裏口 | ナノ


▽ 四月の魚


今日から4月だ。
月が変わり、すっかり春らしくなったその初日。
朝からどうもクラトスの姿が見えないと思っていたら、昼過ぎになってひょっこりとユアンが姿を現した。

「え? 仕事を紹介した?」
「ああ。何か自分を雇ってくれるところはないか、と言っていたから、とりあえず日雇い業を紹介してきた。」
「ふーん…。」

何だってまた仕事なんか。
いくら今日が、あちこちで就任式が行われている年度初めの日とはいえ。
まあ、最近アイツは世の中のことをもっと知りたい、なんて言っていたから、ちょっとした社会勉強のつもりかもしれない。
だが、場所を聞いて驚いた。
スラムに程近い、歓楽街の裏手。
その一帯はたしか…

「娼館じゃねーか! 何だってそんなところを紹介したんだよ!」
「手っ取り早く稼げるだろう?」
「手っ取り早くって…、仕事の内容は言ったのか?!」
「ああ、皆の安全を守る仕事だと。」
「嘘じゃねーか、それ!」
「まあ、あながち嘘でもあるまい。」

確かに、ああいう場所がなくなれば、捌け口を失った連中がいかがわしい犯罪に走らないとも限らない。
そういう意味では「安全を守る」という説明も、完全に間違っているわけではない。
が、いくら何でも遠まわし過ぎるだろう。
しかしユアンはそんな気も知らないのか、飄々と続ける。

「それに、今日は4月1日だろう。嘘を言ってもいい日ではなかったのか?」
言われて初めて思い出す。そういえば、今日はエイプリルフールだった。
けれど、
「言っていい嘘とそうでないやつの区別もつかねーのか、アンタは!」

慌てて時計を見る。
まだ午後半ばだ。
だが、ああいう店はなにも夜ばかりとは限らない。
最近では陽も高いうちから営業しているところもあると言うし、こうしている間にも、アイツを買おうとする奴が現れるかもしれない。

「とにかく、話は後だ! 行って来る!」
「何をしに?」
「決まってんだろ、連れ戻しに行くんだよ!」

こんな事態を引き起こしたユアンをシメてやりたい気持ちを堪え、ともかくも外に飛び出す。
もう1秒の時間も惜しい。

身体の売り買いなんて、そんな世界があることすら知らないだろうアイツが、見ず知らずの男に触れられる。その光景を想像しただけでどうにかなりそうだった。
まあアイツのことだ、ヘタな男じゃ殴り飛ばされるのがオチだろうが、中にはとんでもない奴もいるからな。薬でも盛られたら、抵抗する隙もないかもしれない。
どうか無事でいてくれと祈るような気持ちで、俺は街の人波の中を走り抜けた。




「……ここか。」

目的の場所は、いくつかの娼館が集まっている一角だった。
案の定、昼間から開けている店がほとんどで、辺りには獲物を漁りに来た男たちがたむろしている。
―――あいつは、どの店にいるんだろう。
見回すと、小さな店の入り口に、見覚えのある色の髪がちらりと見えた。
背格好からしてもどうやら間違いなさそうだ。
……あそこか。
さすが俺サマの天使様感知センサーは一味違うな、なんて自画自賛しながら行ってみると、思ったとおり、店の玄関口には愛しい彼の後姿があった。

そして彼の前にはニヤニヤと笑う若い男と、この店の主人と思しき年配の男。
客の男はクラトスに「いくらなの?」とか「小さいのに偉いねぇ」なんて話しかけ、店の主人は金額を伝えて、「今日から入ってもらったんですよ」なんて笑っている。
そしてクラトスは、多分訳がわかっていないのだろう、二人のやり取りを穏やかな表情で見つめていた。

―――このままではまずい。
俺はそこにずかずかと入っていった。
そして、クラトスの肩を掴み、店の主人に正面から対峙する。

「ちょっと待った! こいつは、俺が買う。」
開口一番そう言うと、クラトスは驚いて振り返った。
「み…、神子様?!」
店の主人も突然のことに、呆気に取られたような顔をしている。
「は? いえ、ですが彼は……、」
「いいから!」

有無を言わせず、先ほど主人が口にしていた金額を叩きつけるようにカウンターへ置く。
強引かつ礼儀も何もあったもんじゃ無いが、ここで引くわけには行かないのだ。こいつのためにも、俺のためにも。
そして目を丸くしているクラトスの手を掴み、「客室」とサインのある階段を上がった。

