3−2 

 それに笑ってみせたのは彼女ではなく安室だった。

「あなたというひとは」

 口癖のように、軽々出てきたことばがスイッチのようだった。蓋をした手を力づくで引き剥がし、唇を舐めとる。

「ねえ、わたしのこと、どう思ってるんですか?」
「すきだと言ったら」
「それ以外に」
「気になると、言ったら」
「どうして気になるのか、聞きたい」

 黙らせるように、彼は彼女の唇を貪り食う。苦しさに気を持っていかれるほどに、記憶が薄れてしまうほどに激しく舌が動いた。
 理由を口走るほど彼女を信用していなかった。何者であるのかまだわかっていないからだ。
 外では浮き足立った女性が想いを寄せる男性たちや、同僚、上司、友人に甘い菓子を与えているというのに、彼女はその誰よりもこの日を重んじていなかった。
 離れて表情を伺ってみれば、苦しそうに歪めながらも目だけは虚ろで、まさのその顔は現実逃避をしているかのようだった。
 そしてそのまま、「もっと」と口が動いた。
 彼だって男だった。冷静さを保ってはいたが、はたしてそれが本当に心中平静であったかは定かでない。それを定めることができないぐらいには、自分に対して客観的になれないでいた。
 愛菜もそれに応えるようにして、安室の頬を優しく手で包んだ。なぜこうまでして彼女の手が暖かいのか、彼にはまだわかっていなかった。
 唇が離れ、お互いの顔を気恥しさからか逸らした。すると彼女は小さく鼻を啜りながら、肩を揺らした。
 瞳は光り輝き、頬が、唇が、耳が、つまり顔が、赤みを帯びた性欲を現していた。

「どうしてわたしに、そんなにも構うの」

 どうして、なぜ、なんで。
 いまの彼女はツラくて堪らないのだ。人間としての価値を認められることが嬉しく、またこの世界でそんな価値があっても意味のないものと思っている。どちらが正しい感情であるのか、彼女にはわからなかった。
 そんな顔など、彼の性欲を掻き立てる他ないのに。
 安室は眉間に皺を寄せ、強ばった顔を隠すように彼女に覆いかぶさって抱きしめた。
 どうでも良いはずなのである。なのに彼女があんな顔をするから。
 遠くを見ていた。安室のことなど視界にいれなかった。いつでも自分がひどく悲しい存在だというかのような顔をして、だからといって誰にも頼らない。そしてそんなときに安室が隣にいるのだ。視界にはいればまた悲しい顔をするのだ。
「守らせて欲しかった」彼の声は唾液で掠れていた。「ただ守りたかっただけなのに」。
 もちろん、元々の目的はそんなものでなかった。しかし、徐々に彼女から少年との距離をとっていることがわかり、安室に見向きもしない愛菜を興味本位で調べていた。わかったのは一般人であるということだけ。彼女の内はわからなかった。

「あなたこそ、なぜそんな顔をするんです」

 安室たちがいなくなれば済むと彼女は言った。それの理由がけっきょくのところわかっていない。
 肩が、微かに揺れた。

「教えられません」

 密かに、静かに、はっきりと、そう彼女は言い切った。
 つまりきちんとした理由があり、それを把握しているということだ。
 抱きしめていた腕にはさらに力がはいった。鼻を啜った体が上下に揺れた。謝罪の気持ちが伝わってきた。

「すきになっちゃいけないから」

 だから構わないでください。
 あとの言葉は出てこなかった。それでもわかったのは、彼女のことばを彼が予知してしまったからだ。
 彼女の言うことは、安室の立場を知っていればなにも間違っていない。しかし自身のことを話した記憶などなかった。彼女自身の問題である可能性を見出すと、悲痛な表情が脳裏に過ぎった。
 自分からそうしていたというのに、安室は彼女を引き剥がした。顔を覗いてみればやはり思っていた通りの、期待はずれの表情をしていた。
 すきだと言えれば簡単だったのに、彼女はそんなことは望んではいなかった。言ってしまえば、もっとひどくなるに決まっている。

「すきなんかじゃない」

 安室らしからぬ言葉がでてきたことに自分自身で驚いていた。
 すきなんかじゃ。そう心中で繰り返しながら握った手には力が込められた。それはどちらかだけでなく、どちらともが、少しずつ、離さないために。
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