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(C)Yuuki nanase 2010 - 2013



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Stand by you.
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「あのね、ソリストなんて初めてなら誰でも緊張して当然なんだよ?」
「でも、さっきの私は……」
「いくらプレッシャーに潰されそうになっても最後まで演奏続けたじゃん。それだけで偉いよ」
「……潤先輩」
「一番駄目なのは逃げること。梨子ちゃんは逃げなかった。最後まであの場所に立ち続けた」

逃げる。梨子はさきほど自分が考えていたことを思い出して、胸が締め付けられたような気がした。

「私は……何度も逃げようと思いました」
「うん」
「二葉先輩に話があるって言われて、ソリスト交代って言われるんじゃないかと思って」
「まさか!それはないよ」
「でも、いっそのことそうなってしまえば良いって……思ったんです。私は辛さから逃げました」

梨子が打ち明けた胸の内を聞いた潤は梨子の頭をそっと撫でながら、

「まぁ、一回ぐらい逃げてみてもいいと思うけど」
「え?!」

さっきとは真逆な発言をした潤に梨子は驚き、目を見開いた。

「だけどね、梨子ちゃんが逃げたとしても恵介が必ず追い掛けて連れ戻すと思うよ」
「二葉先輩が?」
「うん。だって恵介は梨子ちゃんの音にぞっこんラブだもん」
「え?」
「一目惚れならぬ一耳惚れみたいな。この公演が終わるまで恵介は梨子ちゃんのこと手放さないと思うから、むしろそっちの覚悟が必要だよ」

大丈夫?と尋ねて来る潤に、梨子は微笑みながらハイと返事をした。

「ようやく笑ったね。安心した」
「ありがとうございます、潤先輩」
「メンバーの悩み相談も俺の仕事だからね。ついでに俺の悩みも聞いてくれる?」

自分がこんなにお世話になったのだから出来る限り潤の力になりたいと思った梨子はすぐさま頷いた。

「恵介のことなんだけどね」
「二葉先輩……ですか?」
「うん。さっきシベニの練習中にいきなり爆発しちゃってね、まさか今日からいきなり本領発揮するなんて予想外だったよ」
「そ、そうなんですか」

梨子が上の空だった間にそんなことがあったらしい。

「今もだいぶ不機嫌だよ」
「……はい」

そんな恵介とこの後で話をする予定の梨子は、かなり辛口な叱咤を覚悟した。

「今は外で気持ち落ち着けてるみたいなんだけど、梨子ちゃんに頼みがあるんだ」
「はい。私で出来ることなら」

即答した梨子の耳元に口を寄せた潤はボソボソと何かを耳打ちした。予想外の頼み事に、

「それだけですか?」
「結構効果は大きいはずだよ」
「そ、そうなんですか?……はい、わかりました。やってみます」

頷く梨子の頭を優しく撫でながら、

「頼んだよ。じゃあ、俺は帰るけど、恵介にそろそろ戻るように言っておくから」
「はい、ありがとうございます」
「おつかれさまー」
「お疲れ様でした」

手を振りながらホールを出て行った潤を見送る。ついにこの場には梨子一人となった。しばらくして、恵介が戻ってきたので梨子は立ち上がって迎えた。

「悪い、待たせた」
「いえ、あの!」
「なに?」

恵介は梨子の前に立ち止まる。身長差がある分、梨子が恵介を見上げる格好だ。

「その、さっきはすいませんでした!」
「は?」

勢い良く頭を下げた梨子に恵介は動揺している。顔を上げた梨子は恵介の目をじっと見つめながら、

「二度とあんな演奏はしません」
「……お、おう。わかった」

恵介は梨子の勢いに完璧に押されていた。

「恵介先輩の期待に必ず応えてみせますから!」
「わかった…………って、は?」
「え?」

口を開けて驚いたように梨子を見ている恵介に梨子は首を傾げた。

「今なんつった?」
「期待に応えますから?」
「ちげぇ、その前だ!」
「前……?あ、恵介先輩?」

再び呼ばれて恵介の顔が少しだけ赤みを帯びた。梨子はそれに気付かず、首を傾げたままじっと恵介を見つめた。

「誰の入れ知恵だ?」
「え?」
「そう呼べって誰に言われた?……って、潤だろ?他にいねぇだろうが」
「は、はい」

御明察。恵介の眉間にシワが寄っていることに気付いた梨子は自分は何か言ってはならないことを口にしてしまったのだと思い、再び勢い良く頭を下げた。

「ご、ごめんなさい!」
「はぁ?」
「だって、二葉先輩がそんなに嫌がるなんて知らなくて。本当にごめんなさい!」
「おい、俺は嫌だなんて一言も言ってねえだろ!」
「へ?」

梨子が顔を上げると、恵介は照れたような顔で、

「いいよ。別にこれからも名前で呼んでも」
「嫌じゃないんですか?」
「そんなこと誰が言ったんだよ」
「でも……」

さきほどの恵介の表情を思い出すと、やはり名前で呼ばれるのは本当は嫌なのではないかと梨子は考えていたが、恵介のあの時の眉間のシワは潤が余計な入れ知恵をしたことに対するものだ。余計なお世話だと思いながらも、恵介にしてみれば梨子にナマエを呼ばれるのなんて大歓迎なわけで。

「俺がいいって言ってんだろ」
「は、はい」

思わずいつもの俺様モードをだしてしまった恵介は、目の前でシュンと小さくなってしまっている梨子を見て後悔した。そんなつもりじゃなかったのに。最初は梨子に笑顔を取り戻してもらうつもりで呼んだのたが、これでは逆効果だ。そこで恵介は、

「チャイコンの第一楽章」
「え?」
「途中、ぶっちゃけ鳥肌立った」

まだまだ改善の余地はあるが、それでもまだまだ可能性を感じさせる演奏だったのは間違いない。

「俺の直感に間違いはなかったと思った」
「…………」
「それは今も変わってない」

あれだけ梨子らしくない演奏を聴いても、恵介の確信は揺らぐことはなかった。

「ソリストは、お前だ」
「……っ、はい!」

梨子の笑顔を見て、恵介は胸を撫で下ろした。そう。これでいい。梨子が何度自信を失っても、自分が何度でも伝えてやるつもりだった。恵介が理想とするソリストは梨子以外にいないということを。

「まだ時間あるか?」
「え?あ、はい」
「ちょっと付き合え」
「ど、どこにですか?」

スタスタと出入口へと向かって行く恵介に梨子は慌てて問い掛けた。すると戸口付近で立ち止まった恵介は顔だけ振り向いて、

「そこの休憩スペース。練習で怒鳴り散らしたら喉渇いて仕方ねえの。茶おごってやるからついて来い、梨子」

恵介に初めて呼ばれた名前。梨子は嬉しくなり、先に出て行った恵介を追い掛けた。



たとえ自分が信じられなくなっても、どうか忘れないでほしい。

いつでも君を信じてる人間がいることを。

君を支えたいと願っている人間がいることを。


Stand by you.
 
ぜったいに書きたかった話
(2010/06/23-2010/07/27)




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