エゴイスティックマスター | ナノ


▼ エバーラスティング・ラブ

伊原のプロフィールを見ていただくとよりわかりやすいかもしれません。


これで良し、と花瓶を見つめ一息をつきます。玄関に置かれたこの花瓶の花を取り換えるのも私の仕事です。誰も気がつくことのないような些細な変化かもしれませんが、私はこの仕事が結構好きでした。玄関はお客様をお通しする大事な場所。花選びから飾り方まで、細心の注意を払わねばなりません。

「…」

目に映った花瓶の中のカスミソウ。アレンジしやすいからということもあって花屋さんに大体の確率で注文をするのですが、私にとってこの花は少しだけ特別な意味を持っています。

――貴方も、この花が好きでしたね。

決して目立つことはないかもしれないけれど、周りの花に寄り添い、全体を整える。煌びやかで大きな花も素敵だけど、それよりも自分はそんなカスミソウの姿が好きなのだ、と話をしてくれたのは、一体どれくらい昔のことだったでしょうか。

「…兄さん」

お元気ですか、と言うのも少々変かもしれません。元気かなんて問われたって困るでしょう。それでも私は、最近ふとそんな問いかけを繰り返します。

兄さん、私、貴方に言わなければならないことがあるのです。



最近、伊原の様子がおかしい。恐らく僕しか気がついていないだろう(愛の力だ)が、とにかくどこか上の空というか、心ここに在らずといった様子なのだ。

「…」
「なんですか突然。汚い」

運ばれてきた紅茶に口をつけるなり噴き出した僕に、伊原は不快そうな表情を隠そうともせずそう言った。嗚呼その可愛い声と口で蔑んでくれ…ではなくて。

「伊原…お前、紅茶に塩を入れるなとあれ程…」
「えっ」

口の中に広がるなんともいえない味。塩と砂糖を間違えるなんて、古典的だ。古典的すぎる。世の中には塩を加えて飲む茶もあるのかもしれないが、生憎僕は根っからの砂糖派だ。紅茶は甘い方がいい。しょっぱい紅茶など、いくら愛する者の淹れたものであるとはいえ進んで飲みたくはない。

しかもこの塩混入事件は一度や二度の話ではなく、ここ最近のおやつの時間では三回に一回の頻度で同じ悲劇が繰り返されている。何かのアピールだろうかと疑うのも無理はない。

「僕に何か恨みでもあるのか…ごほっ」
「す、すみません…。大丈夫ですか」

咳き込む僕の背中をさすりながら、伊原はしゅんと肩を落とす。

「伊原」

汚れてしまった口元をナプキンで拭い、僕は彼の手を握って引き寄せた。怒られると思ったのか、伊原は身を硬くして構えている。

「ごめんなさい。淹れ直してきますから」
「いや、いい。それより」

じっと真っ直ぐに彼の顔を見つめ、尋ねた。

「どうした」
「え?」
「ここのところ、何か考え込んでいるだろう。悩み事があるなら僕に言え」
「…」

丸い瞳が揺れる。伊原は隠し事をするのがあまり上手ではない。嘘をつくとすぐに顔に出るのだ。やはり彼は何か悩んでいるのだろう。

「何も、ないです」
「嘘を吐くな」
「ないです」
「伊原」
「ただちょっとぼうっとしていただけなんです。大変失礼いたしました」
「ちゃんと僕の目を見て言え」

視線を背けようとするので、無理矢理こちらに顔を引き戻す。伊原はぐっと息を詰め、それから小さな声で言った。

「…坊ちゃんには、関係のないことです」

――関係ない、だと。

カッと頭に血が上るのが分かる。関係ないなんてことがあるか。お前の全部は僕のものなのに、どうしてそんなことが言える。思わず怒鳴ってしまいそうになるのを必死で堪えた。

