2-2ヶ月目

 我ながら自分の行動は子供っぽかったと思っている。
 あのあと、松田と会うのが嫌でシャワーを浴びようと家に帰った。翌日は夕方から京都に行かねばならないからと、先に身支度を整えることを言い訳にしたのだ。
 いまは観光シーズンだとかなんとかで、中々宿が取れないはずとのことだったが、あっちの刑事部さんのツテでなんとか確保してくれたらしい。電話では「せっかくなんやしええとこ予約しときましたわ。時間空いたら、観光でもしてきはったらどうです?」と言っていた。
 だから余計に、何がなんでも紙媒体の押印待ちの仕事だとか資料の確認はやらねばならないし、ここは大人なのだから気持ちを切り替えるためにと家へ走ったのだ。
 荷物の中身を入れ替え、洗濯機を回し、その間にシャワーを浴びて、髪の毛を乾かし、終わったらしい洗濯物を風呂場に干して、浴室乾燥ボタンを押し、さらに部屋中を掃除して、ゴミがないことを確認する。
 部屋を見渡した。空っぽの部屋。それ即ち嫁に行く準備ができているということだが、人生とはそううまくいかないものだ。いまの私と、松田のように。
 きれいな服を詰めたキャリーバッグを手に、私は家を出て再び本庁に向かった。

 仮眠後の業務はいつも通り始まり、近況報告会やらなんやらが終わったので、それと同時に小会議室に立てこもった。あとは数が少なくなった押印待ち書類を確認するだけだ。これさえ終われば、新幹線の中で寝ることができる。
 ポケットの中でピロン、と携帯電話が音を発した。送り主は、伊達だ。
『もう行っちまったか?』
 画面に映った文字を見てからポケットにしまった。
 伊達は悪くない。誰も悪くない。いや、強いて言うなら私が悪い。今開いて、返事をすれば良いはずなのに、なぜか全てが面倒くさくて、いやなのだ。
 何度目かわからないため息を吐いて、目の前の書類に日付印を押した。腕時計を見て、現在の時刻を確認する。
 十四時、か。
 可能であれば十九時までに来るように京都府警の担当者には言われていたので、電車の時刻を調べてみた。三時間ちょっとあれば到着するようだ。であればまだ時間に余裕がある。少し早いが、もう出ても良いかもしれない。片付いていない事件の報告書は、ファイルサーバーに上がっていたから京都に行ってからやればいい。
 私は小会議室内を片付け、キャリーバッグを手にリュックを背負って、サイバー犯罪対策課へと向かった。中に入り、押印した書類を一人ひとりに渡していく。
「じゃあ、悪いけどまたよろしくね」
 部下には精一杯の微笑みを見せ、早々に去ろうと足を出口へと向けた。
「相川警部! あの」
 声をかけてきたのはよくかわいがっている部下だった。疲れているときに限ってコーヒーを淹れてきてくれたりしてくれる、よくできた部下だ。人間をよく見ている。
「お願いします。無理、しないでください」
「え? してないよ」
「本当ですか?」
「ほんとほんと。楽しく仕事してるよ」
「私たち、心配なんです」
「心配って、そんな」
「だって」
 彼女の声は少しくぐもって、かと思えば今度ははっきりと私へ物申す。
「だって、警部は一度、私たちに何も言わないで覚悟を決められたじゃないですか」
 つい、一ヶ月前のことだったろうか。プラーミャとの決着は、公安の彼に助けられて幕を閉じた。それがなければ、死んでいたことだろう。
「警部の大丈夫は、信用していません」
「肝に銘じておくよ」
 大丈夫、大丈夫。
 笑って言ったつもりだが、彼女はひとつも笑ってくれない。どこか彼女、松田に似ているんだ。私を心配しすぎるところとか。
「わかったよ。気をつける」
「絶対ですよ」
 部下はなんだか泣きそうな顔をしていた。だから「もー、だーいじょうぶだって」と笑みを向けるのだが、彼女はより一層、眉間に皺を寄せるのだ。
「わかりました。私にできることがあれば、言ってください」
「ん、ありがとう。じゃあいってくる」
 なぜ彼女が、あんなに悲しそうな顔をするのか、私にはさっぱりわからなかった。
「あ、」
 背をむけようとしたところで、再度彼女から声が溢れた。
「……ん?」
「い、いえ」
「なんだ? 時間ならまだあるから聞くぞ」
「そ、その」
「うん」
「松田刑事と、なにかあったん、でしょうか」
 周りの空気が、少し凍った気がした。もしかするとみんながみんな、気にしていることだったのかもしれない。
「えー、と。そうだな、ちょっと、喧嘩、かな?」
「喧嘩? なんでですか」
「まあ、ちょっと連絡をしばらくいれてなかったから、心配させて、な」
「そんなの、こんなに忙しいんだから仕方ないです」
「でも約束を守れなかったのは私なんだ」
「負担にはなってないんですか? その約束」
「なってない、て言ったら、嘘にはなる、かな」
「相川警部。その、距離を取るのも、ひとつの手だと、思います」
「……ん。そうかもね。助言として受け取っておく」
 松田とお付き合いを始めた私は、彼女から見て、それほど苦しそうだったのだろうか。
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