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 でかける気はさらさらなかったはずだ。それでも彼女が足を運んだのは、なぜだろうか。

 愛菜は現実を受け入れたくない一心で仕事に逃げた。けれど休みはきちんとあるもので、今年の流行でも確認しておくかと街にでた。ごみごみとした街中は自分の知っているものだった。このあたりなら無駄に登場人物に会うことはないだろうと妥協を踏んだのである。

 平日だというのにこの場所は変わらず人混みだった。それは東京なら当たり前のことである。さらに中心部とくればそれこそ当たり前だ。

 手近なショッピングモールにはいり、流行の服を見極める。若い男女ばかりだが、この場に集まる人間は基本的におしゃれさんが多いので愛菜はよく来ていた。おしゃれさんといっても傾向はまちまちで、少しすっ飛んだひとや、きらびやかすぎるおしゃれさんもいる。コレクションに見に行くのがある意味一番手っ取り早いが、街によって傾向が違うのは有名な話だ。

 モール内を練り歩き、マネキンや人間観察をしていると時間はとっくにすぎていた。休みを有意義に使ったわけだが、彼女はなんだかからだを休ませないのももったいないという気もしてきていた。

 そろそろ帰ってゴロゴロしよう。

 伸びをひっそりとしてから出入口に向かう。時計なんか見なくても、まだ外が明るいのでそこまで遅い時間ではないことはわかった。

 そのまま歩を進めたときだった。別にここいらでは決して珍しくない髪色。むしろ地味だとでも言えそうな服装。

「あれ、愛菜さん」

 みつかった。

 彼と仲良くなりたいと思ったことはない。それどころか、この場にきたのなんて会わないだろうと踏んでのことだった。だというのに、広く暑苦しいほどのひとで混みあったこの場所でふたりは出会ってしまった。

「きょうはお休みですか?」

 悪びれることなどなく、安室は愛菜に近づいた。

 当たり前だ。彼は彼女のことなどなにも知らない。

「そうなんですよー」
「買い物ですか? その割にはなにも買われていないみたいですが……」
「ちょっと流行を勉強しに」
「お休みの日でもお仕事のことを考えてらっしゃるなんてすごいですね」
「あなたには負けますよ」

 適当に促したつもりだった。けれど安室はほんの一瞬だけ驚いた顔をして、それからまた爽やかな貼りつけた笑顔をつくった。

「もしよければどこかでお茶でもしませんか。ここでお会いできたのもなにかの縁ですし」
「えっと」

 うさんくさい。

 愛菜の心情は疑いしかなかった。目の前の人間がはたして登場人物なのか、そうでないのか。それを知りたいと思うか、思わないのか。間違いなく愛菜は知りたいとは思っていなかった。知る術もなく、知ったところでどうすればいいのかわからない。いまでさえコナンの知り合いとして警戒しているのに、登場人物だとすれば絶望が増えるだけだ。

「これから家に帰ろうとしていたところで」

 逃げ道を自分でつくろうとことばを探す。できるだけ相手を傷つけないように、そして一応は事実を話すよう努めてしまうのは彼女の癖だ。

「なにをされるんですか?」

 ことばが詰まりそうになる。次に断りの理由を述べようとすると、安室はさきに「ぼくは、あなたをもっと知りたい」と発した。

「知りたい? 知っても大したことないですよ」
「それを決めるのはぼくです」

 それもそうだが。

 愛菜が彼の表情を伺ってみると、やはりそこには輝くような笑顔を見せるだけで本心は表しにしていない。

 できれば逃げたい。

「だめでしょうか?」

 愛菜はこの世界にきてから逃げてばかりだった。

「それともご迷惑でしたか?」

 これからも自己防衛のために逃げ続ける予定だった。

「……きょうは朝から出て少し疲れてしまったので、機会がありましたら」

 彼女にとっては精一杯の逃げだった。きょうの逃げ、今後があるかもわからない曖昧な逃げ。日本人らしいものである。

 安室は残念そうに顔を薄くだけしかめた。とくに焦る様子はなかった。

「そうですか。では仕方ありませんね、次回はぜひ」

 お互いに軽く会釈をして別れた。愛菜の去る姿を、安室はしばらく眺めていた。人並みに紛れてから、適当な通りにはいる。

 少しいったところにある小高目のマンションに入りこみ、自室の鍵でセキュリティを解除する。たまたまきていたエレベーターへと乗り込み、そこで息をゆっくりと吐く。そうこうしているうちに到着し、すぐのところの部屋へはいった。

 紺のジャケットを脱ぎ、近くのハンガーにかける。そのままリビングへと向かい、ソファーに寝転がった。そしてまた息をゆっくりと吐く。天井を見上げてみるが、そこにはなにもない。

「うまく、いかないな」

 安室としては、少し愛菜に近づいて探るつもりでいた。しかしそれはうまくいかず、ことごとくかわされるのである。なんとか言いくるめてもさりげなく去っていく。つい先日、ポアロに足を向かせたときもそうだ。アイスコーヒーをすぐに飲み終えて出ていった。

 彼女は美人だ。しかしモデルのようか、と聞かれれば微妙なところで、容姿だけならモデルであっても決して不思議ではないのだが、清潔感よりも悲壮感の漂う顔立ちをしていた。それなりに自分のランクがわかっているようで、決して自己卑下はしていない。だからこそのアパレル店員なのだろう。

 それは安室も同様だった。自己卑下はしていない。むしろそこら辺の適当な男よりも見た目がいいことは理解していた。いまの職業に執着がなければ、もしかするともしかしていた可能性は高い。

 無造作にテーブルに置いてあった一枚の紙を手にとる。光に透かすように眺め、文面を目で追う。

「岸本、愛菜……」

 岸本愛菜。28歳。百貨店内店舗で店長として勤務。元恋人からのストーカー被害に合う。被害により入院。その後すぐに退院。精神病の可能性があると診断され、現在は通院中。とくに本人の挙動がおかしいところは見受けられない。

「強いて言うならあの表情か」

 紙をペラリと音を立てさせ、そこら辺に放る。フローリングを滑っていき、安室から少し遠い箇所で止まった。

 コナンを見る目。それは安室から見ると敵意に満ちており、まるで憎んでいるかのようなオーラがあった。しかしポアロで彼女が不意に見せた表情は悲しいだなんて感情以上の、例えばこの世の終わりを察しているかのようだった。

 あの子、コナンは守りたい。それは安室のなかにある思いだった。あの子はいくらでもヒントを隠し持っている。そんな子を守らずしてどうすべきと言うのだろうか。安室の憎む人間でさえもあの少年を守るのだ。だからこそ、危害を加えるのであればと愛菜に近づいたのである。しかしそう簡単に落ちてはくれない。それは組織のような人間なのか、そうでないのかもハッキリしていない。

 安室は一度考えることをやめて立ち上がった。

 ベランダに出て街を眺める。自分がいる場所よりも高いビル、低いビル、夜景。下には街ゆく人々、笑い声、車のエンジン音。上には雲、飛行機の光、月。

 彼女はこの世界を、どう思っているのだろうか。
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