「…」
「…」

何も言うまいと頑なに引き結ばれた唇が、全てを物語っている。

…そうか、そんなに僕に言いたくないと。僕に言ったとしても意味が無いと。そう思っているんだな、お前は。

「…あぁ、そうか。分かった」
「坊ちゃ…」
「もういい。部外者が追及して悪かった」

部外者、とわざと傷つけるような単語を選んだ。子どもっぽいと馬鹿にされようがなんだろうが知るか。

歩み寄ろうとしたところを突っぱねられ、挙句の果てに僕と彼の今までを全て否定するかのごとく「無関係」などという言葉で一括りにされても怒らないのが大人なら、僕は子どものままでいい。

僕は我侭だから、お前の全部が欲しい。何度も何度も伝えたはずだ。そしてお前も全てを僕に捧げてくれると。そう約束したじゃないか。

こんなにも愛しているのに、全てを曝け出して愛しているのに、どうして伝わらない?

「紅茶の淹れ直しもいらない。下がれ」

僕だって、本気で怒ることもある。



次の日、伊原の姿がどこにも見えなかった。

代わりに朝僕を起こしに来た別のメイドに伊原のことを尋ねると、今日は一日休みをとっていると聞かされた。そして朝早くからどこかに出て行ってしまったことも。

「…」

まさか。まさかまさかまさか。いや、ありえない。そもそも悪いのは伊原の方だし、僕に落ち度はないはずだ。僕と喧嘩をしたからといって、この家を出て行くなんてことは…。

「わっ」
「!!」

後ろから突然大きな声がして、思わず持っていたティーカップを落としてしまった。テーブルの上に落ちたおかげで割れることは免れたが、クロスにコーヒーの染みが広がっていく。

「あーあ、何をやっているんだ全く」
「…兄さんのせいだ」

呆れたような声を出す愚兄を振り返って睨むと、彼は気にした風でもなく向かいの席に座った。手には同じ形のティーカップが握られている。人のコーヒーをぶちまけておいて、自分の分はちゃっかり確保しているとは許せない。これだからこの男は。

「俺はお前があんまりにもひどい顔をしているから、少しばかり元気づけてやろうとしただけだ」
「必要ない」
「伊原も今朝同じような顔をしていたぞ」
「!」

伊原に会ったのか、と慌てて問う。僕はまだ今日彼の顔を見ていないのに。

「会ったというか、俺が起きたときはまだここに居たからな。今日は休みを使って出かけると言っていたが」
「行き先は」
「気になるか?」
「別に」
「喧嘩したんだろう」
「どうして分かる」
「あれだけ毎日鬱陶しいくらいにくっついているお前らが、昨夜は目も合わさなかった。会話すらしなかった。分からない方がおかしい」
「…」
「大方お前がまたくだらないことを言って伊原を怒らせたんだろう」
「違う」

くだらないことなんかじゃない。僕にとっては物凄く重大なことだ。だから腹も立つ。

大きな声を出した僕に驚いたのか、兄は目を瞬いている。

「随分怒っているんだな。伊原が何かしたのか?」
「それも、多分違う」

違う。伊原は決して僕を怒らせようとしたわけじゃない。分かっている。だけどどうしても許せなかった。関係ない、なんて言って欲しくなかった。そのたった一言で、何もかもが結局は自分の独りよがりなのかもしれないと思い知らされたのだ。

胸の中に様々な感情が沸き起こり、渦巻いて、消えてくれない。言葉にすることもできない。

「…なぁ、望」

訪れた沈黙を先に破ったのは、兄の方だった。いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。

「今日が何の日か知っているか?」
「今日?」

知らない。首を横に振る。伊原がいないこと以外、何の変哲も無いいつもの休日ではないのか。

「…帰ってきたとき、伊原に聞いてみると良い」
「…」
「今日が何の日で、伊原がどこに出かけているのか。全部聞け。答えてくれなくても聞け」
「どうして、そんなことを」
「二人揃って辛気臭い顔をされたら、困るのはこっちの方だからな。家の雰囲気が悪くなる」

