ソファから顔を上げて両手を見ると、持っていたはずのヴァイオリンがない。しかし傍らにあるケースを見ると、そこにはしっかりとヴァイオリンと弓が収納されていた。 「私すごすぎる。無意識にちゃんと片付けたんだ」 大事な相棒であるヴァイオリンを傷付けてはならないという意識が知らぬ間に働いていたようだ。 「今は……七時半かあ。五時までは記憶あったんだけどな」 ということは、梨子が眠りについてからまだ二時間半しか経っていないということだ。 「あともうちょっとだけ寝たらまた練習しよう」 今日の学内オケ初練習に備えて少しでも練習しておきたい気持ちは大きいが、どうにも今は眠気が勝ちすぎている。この状態ではまともに練習なんてできるわけがない。 梨子は練習室に持ち込んだ目覚まし時計をセットしてソファーに横になる。よほど眠かったのか、目を閉じるとすぐに眠りについた。 そして数時間後、梨子を眠りから呼び覚ましたのは、目覚まし時計の音ではなく人の声だった。 「……梨子」 「んー……」 「梨子起きろ!今日は練習日だろ!」 梨子がうっすらと目を開けると、そこには大好きな兄の顔があって。 「お兄ちゃん?」 「そう、兄ちゃん。起きた?」 「ん……起きた」 梨子はあくびをしながら身体を起こした。壁の時計を見ると、予定していた時間はだいぶ過ぎていた。 「あれれ?目覚まし止めたっけ?」 鳴るはずだった目覚まし時計の音を止めた記憶もなければ、それ以前に音を聞いた記憶さえない。梨子は疑問に思って目覚まし時計を手に取った。 「それ、電池切れて止まってるぞ」 「えぇっ?!あ、あぶなかった……」 修司が起こさなければ危うく遅刻するところであった。そんな梨子を見て修司はため息を吐く。 「また練習室で寝落ちか?」 「だってね、ちょっと寝たらすぐに練習しようと思ったの」 「ったく。練習したい気持ちもわかるけど、出来るだけ部屋で寝るようにしろよ」 「はぁい」 修司は梨子の体調だけが気掛かりなのだ。昨年末梨子の練習室睡眠が続いた結果、案の定体調を崩した。そういう経緯もあってか、修司は梨子の体調には今まで以上に気を配るよう心掛けていた。 「さ、シャワー浴びてご飯食べておいで。俺もフットサルしに行くから、通り道だし学校まで送っていくよ」 「うん!」 ヴァイオリンと電池の切れた目覚まし時計を手に練習室を出て行った梨子の背中を見ながら、 「また限界越える前にどっかで止めないといけないな」 夢中になっているところに水を差したくはないが、梨子の身体に何かあってからでは遅いのだ。そんなことを考えながら、修司は梨子を追って練習室を出た。 * * * 「修司どした?」 「なにが?」 「険しい顔してる。なんか心配事?」 修司と一緒にフットサルをしに行くため宮川邸にやってきた優希は、さきほど修司と顔を合わせた時からその浮かない表情がずっと気になっていた。あまりに修司が深刻そうな顔をするので、玄関前に止めた修司の車の横で梨子が来るのを待っている間、優希は尋ねてみることにした。 「あ、いや……なんでも」 「なんでもないって顔じゃないけどな」 ごまかそうにも、付き合いが長いとほんの些細な違いにだって気付いてしまうのだ。今の修司がいつもと違うのなんて優希にしてみれば一目瞭然である。 優希に見抜かれていることを悟った修司は、観念したようにポツポツと胸の内を語り始めた。 「あー……梨子が、さ」 「梨子?」 「最近、練習ばっかりであまり寝てないんだと思うんだよ。今朝も練習室で発見したし」 「あれだろ。学内オケの練習」 「そう。なんか梨子もプレッシャー感じてるみたいで、それを払拭するためにとにかく練習してるんだろうけど、オーバーワークでパンクしなきゃいいと思ってる」 プレッシャーを跳ね退ける一番の方法は自分に絶対の自信が持てるようになるまで練習を重ねること。それは修司もよくわかってはいるのだが。 「なるほどな。学校でも放課後だけじゃなくて昼休みも練習に明け暮れてるっていうのは蒼から聞いてたけど」 確かに心配だな、と優希は複雑そうな顔で空を仰いだ。確かに梨子の晴れ舞台を楽しみにしているが、無理はして欲しくないと思っているのは修司だけではない。優希をはじめ櫻井兄弟全員の想いでもあるのだ。 「だからって、これに関しては梨子も周りがなんか言っても聞かねぇだろ?いざとなったら強制的に止めに入るけど」 「うん。ウチの兄弟も全員で気をつけておくし」 「……悪いな。頼む」 修司は申し訳なさそうに言った。出来る限り気を付けようにも二十四時間修司が梨子を見ていることはできない。他に梨子を見守っていてくれる人間がいるのはありがたいことだ。 「任せろ。梨子が可愛いのはみんな一緒なんだから」 ニカッと笑いながら優希は修司の肩をポンと叩く。修司もさきほどより幾分か表情が和らいだ。 優希のやることに迷惑被ることもよくあるが、それと反対に頼りになると思うこともたまにはあるのだ。このような時に支えになるのは、さすが長年共に過ごしてきた相方である。 「だからさ」 笑顔のままふいに口を開いた優希を修司は首を傾げながら見る。 「梨子ちょーだい?」 「断る」 修司はノータイムで拒否した。ついでに冷ややかな目付きで。 「そこをなんとか」 「何度頼まれても無理」 食い下がる優希だが、そこをなんとかも何もいくら頼まれても無理なものは無理だ。 そもそもこのやりとりは今まで何回繰り返してきたか。優希も本気でないことは修司もわかっているが、そろそろこの繰り返しに飽きて欲しいものだと思った。 「仕方ない。今回は諦める」 「今後も諦めろ」 「それは無理!だってさ……あ、梨子おはよう!」 玄関の扉を開けて出てきた梨子の元へ優希は駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。 「わっ!おはよう、優ちゃん」 いきなり抱きしめられて梨子は一瞬驚いたが、すぐに笑顔になって優希の背中に腕を回した。 |
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