50万打フリリク企画 | ナノ


▼ 01

ちょうど三ヶ月前の今日、俺は忠太に拾われた。

空腹で死にそうだった俺に、忠太は美味しいご飯を食べさせてくれた。あと温かいお風呂にも入れてくれた。

「気を遣わなくていいよ。どうせ俺一人だから」

忠太は古い一軒家に一人で住んでいる。もともとは亡き祖父母の家だそうだ。忠太は小説家で、場所を選ばない職に就いていたという点では非常に都合のいい人物だったのだろう。少なくとも、彼の親族にとっては。

つまり忠太は体よく面倒事を押し付けられたというわけだ。この古い家の管理人という面倒事を。

この家は本当に古い。雨が降ればあちこち雨漏りするし、風のある日は窓ががたがた揺れてうるさいし、台風なんか来た日にはそれはもう大変だ。

忠太は言う。俺は結構この家が好きなんだ、と。

「家賃もかからないし、俺的にはそんなに悪いことばかりじゃない。それに、思い出もある」

忠太はきっと、誰よりも大切に思っているのだろう。もうこの世にはいない祖父母のことを、彼らが暮らしたこの家を。

俺は忠太のそういう一面を見る度、どんどん惹かれていった。この人とずっと一緒にいられればいいのに、と思った。

だけど、俺は知っている。忠太にとってこの家が彼の世界の全てで、それ以外はなんにもいらないってこと。

だから言わない。俺が忠太を好きだってことは、俺だけが知っていればいいことなのだ。そうすれば、今だけは俺は忠太の傍にいられる。

「タマ」

忠太は俺のことをタマと呼ぶ。猫みたいだからやめてくれと散々訴えたが、いつの間にかすっかりその呼び名が定着しちゃっているものだから、慣れってものは恐ろしい。

「タマ、眠れない?」

俺は夜が嫌いだった。暗闇の中一人で布団にくるまっていると、自分と他との境目がわからなくなってきて、引きずり込まれてしまいそうで、とてもじゃないけど眠ることなんてできなかった。

忠太はそんな俺に気がついて、一緒に寝てくれるようになった。

「大丈夫だから。ほらゆっくり息してみな」

忠太の手は大きくて、とても優しい。彼の手が身体を撫でるただそれだけのことで、俺の全部は反応して、熱を帯びて、それから途轍もない幸せに充たされる。

「タマ、俺の顔だけ見てて」

忠太の顔を照らすのは、窓から入る月明りだけ。ずっとずっとこうしていたい。眠らなくたっていいから、朝なんてこなくていいから、忠太にずっと抱かれていたい。大嫌いな暗闇が、そのときだけは大好きな時間に変わる。

布が擦れる音、淫猥な水音、女の子みたいな俺の声と、忠太の微かな吐息。一つだってとり零したくなくて、必死で神経を研ぎ澄ませた。

こんなに近くに居るのに、どうしてこんなに切ないんだろう。心臓が握りつぶされたみたいに痛い。

「タマ…?泣いてる?」

忠太、忠太、忠太。忠太が好きだよ。お願いだから、気づかないで。気付かないフリをして。俺のことは愛してくれなくていい。だけど、俺との時間は愛してほしい。それ以上は望まない。

俺だって本当はわかってる。こんな関係、長続きするはずがないんだって。俺はそう遠くない未来にここを離れなきゃいけないし、そうなっても忠太は俺を追ってはこない。

好きだなんて言ったところで、どうにもならない。その言葉は互いを縛るだけだ。言葉で縛りつけたものなんて、俺はいらない。

「泣くなよ。俺はここにいるよ」

忠太、俺も、ここにいたいよ。



ちょうど三ヶ月ほど前のことだ。俺は家の前に行き倒れていた少年を拾った。

少年はとにかくぼろぼろだった。着ていた制服こそ綺麗なものの、ちらりと覗く腕や脚にはいくつもの痣や擦り傷があった。

少年の名前は、環と言った。最初のうちこそこちらを伺うようにおどおどしていたが、二週間もすれば慣れてきたのか俺の周りをちょろつくようになった。猫みたいな奴だと思ったので、俺は彼をタマと呼ぶことにした。

「忠太」
「んー?」
「これ全部、忠太の本?」
「そうだよ」
「読んでもいい?」
「いいよ。でも感想とか言うのはなしな。照れくさいから」
「わかった」

俺は彼のことをなんにも知らない。知っていることと言えば、名前と年齢、通っている高校(タマは俺の家にいる間もちゃんと学校には行っていた)と、夜が苦手だってことぐらいだった。

何故うちの前で行き倒れていたのかとか、どうしてあんなに傷だらけだったのかとか、どこから来たのかとか、知りたいことはたくさんあったのに、聞けなかったのだ。

聞けば最後、タマはここからいなくなってしまうと思った。そしてそのことに気がついたとき初めて、彼に傍にいてほしいと願っている自分を自覚した。

俺はタマにどんどん惹かれていった。いつの間にか、もう後戻りできないほどに深く、彼を愛していた。

「忠、太…っ、ちゅ、た」
「タマ…」

眠れない夜を、夜に怯えるタマを、俺が全部包み込んでやれればいいと思った。タマの身体は細くて、綺麗で、しなやかで、柔らかくて、俺を夢中にさせた。何度も何度も欲情して、何度も何度も彼を抱いた。相変わらず彼の肌には何故か傷が刻まれていたけれど、やっぱりその理由を聞くのは怖かった。

こんな日々がずっと続けばいいのに。こんな風に、タマがずっとここにいてくれればいいのに。そう願うのは、いつかこの関係に終わりがくることを知っていたからだ。

そして予想通り、タマとの生活はある日突然終わってしまった。

「タマ…?」

その日朝起きると、どこにも彼の姿はなかった。姿どころか、彼がいた痕跡さえ残っていなかった。

居間には一枚のメモがあって、そこにはたった一言だけ、「ありがとうございました」という言葉が小さな字で記されていた。

――俺はその日から、一文字も小説が書けなくなった。

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