そう言うと彼は立ち上がり、飲みきれなかったコーヒーのカップをこちらに寄越した。正直いらない。兄の飲みかけなど誰が好き好んで飲むか。

「無意味な意地を張るなよ。余裕のない男はモテないぞ」
「余計なお世話だ」
「伊原はお前より…というか、俺よりもずっと大人なんだから。お前一人の言葉くらいわけなく聞いてくれるさ」
「…」
「じゃあ、俺はこの後仕事だから」

――励まされて、しまった。

扉の締まる音を聞きながら、僕はテーブルの上の大きな染みを複雑な気持ちで見つめることしかできなかった。



出来るだけ音を立てないように注意を払い、ゆっくりと玄関の戸を開きます。思いの外帰るのが遅くなってしまいました。もうとっくに日は暮れてしまっています。夜ともなれば日中と比べ気温が低くなり、少し肌寒く感じました。上着を持って出かければ良かった。

「ただいま帰りましたー…」

誰もいないとは思いつつ口の中で帰宅の挨拶を呟きます。真っ先に目に飛び込んできたのは、昨日取り換えた花瓶の中の花でした。うん、やっぱり綺麗だ。次はどんな花を注文しようかな。

「随分と遅い帰りだな」
「!」

前触れもなく声をかけられ、びくりと肩が跳ねます。間違えるはずがありません。この声は。

「…坊ちゃん」

むすりと不機嫌そうな顔をした坊ちゃんが、こちらを見つめていました。きっとまだ怒っているのでしょう。

当然です。怒らせるようなことを言ったのは、私の方なのですから。あんなこと、決して言うべきではなかった。後悔してももう遅いのです。取り消すことだってできやしません。

「どこに行っていた」
「えっ…」
「どこに出かけていたんだと聞いている」
「それは…」

言い淀む私に向かって、彼は長い脚でつかつかと歩いてきました。その勢いにちょっとだけ後退りします。

「今日は、何の日だ?」
「え」
「どうして僕に何も言わずに出掛けた?兄には会ったくせに」
「あの、坊ちゃん」
「お前は一体、何を考えている?」

次の瞬間、私の身体は彼の腕の中に強く抱きしめられていました。

「もう、帰って来ないかと思っただろう…っ」

耳元で聞こえたか細い声に、心臓を鷲掴みにされたような感覚が沸き起こります。

「…っ、坊ちゃん」

自分はどれだけこの人を傷つけてしまったのか。自分の曖昧な態度が、どれだけこの人を不安にさせたのか。泣きたいのはきっと彼の方です。

「…ごめんなさい」
「…」
「ごめんなさい、坊ちゃん、本当に…」
「…謝らなくていいから、質問に答えろ」

抱き寄せる腕の力が強くなりました。今度こそ私は素直に口を開きます。

「今日は、兄の…私の兄の、命日で」
「…兄?」
「それで、お墓参りに…ここからかなり離れた場所にあるので、一日かけて」
「…」
「心配かけてごめんなさい。でも、もうこんな勝手な真似は致しませんから。兄にもきちんと報告してきました」

ちゃんと、お墓の前で手を合わせてきました。今まで言えなかったこと、言いたかったこと、全部を伝えてきたのです。

――兄さん、お元気ですか。

私は元気です。毎日楽しくやっています。西園寺の方は皆本当に良い人たちばかりで、あたたかくて、私にはもったいないくらい。

今日ここに来たのは、大事な話があるからです。少し長くなるかもしれませんが、どうか聞いてください。

まずは…謝罪から。

ずっと来られなくてごめんなさい。私はきっと、逃げていたのです。大好きだった貴方が、もうこの世にはいないのだという事実から。一度でもここに来てしまえば、そんな悲しい現実を認めざるをえなくなってしまう。そんな怖いこと、どうしたって出来るはずがありません。

貴方は私の全てでした。父と母がいなくなった後も、貴方だけは私の傍にいてくれた。幼い私にも家族を教えてくれた。私の世界は貴方だけで、それでいいと思っていました。

だから貴方がいなくなったとき、私がどれだけ悲しかったか分かりますか。いや、悲しいなんてものじゃありません。一人ぼっちになってしまった私は、生きる意味を探すのに必死でした。

