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空振り三振とみせかけて本塁打


 目覚めた時、俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、彼女の可愛い寝顔だった。……なんて、ドラマや漫画のようにときめく展開は、現実世界でなかなか起こらない。俺は今、それを体感している真っ最中だった。
 今朝俺が目覚めた時一番最初に目にしたのは、彼女の後頭部。いや、後頭部というより頭頂部というべきだろうか。まあそんなのはどっちでもいいのだが、とにかく俺が言いたいのは、彼女が俺に背中を向けて寝ていたということだ。あんなことをした翌朝なのだから、普通なら俺の胸の中に顔を埋め擦り寄って寝てくれていてもいいと思う。ただ彼女は普通じゃないから、そう考えればこれはあるべき姿なのかもしれない。そういうことにしておこう。
 幸いにも俺の腕はちゃんと彼女の頭の下敷きになったままなので、腕枕の役割は継続中。というわけで、頭を撫でたりやんわり自分の方に引き寄せることは容易にできた。ついでにあいている方の手をお腹のあたりに回せば完璧……と思っていたら、お腹に触れた瞬間「そこはアウトです」という声が聞こえてきて思わず手を引っ込めた。彼氏としてそこまで悪いことはしていないはずなのに、妙な罪悪感に襲われる。

「起きてたなら言ってほしかったんですけど」
「言う前にやらしいことされたの」
「やらしくないって。純粋に可愛い彼女を抱き締めたかっただけ」
「その言い訳は嘘っぽいからダメ」
「言い訳じゃなくて本心」
「だとしてもお腹は女の子のデリケートゾーンだから無闇に触っちゃいけません」
「それはどうもすみませんでしたー」

 心にもない謝罪の言葉を吐き出して、ちょっと不貞腐れる。だってそっち向いてたらなんとなくお腹触りたくなっちゃうじゃん。起きた時こっち向いてくれたら良かったのに。そんなガキくさい感情まで芽生えてきた自分に嫌気がさす。
 昨日はあんなに触ってって言ってきたくせに、という考えは、完全な暴走。セックス中の言葉を通常モードの時と同じ意味で捉えちゃいけないことぐらい俺だってわかっている。そこまで馬鹿じゃないし空気が読めない男でもない。
 完全に機嫌が直ったわけではないし、彼女の発言に対してまだ納得はしきれていないが、このままだとまたうっかり触ってはいけない女の子のデリケートゾーンに触ってしまいそうなので、とりあえず布団から脱出することにする。それにはまず彼女の頭の下から腕を引き抜かなければならないのだが、それはできそうもなかった。どういうわけか彼女が俺の手を握っているからだ。
 人には散々(というほどでもないかもしれないが)触るな、みたいなことを言っておいて、自分は堂々と触るのか。それは理不尽じゃないだろうか。触られて嫌なわけではないが、その前のやりとりのことを思い出すと今の状態をすんなり受け入れるのは癪だった。

「そこは男のデリケートゾーンなので触らないでくださーい」
「拗ねてるの?」
「いいえ。全然」
「今度こそ絶対に嘘」
「じゃあ拗ねてるって言ったらどうしてくれんの?」

 我ながら面倒な男だなと思った。だから年下の男の子って嫌なのよ、と言われたらぐうの音も出ない。もっと大人にならなければ。彼女のことを「はいはい」って窘められるような、懐の深い男に。
 そう思ったところで、俺はこの場で急成長できるようなポテンシャルを秘めているわけではないので現状は何も変わらない。言ってしまった言葉もなかったことにはできないし、前言撤回したって自分の感情はまだ平静に戻っていないから何食わぬ顔でくだらない会話を始める余裕もなかった。
 そんな、つくづく情けない男の手を握ったままの彼女は、たっぷり大人の余裕があるのだろう。俺の手に自分の頬を擦り寄せて猫みたいな仕草をして見せた。そして首だけを捻ってちょっと背中を反らせながら、上手に俺の唇に自分のそれを重ねる。

「ごめんね?」
「…………はぁ」
「まだ拗ねてる? それとも怒ってる?」
「どっちもハズレだけどどっちも正解」
「男心は難しいなあ」
「女心の百倍シンプルです」
「そうかな。女だってシンプルだよ。シンプルだけど、男の人より隠したりはぐらかしたりするのが上手いのかもね」
「ふーん」

 本当はたった一度のキスだけで機嫌なんてすっかり直っていた。でも、キス一つで機嫌が直るようなチョロい男ってどうなんだろうと思って微妙な反応をして、その直後にまた面倒な男になってしまったことを後悔して、そんな自分にちょっとイラついて、つまるところ自分でも何がなんだかよくわからなくなっている。
 たぶん、理想とする男の姿と今の自分にギャップがありすぎるのだ。だから混乱しているし、言動を間違える。彼女に失望されたくない。せっかく昨日思いが通じ合ったばかりなのに、幻滅されたくない。全部俺のプライドの問題だ。