「神子様……!」

大股で歩く俺に引っ張られながら、クラトスは何か言いたげにしている。
きっと、俺が来た理由とか、自分が働いている訳なんかを話したいのだろう。
だが俺は無言で部屋に入ると鍵を掛け、勢いに任せて、彼を少々乱暴にベッドの上に放り投げた。

なぜだか、無性に腹が立って仕方なかった。
クラトスが騙されて、何も知らずにここに来たのはわかっている。
けれど自分以外の男に、その身を売って好きにさせるなんてもってのほかだ。
たまたま未遂だったからよかったものの、もし間に合わなかったら、と思うと許せるはずも無かった。

「神子様、痛い…!」
「買ったのは俺だぜ? 好きにさせろよ。」

ちょっとやり過ぎかとも思ったが、解ってもらわねば、という気持ちが先に立った。
こういう場所で働くとはどういうことか。
そして、俺以外の男に体を許そうものなら、それこそどんな目に遭うのか。
抵抗する隙も、言い訳をする間さえも与えず、好き放題に抱いてやった。
クラトスは涙を浮かべ、辛そうにしていたが仕方が無い。
ちゃんと理解してもらわなきゃ困る。何かあってからじゃ遅いのだ。






「大丈夫か、クラトス。」
「……はい。」

どれくらい経ったろう。
ひとしきり感情を吐き出して漸く落ち着いた俺は、クラトスを抱き起こした。
くったりと力の抜けた身体は、素直に腕の中に納まる。
西日に照らされた髪が、いつもより乱暴な情事のために乱れていた。
手酷く扱ってしまったことを今更ながら詫びるように、そっと手で梳いて直してやる。

「……悪かったな。でも、わかったろ? ここの仕事がどんなもんか。」
するとクラトスは力無い様子ながらも、真っ直ぐにこちらを見上げた。
そして、訴えるような表情で、なぜだか少々怒ったように言った。
「あの、神子様、そのことなのですが…、」

*******

「用心棒として雇われたぁ?!」
「はい。」

クラトスから事の顛末を聞いた俺は、二の句が継げないままポカンと口を開け、ヘナヘナと肩を落とした。
ということは。
完全に俺の早とちりだったってワケか。

「悪い…、俺はてっきり売られちまう方だと……。」
「まさか。私もここがどういうところか、多少なりとも理解しています。そんなことをするはずが無いでしょう。…それに私を買うなんて言う物好きは、神子様くらいです。」
「いやいや、お前それは、もっと自分を知ったほうがいいぞ?」

現に俺が来たときに声を掛けていたヤツなんて、絶対その気だったはずだ。
そう言うとクラトスは、あのときは「用心棒としての日当はいくらか」という話をしていたのだと言った。
……そうだったのか。どうりで、こいつに付けられた値にしては安いと思った。
もう、返す言葉もない。
要は、俺はユアンのヤツにまんまと担がれたというわけだ。

クラトスのこととなるとつい過剰に反応してしまう自分が、今回ばかりは情けなかった。
まさに四月バカだ。
だが前述の立派な売り物になるという点については、帰り際「まあ彼じゃ人目を引きすぎて、どっちにしろ用心棒は勤まらなかっただろうね」という店の主人の言葉が、俺の心配もいたしかたなし、ということを証明してくれたが。





「歩けるか?」
「平気です。」

屋敷へ戻る帰り道も、クラトスは素っ気無かった。
まあ、それもしょうがない。これが大人の天使様だったら「良く考えてから行動しろ」なんて説教をくらった上、物理的にも痛い目に逢わされているかもしれない。
前を行くクラトスの一歩後ろを歩きながらそんな事を考えていると、ちょっと沈んだ声が聞こえてきた。

「あの……、神子様も、ああいうところにいらっしゃるのですか?」
「え?」
「その……、女性と、触れ合いたいと思うことも…あるのですか?」
なんだ、やけに元気がないと思っていたら、そんなことを心配していたのか。
やっぱり、まだまだ素直で可愛い。
「ま、今はそんな気はないぜ? お前が相手してくれなくなったらそうするかもしれないけどな。」
歩を並べながらそう言うと、クラトスは俯き、小さな、でもしっかりした声で「そんなことありません」なんて言った。

その様子につい、胸が熱くなってしまって。
騙されるのも悪くないかもな、なんて思ってしまった4月の初め。
やっぱり、ちょっと馬鹿かもしれない。
それも惚れた弱みってコトで。

End.

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