そんなとき、西園寺様が私を拾ってくださったのです。執事として、うちに仕えろと。西園寺の旦那様は私に居場所を与えてくれました。

そしてそこで、自分の居場所とともに、宝物を見つけました。

私の名前を呼んでくれた人。私を愛してくださった人。たくさんの幸せを教えてくれる人。

兄さん、私、愛する人ができました。本当に本当に、心から大切な人です。

彼は私を全てだと言ってくれます。そして私も、自分の全てを捧げたって構わないと思います。

だから、貴方に言わなければならないことがあるのです。

――兄さん、私はもう、ここには来ません。

私だけが後ろを振り返っていてはいけないから。全てをくれると言った彼に、私だけ何も捨てずに傍にいるなんてことは出来ません。

だから、だから。

「さようならを、言ってきました」
「…」
「昨日はごめんなさい。関係ないなんてひどいことを口にしました。本当のことを言ったら、貴方に嫌われると思って…怖くて言えませんでした」

全てを捧げると言っておきながら他に大切な人がいるなんて、きっと幻滅されてしまうと思ったのです。貴方に嫌われたら、私は今度こそ生きる意味さえ失くしてしまいます。

「…ここ最近様子がおかしかったのは、それが理由か?」
「はい…すみません、公私混同ですね。兄にどう伝えようかずっと悩んでしまって」
「この…大馬鹿っ!!」
「ひっ」

そこまで話し終えたところで、坊ちゃんは私の肩を引っ掴んで大きな声をあげました。屋敷中に響き渡るくらい大きな声です。

やっぱり、怒らせてしまった。青ざめる私に坊ちゃんは続けます。

「違う!!僕が怒っているのはお前が考えているのと全く別の理由からだ!!」
「別の、理由」
「どうしてもっと早く言わない!!!」
「早くって…」
「今日がお前の兄上の命日だとか、墓参りに行ったとか…あぁもうとにかく今の話の全部だ!!」
「だって」
「だっても糞もあるか!!」
「でも」
「でもも糞もあるか!!いいか!!よく聞け!!」

ぎゃあぎゃあ騒いでいる私たち(大きな声を出しているのは坊ちゃんだけですが)の様子を聞きつけ、何事かと屋敷の使用人たちが玄関に出てくるのが見えました。しかし彼は構うことなく、そのまま私を再び抱きしめます。

