宴会席のテーブルに置かれた大量のグラスや空のビール瓶をプラスチックの大箱に詰め込んで厨房へ運ぶ。その足でまた座席に戻り、先程収まりきれなかった分のグラス、取り皿などの食器、灰皿、使用済みのおしぼりや割りばし、丸まった箸入れの袋なんかの細かいごみを無造作に箱に詰めて再び厨房へ。グラスや食器類は水を貯めておいた桶の中に浸す。おしぼりは業者回収用ボック ス、灰皿の中の吸い殻や割りばし達は燃えるごみへ捨て、灰の残った灰皿を水道で濯いで伏せて置く。洗剤 で泡立てたスポンジで水に沈めていたグラスをひとつひとつ軽く擦って、濯いで業務用洗浄機の中へ。その要領で他の食器も洗浄機に並べて蓋を閉め、タイマーをセットしてスイッチオン。流し台の下から布巾を 2、3枚取り出して水で絞って濡れ布巾を作る。それとスプレー式のアルコール製剤を持って三度座席へ赴き、醤油の溢れた跡や食べかすなんかを巻き込むようにして台を拭い て、スプレーを全体に噴霧。違う布巾で今度は丁寧に拭いていく。あらかた綺麗になった台を後にして、ごうんごうんと音を立てる洗浄機を通りすぎて厨房奥の布巾回収袋に濡れ布巾を入れる。醤油染みの付いた布巾はそのまま燃えるごみに捨てた。

ピーーーーーーーー。

洗浄機のタイマーが音を立てて止まった。その音と同時に違う座席を掃除していた店長が「おーお疲れさ ん」とくたびれた様子で厨房へやってきた。

「お疲れ様です」
「ん。今日は忙しかったなー。あの団体さん無茶な注文ばっかりしてくるし閉店間際まで粘るし…」
「粗相されなかっただけマシですよ」
「ほんとそれ」

軽く談笑をしながら洗浄機を開けて水気のある食器類を拭く。壁掛けの時計はもうすぐ早朝の5時30分を指そうとしていた。

「後はやっとくからいいよ。昨日も遅くまで残ってたし、疲れてるでしょ?」
「いいですよ、最後までやって帰り ます」
「でも目の下のクマ凄いよ」
「…… まじですか」
「おまけに最近痩せたよね。というか、窶れた」
「…… … … 」
「今日はもう帰って早く寝なさい。どうせ昼から大学でしょ?少しでも休まなきゃ」

ほらほら、と店長が私の手から食器と布巾を取り上げる。でも…と店長を見るけど、どうやら私の意見は聞き入れてくれなさそう。
「…じゃ あ、お言葉に甘えて…」私に負けず劣らずクマをこさえた店長がニコッと満足そうに微笑んだ。

更衣室で制服から私服に着替えて、 まだ残ってなんらかの作業をしている他の従業員さん達に挨拶をしなが ら店を出る。外はもう白んでいた。人が疎らな電車に乗って、自分の住む街の駅で降りる。そこからは歩 き。大体10分ぐらいでアパートへ帰宅。靴を脱ぎ捨てて、洗面台で化粧を落として、軽くシャワーを浴び て、適当に髪を乾かしたらもうなんか凄く眠くなった。やっぱり疲れが溜まっているみたいだ。体が鉛のよ うに重い。ぼふ、とベッドに倒れ込んで、そのまま泥のように眠った。

「無理しとるんちゃうか」

ぼきっ。眠気で舟を漕いでいた勢いでシャー芯がルーズリーフの上で折れた。それと隣から声が聞こえた気がする。働かない脳のまま視線を向けたら、綺麗な顔を微かに歪めた蔵 ノ介の双眼が私を見つめていた。一応、私の彼氏だ。

「…… あれ、いつから居たの」
「最初からおったわ。なんや疲れとるみたいやったから様子見とったけど、お前ちゃんと寝とるんか?」
「…寝たよ… 3時間… 」
「…… 昨日は?」
「…… 3時間」
「…… … … …」

今度はあからさまに眉間に皺を寄せて呆れたように溜め息を溢す蔵ノ介。なんだよ。世の中にはもっと寝てなくてもっと活動してる人はいるんだからな。この前テレビで見た女優さんなんかは2時間しか寝れてないって言ってたし。それに比べれば私なんかは十分寝れてる部類だよ。

「お前は芸能人でも女優でもあらへんやろ。ただのしがない大学生や」
「失礼な。せめて勤労学生、ぐらいにはランクアップしてもいいんでな い」
「突っ込みどころおかしい」

講堂に響く先生の声が体に振動して眠気を誘おうとしている。昼間のぽかぽか陽気も合間ってその心地よさは最早拷問に近い。うーん。やっぱり寝不足か。

「クマ凄いで」
「…… それバイト先でも言われた。そんなに酷い?」 「おん。もうこの後帰ったらどうや」
「んーー…だって単位が… 」
「別にそんな切羽詰まった状況やな いやろ」
「後から苦労したくないんだよ」
「せやったらバイトの数減らすとか…」

それもなあ。三回生のこの夏、考える事は半年後から本格的に始まる就活だ。来年の今頃は満足にバイトも出来やしないだろうし。独り暮らしである以上何が起きるか分からないし、学費は親の脛かじってるんだからその他の雑費は自分でどうにか出来るぐらいには蓄えておきたい。就活の状況次第では、貯金って必要になってくる気がして。

