どん底に居たつもりだった。深く深く、息も詰まる程に深く沈んだ海の底で、死んで腐った魚のように倒れ伏せては横目で海中を漂う屑を見るともなく見ていた。滲んで届く上からの光を受け、さらに腐敗していくような心地だった。指が掴むものなんて水だけのこの空間で、もう何も引き留める気など無かった。目の前を流れていく、濁った水に紛れた生き物も屑も同じようなものだった。引き留めたくもなかった。ずっと此処に伏せて、腐っていくだけなのだと思っていた。伏せた腹の真下、更に深い底にこれから落ちていくことなど、知りもせずに。

あの時に感じていた、吐きそうな程に強烈な感覚も、今はただ、そんな感覚だったという記憶に頼る事でしか再生出来ない。人とはそのようなものなのだろうか。だとしたら、なんと、悲しい事だろう。ずっとこの記憶の中で生きたいと願った記憶も、一刻も早く忘れ去りたいと願った記憶も、時が経てば淘汰される。鮮烈でもなければ跡形も無く消えてくれる訳でもなく、ただあやふやに存在し続ける影と成り果てる。あの時の記憶を今より少しでも鮮明に憶えていれば、何か違っただろうか。今となってはもう、分からない。起爆剤を以てしか再生されなくなった記憶は、元から大切なものではなかったのだろう。記憶を瓶に詰めて、ラベルを付けて保管し、好きな時に開けて好きなだけ封じ込める事が出来たなら、この記憶はどんなラベルが付いていたのだろうか。

これから自分は、重たい土の中に沈んでいく。今すぐにという訳では無いが、ずぶりずぶりと、確実にこの身は取り込まれていく。土の中はきっと酷く暗く、目に入ってくるものなど無いだろう。薄ら滲んだ光すら届かないのだろう。息どころか肺が詰まり、積み重なった土に圧された身体は動く事すらままならないだろう。沈んでいくのではなく、腐った身体が土に還ってゆくのならば、幾分かはうつくしかっただろうか。少しでも長く上からの光を眺める事が出来ていれば、いつかは自分もと、夢見ていられただろうか。

嫌なぐらい憶えのあるこの感覚を、今度こそは憶えておこうと思ったところできっと無駄になるのだろう。ならば私はこの感覚を憶えない。ただひっそりと、自責の滴を流すのだ。
無念とか未練とか


 
2011/08/15

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