「愛する者に何かを捨てさせる男なんて、糞くらえだ!!この僕をそんな糞みたいな男と一緒にするな!!」

さっきから糞糞と下品な言葉ばかり使って。

「あ、貴方だって、いつも…っ」

貴方だっていつも私に、お前と生きるためなら西園寺の名を捨てたって構わないなんて仰っているじゃありませんか。自分は良くて私は駄目なんて、不公平です。

坊ちゃんはこちらの反論を遮り、自分の胸に私の頭をぎゅうと押し付けて言いました。

「お前は僕のものなんだから、勝手に捨てたりするな!!全部持っていろ!!お前の大事なものは僕にとっても大事なものなんだぞ!!」
「…っ!!」

――あぁ、だから。

だから私は、この人を愛さずにはいられないのです。

「はい…っ」

その胸に顔を埋め、力いっぱい抱き着きました。

彼の言う通り、私は大馬鹿者なのでしょう。勝手に一人で悩んで、勝手に思い込んで、挙句の果てに心配までかけて。

坊ちゃん、なぜ私が兄に会いに行くことが出来たか、分かりますか。長い間目を逸らし続けてきたものに、なぜきちんと向き合うことが出来たか分かりますか。

全部全部、貴方のおかげです。

貴方がこうして真っ直ぐに愛してくれるから、私は生きていられるのです。貴方が愛してくれるのならば、私はどんなことだって乗り越えてみせるのです。

「坊ちゃん、私…あの、言いたいことがたくさんあって、うまくまとまらないんですけど…」

この気持ちは、言葉ではとても語り尽くすことなど出来ません。私がどれだけ貴方を愛しているか、そっくりそのまま見せてあげられたらいいのに。

「大丈夫だ。お前の気持ちはちゃんと分かっているよ」
「本当ですか」

嬉しい。自然と緩んでしまう唇に、坊ちゃんは一つ軽いキスをくれました。そして。

「今すぐ激しく抱いてほしい、だろう?」
「…」

すうっと何かが醒めていくのを感じ取ります。台無しです。何もかもが台無しです。

「昨日は離れて眠ったからな。寂しくてたまらなかったんだろう。分かっている。今日は寂しさなんて入る隙間もないくらい、たっぷり愛してやるからな」
「…いえ、それは結構です」
「そうだ、いっそのこと明日も休みにしろ。そうすれば時間を気にせず抱き合える」
「結構で…っ」

顎に細長い指がかけられました。見上げた彼の瞳の奥には、いつもと違う感情…そう、怒りにも似た炎が渦巻いています。

「伊原」
「は、はい」
「今回ばかりは、僕も怒っているんだ」
「…」
「お前に拒否権は?」
「…ない、です」

震えながら返事をすると、坊ちゃんは満足そうにそれでいいと笑いました。



一体どんなひどいことをされるのかと思いきや、私の予想は大幅に外れていました。

「ん、はぁ…っ、あ、あ、んん」
「可愛い、伊原」

ついばむような口付けと、繰り返し囁かれる甘い言葉に、クラクラします。そのうえに中に埋められた彼のものに何度も何度も揺さぶられるのですから、もうたまったものではありません。クラクラのメロメロです。

「あぁっ、ん、んっんっ、坊ちゃ、んあっ」
「…ん?」

蕩けてしまった声で名前を呼ぶと、坊ちゃんはその綺麗な顔で優しく笑いながら返事をしてくれました。

「はぁっ、あ、なんで…ぇっ?」

こんな、こんなの。ずるい。ずるすぎます。貴方自分がどれだけ整った顔をしているか知っているんですか。

「なんでって、何が…だっ」
「ひうっン!!んっ、あぁぁっ、だ、め…っ」

ぐちゅんっ、といきなり奥まで突き上げられ、目の前に白い光が飛びました。限界まで勃ち上がった性器からとろりと新たな体液が押し出されるのが分かります。

「だめ、もう…っん、はぁっん…、それ、だめです…なんでそんな…」
「だめ?何故?」

そんなに優しくされたら、胸が苦しくなる。

漏れ出る声の合間にそう伝えれば、坊ちゃんは小さく笑いました。

「苦しくなればいい」
「え…っあ、んんぅっ!」
「もっともっと苦しくなって、思い知ればいい。お前の中にいるのが誰か、どれだけ僕のことを好きか」
「や…ッ、あ、そ、なの…できな…っんぅ、う」

今でさえもういっぱいいっぱいなのに、これ以上もっと貴方でいっぱいになるなんて無理です。

快感によって溜まった涙が、ぼろりとシーツの上に零れていきました。同時に坊ちゃんのこめかみから汗が滴り、私の口元に落ちてきます。無意識のうちに舐めとると、それを見た彼が嬉しそうに瞳を細めました。

「…でもまぁ、嬉しかった」
「え…?」
「お前が僕を一番にしようとしてくれたこと。何もかもを捨てもいいと思ってくれたこと。嬉しかった、すごく」
「んっ」

ちゅ、と唇を甘く吸われます。

「好きだ。好きだ、伊原。愛している」

坊ちゃんは決して揺らぐことのない声で言いました。

「そしてそれは、お前の過去まで含めて全部という意味だ。僕は欲張りだから、お前の未来をもらうだけじゃ足りない」
「坊ちゃん…」
「いいから。捨てなくていいから。僕はそのままのお前がいい。大切なものがたくさんあるのは、幸せなことだろう?」
「は…っい、はい、はい…!!」