「そんな事気にしとるんか…名前やったらどっかしら内定貰えるや ろ」
「いやー分からないよ。もしかしたら何処にも必要とされなくて一人で路頭に迷ってるかも」
「それはないな」
「何故言い切れる」

なんでやろな?と含み笑いをする蔵ノ介の額を指で弾いてやった。

「痛い…」
「無責任なこと言うからだよ」
「…… 大丈夫や、責任なら、」
「え?」
「いや、なんでもない」

額を擦りながら歯切れ悪く微笑む蔵ノ介をじとっと見る。教えてくれる気配が無かったので諦めて正面へ向 き直った。

「今回はこれまで」定刻になり、講師の一声で講堂にいた生徒が散々になるなか、なんとか1コマ耐えきった私は気が抜けて机に伏せてしまった。すこぶる眠い。今ならどこでも寝れる。

「ほらやっぱ眠いんやん」
「んんーー…」
「この後は?」
「5限だけ」
「ほんなら帰るで」
「は?」
「俺は今日はこれで終わりやから、 一緒に帰ろ」
「いやいやいや…単位が… 」
「そんなもん後でどうとでもなるわ」

ええー、後回しにするの嫌いなのに…

「名前?」

…… わかりましたからそんないい笑顔で圧力かけないでくださいってば。

半ば無理矢理腕を引かれ大学を後にする。今日はうちに泊まると蔵ノ介が言うので、途中スーパーで夕飯の食材を買った。

「あと今日のバイトも休んどき」
「え!いやそれはちょっと」
「言っとくけど自分のその顔色見たら、向こうもすぐ帰す思うで」
「…… … … 」

一体今の私の顔は何色なのか。

仕方なく電話でバイト先に連絡したら「いいよいいよ!むしろ名前さん働きすぎで心配なぐらいだったから!」と快く了承してもらえた。店長いい人すぎます。電話を切って、オッケーだって、と蔵ノ介に伝えたらよっしゃ、と嬉しそうに目を細めて私の手を握った。

家に着いて、食材を冷蔵庫に詰めてたら後ろからぎゅっと蔵ノ介に抱き締められたので「ぐえ」と蛙の泣き声みたいな音が喉から出る。

「ちょっと邪魔」
「そんなん後でえ えから、こっち来て」

なんか今日はえらいわがままだな。 食材の入った袋はそのままにずるずると後ろから引っ張られ、しがみつ かれたままベッドへ豪快にダイブし た。

「蔵ノ介、」
「ほら、ええこええこー」
「…… 恥ずかしいからやめてよ」
「俺と名前しかおらんのやからええやん」

そういう問題ではない気がする。「名前の髪ええ匂いやー」とか言われてやっぱり恥ずかしくなって身を捩るけどびくともしないので大人しくされるがままになる事にした。背中に感じる蔵ノ介の体温と、私の頭を撫でる蔵ノ介の手の感触が、少し覚醒しかかっていた睡魔をじわりじわりと呼び起こしていく。段々瞼も重くなってきて、その心地よさに、 身体中がふわふわしているような錯覚を感じながら、ああ、なんて幸せ、なんて。

「く、らのすけ…」
「んー?」
「おやす…み… 」
「…… おやすみ」

夢を見た。 白い教会で、白いドレスに包まれた私。そしてこれまた白いベールが私の顔を覆っていて、誰かが、そっとそれを上へ持ち上げる。 ステンドグラスの光がその人を照らして、綺麗に、それはもう綺麗に笑 うんだ。

ほら、ちゃんと見つかったやろ?

名前の、内定先

唇が触れて、私は、ありったけの幸福に身を委ねた。

「名前さん顔色よくなったね」
「え、ほんとですか?」

昨日たっぷり寝たからかな。蔵ノ介の腕の中で眠りについた後、蔵ノ介の手料理を食べたりしながら久々に ゆっくりとした時間を過ごせた。そういえば何か夢を見た気がするけど、あんまり明確に思い出せない。凄く、暖かい夢だった気がする。

「今日からまたバリバリ頑張ります よー!」
「あはは、嬉しいけど、ほんと無茶は駄目だからね?」 「大丈夫です!」

もし疲れても、充電できる術を、私は持っている。

いらっしゃいませー、と遠くで声がした。私は傍らのハンディを手に取り、揚々と厨房を飛び出した。

「…… … 名前?」

あ、寝た。くうくうと寝息を立てる懐の名前を撫でながら、込み上げてくる愛しさ に口許が緩む。

「名前はなーんも心配せんでええんやで?将来の事も、金の事も。俺んとこに永久就職したらええ。俺が 養ったるから」

なんて、まだ俺も学生の身やからな。面と向かってそないな事はまだ言えん。ちゃんと手に職もって、そんで、改めてプロポーズする。

腕の力を僅かに込めて、名前の首筋にキスを落とす。名前は軽く身動きして、ふふ、となんだか楽しそうに息をついた。

「…… どんな夢、見とるんやろなあ」

願わくば君のその夢が、 俺との未来であればいい


約束された未来のアイリス


明日から本気出すの米子さんからフリーリクエストいただいちゃったぞ!わーい!わーい!本当にわたくし米子さんの書く文章好きなんですよね、フリリク頂けて嬉しい!バイトづけの日々…ふむふむ、なんだかこれは体験したことがあるのですが決定的に違うのは白石くんがいないということですね(白目)え、もうちょう素敵…ありがとございます米子さんんん!

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