「色々考えてるんだよ。これでも」
「何を?」
「昨日ああいうことした後ぴったり寄り添って寝て、起きてからすぐに恋人同士の甘ったるい空気でイチャイチャしたりするの、年上の女としてどうなのかなーとか。余裕ある大人の女と甘えるのが上手な可愛い女、どっちが好みかなーとか。昨日からずっと頭の中黒尾くんのことばっかりなんだから」
「何も考えなくていいからこっち向いて」
「えぇ?」
「お願い」

 ぺらぺらと可愛らしい自分の思いを吐露した彼女を正面から見つめたくて、抱き締めたくて、堪らなくなった。これが恋人同士の甘ったるい空気になるのかはわからないが、空気の味なんか知ったこっちゃない。
 照れ隠しなのか、素でおどけているだけなのか、彼女は俺のお願いを聞き入れ身体の向きをごそごそと反転させ、半笑いで見上げながら「これでいいですか?」と尋ねてきた。それに対して何の返事もせず額に口付け、後頭部を引き寄せて自分の胸の中に強制的に頭を埋めさせた俺は、彼女の目にどう映っただろうか。余裕のない男? 甘えたがりの男? スキンシップやキスが好きな男? 何にせよ、大人の男だとは思われていないだろう。俺はどうやっても大人の男にはなれそうにない。

「俺は名前さんなら何でもいいんで」
「寛大だねぇ」
「名前さんは? どんな男が好き?」
「ちょっと意地悪で、でもここぞって時にはちゃんと優しくて、私にだけ甘くて弱くて、大人になれそうでなれない可愛いところと不意にドキドキさせてくる大人の一面を兼ね備えた男、かな」
「多すぎて覚えらんなかったんだけど、俺どれかクリアしてます?」
「困ったことに全部クリアしてるんですよ、黒尾鉄朗くん」

 彼女はやっぱりどこか真剣さを欠いた言い方をして俺をフルネームで呼んだ。ここまできたら、わざとふざけていることは明白だった。
 だってさっき言ってたもんね。起きてからすぐに恋人同士の甘ったるい空気でイチャイチャしたりするの、歳上の女としてどうなのかなーって。だからわざとおどけて、茶化して、そういう雰囲気にならないように頑張ってたんだよね。そういうところも含めて可愛いよ。ちゃんと。歳上とかそんなことどうでもよくなるぐらい。
 お互いやっぱりどこかで気にしているのだ。たった二つの歳の差を。どっちが上とか下とか、傍から見たらちっぽけなことが引っかかる。それだけ本気なのだ。少なくとも俺は。

「甘えていいんですよ、名前ちゃん」
「うわ。名前ちゃんって言った」
「可愛い彼女をちゃん付けで呼んじゃダメなの?」
「ダメ」
「なんで?」
「なんでも。とにかくアウトです」
「照れちゃうから?」
「わかっててわざわざ確認してくるのもアウト」
「スリーアウト。攻守交代」
「は?」

 攻守交代ってそもそもどっちが攻めでどっちが守備だったんだって話だし(俺がスリーアウトで交代ってことは攻めだったのかな、どうでもいいなマジで)、野球のルールを突然採用するなんて我ながら意味わかんねーなと思いながらも「アウト」を連発されてヤケクソになっていた俺は、怪訝そうな顔をしている彼女の腰を抱き寄せた。お腹はアウトでも腰はいいでしょ、という屁理屈を盾にして。
 何か言いたげな口を優しく塞ぐ。あえて目を閉じず彼女を見つめていたら慌てて目を閉じるのがまた可愛くて、心の中で笑いをこぼしてしまった。今の反応はまるで小動物のようだ。
 今度は口を解放して額をコツンとぶつけ、超至近距離でじぃっと見つめる。伏せていた目をおずおずと上げてくれたお陰でせっかく交わった視線は、すぐにまた伏せられた。「何なの」と呟く声のボリュームはすこぶる小さい。

「イチャイチャしたいんですけど相手してもらえません?」
「そういうの苦手」
「じゃあ俺に任せてよ」
「……うん」

 本来なら守備に交代した俺が、どういうわけかまた攻めに転じていた。そして、俺に攻められて押し負けた彼女は、もう戦意を喪失しているようだ。俺に全部委ねてくれているのがその証拠。ゲームセット、試合終了である。
 さて、ここからは第二試合が始まるわけだが、そういえば今日の予定って決めてたっけ? 朝ご飯を食べる時間はあるだろうか。その前に今何時? 何時までに帰ればいいのだろう。ごちゃごちゃ考えた結果、俺はそれらのどうでもいい考察事項を全部ぽいっとそこらへんの畳の上に放り投げた。試合中に雑念は必要ないのだから。