私はみっともなくぼろぼろと泣きながら、彼に縋り付きます。

私の知らない間に、坊ちゃんはどんどん大人になっていく。いつの間にか身長も追い越されて、手だってこんなに大きくなって、私一人なんか簡単に包み込めるくらい。

「もう泣くな」

困ったような笑みを浮かべた坊ちゃんが、再び私をベッドに縫いとめました。ギシリと木の軋む音が聞こえます。

「んん、ん、ふ…ぁっ、あ!んくっ、う…」

甘やかすみたいな優しい口付け。熱い舌に余すところなく口内を掻き回され、びくびくと背中が震えました。こんな幸せなキスをされたら、泣き止むことなんでできません。

「〜〜〜ッあ、あ…!」

ぬるう、ともどかしいほどゆっくりと引き抜かれ、悲鳴にも似た嬌声が口から溢れ出します。中を満たしていた質量を惜しむかの如く、内側がぎゅうときつく収縮を繰り返しました。

「あ、っあ、あぁ…っ、は、あぁっ」
「…そんなに、気持ちいいか」

どこもかしこも気持ちがいい。シーツをぐしゃぐしゃに蹴りながら身悶えする私に、坊ちゃんはどこか楽しそうな声で問います。

「ぎゅうぎゅうに締め付けてくる」
「だって、だって…っ、あぁっん…ッ!」

答える隙も与えてくれない。狭くなった腸内を掻き分けて押し入られる感覚に、ベッドに後頭部を擦り付けて仰け反りました。ガクガク揺れる腰を大きな手が押さえこみ、またねっとりと抜かれます。

「いや、いや、坊ちゃ…あっう、ンん、そんな、ゆっくり…っ!!」
「っ、これは、やばいな」
「もっ、もっとしてくださ、あ…っは、あ、ひぁぁっ」
「もっと?」
「ひうぅぅ…ッ!」

段々と激しくなっていく律動。ぎちゅ、ぐちゅ、と彼のモノが出入りする度にそんないやらしい音が聞こえました。がっちりと腰を固定されているせいでうまく快感を発散させることができず、与えられた刺激を受け止めるのに必死です。

「はぁ…っ」

熱い吐息とともに、ぽた、ぽた、と汗が落ちてきました。滲む視界の中で見える坊ちゃんの顔は快感によって歪んでいて、その美しさに息を呑みます。

――好き。好き。この人が、大好き。

身体の奥底から気持ちが溢れ出て、止まらなくなりました。

「すきぃ、坊ちゃん、好きです…っすき、大好き」

大事なものはたくさんあったほうがいい。彼の言う通りかもしれません。だけどその中でもたった一つ唯一のものがあるとしたら、私にとってのその唯一は彼に他ならないでしょう。

「んんっん、ん――ッ、ふ、はあ、ん」

返事の代わりに唇を塞がれて、息を吐く間も無い程互いを貪り合う。

「あぁぁッ、あ、あぁっん、ん、ぅ…あぁっ」
「っ、伊原、もう一度、言え…っ」

ごりごりと硬いもので気持ちの良い場所を押し潰され、頭が真っ白になります。狂ったようにのたうつ私に、坊ちゃんは容赦することなく腰を突き入れてきました。

「ひうっあっ、あ、あい…、あいして…ッます、からぁ…!」
「もう一度」
「すき…ぃっ、いあぁっ、あ、あい、はぁっは、あ、あいしてるぅ…ッ」

もう一度、もっと言え、まだ足りない。求められるままに愛の言葉を口にします。

「あぁ、いく、いっちゃう、坊ちゃ…あぁぁっ!!」
「んっ、あぁ、分かってる」
「ひ…ッあ――――!!あぁあっ、あ…!!」

――何度だって好きになって、何度だって思い知る。

最奥に放たれる熱い飛沫を感じながら、私はうっとりと瞳を閉じました。

…坊ちゃん、ごめんなさい。それから、ありがとう。



「…あの」
「…」
「坊ちゃん、そんなにくっつかれると気が散るのですが」
「知らん」

今しがた届いたばかりの新たな花を手に作業をする私の背後には、坊ちゃんがぴったりと張り付いています。ふんふんと私の髪に鼻を埋め何やら匂いを嗅いでいるような気も。ちょっと、いやかなり気持ち悪いと思いました。

