稲GOss | ナノ
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(京天)
※藻子様のみお持ち帰り可能です。
剣城の世界には常に兄の存在が不可欠だった。思い出でも。日常でも。そして、サッカーでも。
そんな剣城の世界に、ほんのちょっとで良いから、俺を入れてほしいと思い始めたのは随分と昔の事で、そしてその気持ちは少しずつ膨張していった。
そして今、俺は剣城の兄が羨ましくて仕方ない。
(…私とあの人、どっちが大事なの?)
まるでチープなドラマのようだ。ぼんやりと暑さで逆上せた脳ミソで、安っぽい台詞を呟いてみる。誰もいない部室で1人、机に突っ伏してグリグリと額を擦り付ける。剣城にとって、お兄さんは特別な存在だ。それは家族とか、兄弟とかという理由ではなく、もっと根本的なものであり、総てにおける剣城の記憶の源に直結する人物だ。そして、剣城は何事においても兄を最優先する。自分やサッカーすらも顧みず、兄の元へ駆け付けるのだろう。
兄が死ねといえば、剣城は喜んで死ぬのだろう。
(…最悪だ)
頭を振って思考を散らせる。一度しか会っていないが、剣城の隙間から見た剣城の兄は優しそうで、そして儚い人だった。真っ白な部屋の中心で、真っ白なベッドに腰掛けるその人は、優しい笑みを浮かべて、弟をよろしくと言ってくれた。そんな人が、あんな残酷な事を言うもんか。
グッと、目を閉じる。最低だ。再度思う。こんな醜い事を思う自分が、勝てるわけがない。当たり前じゃないか。始めから勝ち目なんてなかった。解ってた。嫌になるくらい、解ってたんだ。
(…暑い)
先程から、体中が熱い。部室はいつも冷房が付いてるはずだが、酷く暑かった。もしかしたら、付け忘れたのだろうか?ノロノロと重い頭を上げると、同時に部室の扉が開いた。
「あ、」
「…お前、こんなトコ居たのか」
今日は部活ねぇぞ。低く心地よい声が呆れを含めて近づいてくる。剣城だ。擦れた声で呟いたら、その音を上手く拾えなかったのか、眉間の皺を深めた。
「何か言ったか?」
「…ううん」
「…西園が探してた。早く行くぞ」
そう言って、剣城は背中を向けてさっさ元着た道を辿っていく。そうだ、信助を待たせてるんだった。共に帰る約束を交わしていた小さな友人への申し訳なさが滲む。それと同時に、剣城は自ら俺を探してくれたわけじゃなかったんだ。という事実に胸が締め付けられた。熱い。悲しい。ぐちゃぐちゃに溶けた不快感が思考を鈍くしていく。離れていく背中が、ぼやけてよく見えない。剣城。先程無かったことにした友人の名前を言葉にしようとしたけれど、それは音になる事無く、空気に溶けていった。
嗚呼、これは罰かもしれない。先程、俺は彼の兄に嫉妬を覚えて醜い事ばかり考えたから、剣城の名前を言う事さえ許されないんだ。
じわりと瞳の奥が熱くなっていく。ユルユルと歪んでいく世界の中で、とうとう剣城の背中は扉の向こうに消えてしまった。