「お前は目を離すとどこへ行くか分からんからな」
「…その件につきましては、大変申し訳ないと思っております」

どうやら坊ちゃんはこの間の一件を大分根に持っているようです。こちらに非があることは誰がどう見ても明らかなので、ひたすら謝り倒すことしか出来ません。

「今回のことで僕は思い知った」
「何をですか?」
「お前はなんというか…常識が足りん」
「貴方にだけは言われたくない台詞ですね」
「僕のために自分を犠牲にしようとするのはやめろと言っているんだ。僕はそんなもの欲しくない。お前は間違っている」
「…だって」
「だってじゃない」
「…知らないんだから、仕方ないじゃないですか」

愛する人に、自分は何ができるだろう。愛する人が望むものはなんだろう。恋も愛も貴方に教えてもらったのに、知識や経験なんてありません。だったら、私は私を差し出すしかないじゃありませんか。

ぼそぼそと半ば言い訳のように反論する私の耳元で、坊ちゃんが笑い声をあげました。ちゅう、と頬にキスをされます。

「ちょっと、なんです急に。邪魔しないでください」
「恋も愛も、僕が教えた?」

――あ。

もういい年にもなるのに恋人の一つも出来たことがないなんて、恥ずかしくて誰にも言うつもりはなかったのに。つい口に出してしまいました。

「そうか。それならば仕方ない」
「違います、今のは嘘です」

慌てて否定する私を無視して、坊ちゃんはカスミソウを一つ手に取ります。

「そういえば前から思っていたんだが、この花、好きなのか」
「え?」
「いつも飾っているだろう?」
「気づいておられたんですか」
「当然だ」

…気づいて、くださっていた。ぽかぽかと胸のうちがあったかくなるのを感じました。誰にも気づかれていないと思っていたのに、一番気付いてほしい人がちゃんと見ていてくれた。

「…兄が、好きだったんです」
「ほう。では今度この花をたくさん買って挨拶に伺おう」
「え?」
「近いうち、きちんと結婚のご挨拶をせねばならんしな」

――どうして貴方はいつもそうやって。

「…馬鹿じゃないんですか…」

ぐす、と鼻を啜ります。最近涙腺が弱くなっているのは、歳のせいでしょうか。

「伊原」
「はい」
「もっと」
「…?」

もっとお前の話を聞かせて、と坊ちゃんは言いました。お前のことをもっと知りたい。そう言って、ぐすぐすと泣く私を後ろから優しく抱きしめてくれます。

「…はい」

――兄さん、見ていますか。

私はすごく、すごくすごく、本当に、心から思うのです。

この人といると、どんどん大事なものが増えていく。

全部を拾い集めて、全部を抱え込んで。たとえその姿がどんなにみっともなかったとしても、私はそんな自分を好きになれるような気がするのです。

だからね、兄さん。今度二人で会いに行ったときは、どうか私のみっともない姿を明るく笑い飛ばしてくださいね。

end.




白さんリクエストで「エゴイスティックマスターの二人の本気のケンカと仲直り」、こゆきさんリクエストで「伊原が何か望を怒らせる様な言動をしてしまい、さすがの望も伊原を許せなくて2人、喧嘩、激甘」でした。
かなり長くなってしまいましたが…どうしても書きたかった部分なので、省かずに全て書ききりました!こんなの望じゃない、と思うくらいに今回はギャグが無かった…。
冒頭にも載せましたが、以前書いた伊原のプロフィールから派生したネタです。彼の兄の話はいつか書こうと決めていたので、書けて良かったです。伊原の、境遇がゆえの不安定で危なっかしい部分みたいなのも書けて満足。
本人はやっぱり気がついていませんが、伊原の初恋は兄です。でも初めてキスをしたのもセックスをしたのも望です。なので伊原の中では初恋はきっと望。

素敵なリクエストをありがとうございました!どうか楽しんでいただけますように!

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