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マイナスがゼロになったぐらい


 甘いものは別腹ってよく聞くけどマジなんだな、と。まんじゅうを美味しそうにもぐもぐと咀嚼している彼女を眺めながら思う。
 宣言通りにソフトクリームを食べ、早めの昼ご飯にしようと蕎麦を食べた後、車内で検索したのであろうお店をしらみ潰しに当たっていった結果、せんべいもコロッケもチーズタルトもたいらげて、今はお土産にする予定だったまんじゅうを食べている真っ最中。彼女曰く味見らしいが、まんじゅうは大体美味いものだから味見は必要なかったと思う。スポーツ男子の俺より、スイーツ女子の彼女の方がよっぽど食欲旺盛だ。
 彼女と同じように胃袋に食べ物を詰め込んだ俺はわりとお腹いっぱいで、今はあまり食べ物のことを考えたくない。しかし彼女はまだ余裕なのか、夜ご飯は何が良いかなあ、とぼやいていた。まんじゅう食いながら考えることじゃなくね?

「他に食べたい物ある?」
「食べ物はもう十分だから、次は観光しよ」
「行きたいところあるの?」
「美術館とか神社とかロープウェイもあるんだってさ。そっちの方行ってみるのはどうですか?」

 食べ歩きしている最中に俺も少し調べてみたら、さすが観光名所なだけあって退屈はせずに済みそうだった。俺の提案は難なく受け入れられたようで、彼女は次の目的地へ向かうためか、まんじゅうをぱくりと口の中に放り込むと、あっという間に飲み込んだ。
 ここに到着した時と同じく、どちらへ向かって歩いて行ったら良いかわかりそうもない彼女の手を取って「こっち」と誘導する。嫌がられないのを良いことに何食わぬ顔をして手を繋ぎっぱなしで歩いているが、内心は今すぐにでも振り払われるんじゃないかと不安だったりして。
 そんな俺の不安は杞憂に終わり、彼女は美術館に到着して入館料を支払うために財布を取り出す瞬間まで俺の手に捉われてくれていた。じんじん。俺の手には彼女の熱がしっかり残っている。

 俺は別に美的センスがあるわけじゃないし、正直なところ芸術方面のことはよくわからない。授業で聞いたことがある有名な画家の絵を見ても「なんかすっげぇね」という大雑把な感想しか出てこないレベルだ。
 彼女もたぶん、俺と同じぐらいの知識しかないのだろう。ぼーっと作品たちを眺めている。美術館に行ってみようと誘った俺は、ここに来たのは間違いだったかな、と後悔しかけていたが、美術館を出てから彼女が「意外と面白かったね」と言ってくれたことで救われた。
 その後はロープウェイに乗って景色を堪能したり写真を撮ったり、神社に行って意味もなくお参りをしたりおみくじを引いてみたり(俺は吉、彼女は大吉だった)。なんだかんだで時間が過ぎていき、気付けばあっという間に夜を迎えていた。
 少し冷え込んできたことで、昼間は邪魔だとしか思っていなかったマウンテンパーカーの有り難みを実感する。彼女のカーディガンは肌寒さを軽減できるほどのパワーがあるのだろうか。震えてはいないが、客観的に見るとあまり暖かさが感じられる素材ではなさそうだ。

「寒くない?」
「うん、大丈夫」
「じゃあそろそろ帰りますか」
「え」
「え?」
「帰るの?」
「……帰らないの?」

 お互い「何言ってんだこいつ」という表情で顔を見合わせて固まる。どこかで夜ご飯を食べてから帰っていたら、今から車を出発させたとしてもそこそこ遅い時間になることは間違いない。だから俺の「帰りますか」は正しい提案だったと思うのだが、彼女はご覧の通り、非常に不服そうな顔をしている。
 もう少し一緒にいたい、とか、そんな可愛いことを言うつもりなのだろうか。だとしたら、また俺の純情な恋心を弄ぶ気満々だ。なんという悪女だろう。

「温泉入ってないし」
「あー……じゃあ温泉入ってから帰る?」
「夜ご飯も食べてないし」
「夜ご飯食べてから温泉入って帰る感じでいい?」
「旅館、予約しちゃってるし」
「は?」

 彼女から飛び出したとんでもないサプライズ発言に、俺の頭は完全にフリーズしていた。そんなの聞いてない。そりゃあ確かに、このドライブ計画を立てている時に日帰りじゃなくてもいいと言われて舞い上がった記憶はあるが、まさか勝手にこっそり旅館を予約してお泊まり旅行にしちゃってるなんて、そこまでのことをされるとは思っていなかった。
 いまだにちっとも頭の中を整理することができていないというのに「どうする? 予約キャンセルして帰る?」と、俺を更に追い詰めるようなことを言ってくる彼女はタチが悪い。予約キャンセルなんて、そんな勿体ないこと俺ができるわけないってわかってて言ってきてるんだろうなあ。ほんと、ずるいよなあ。

「そういうことはもうちょっと早く言ってほしかったんですけど」
「早く言ってたら、黒尾くん、今頃冷静になってたでしょ」
「まあ、時間があったらそれなりにはね」
「冷静になってほしくなかったの」
「なにそれ、どういうこと?」
「頭ぐちゃぐちゃのまま、私の勢いに負けて流されてほしかったんだもん」

 だもん、じゃないでしょ。俺より年上で色気たっぷりのオネーサンを、これ以上可愛いって思わせないでちょうだいよ。ほんと、嫌になっちゃうね。可愛くて、可愛くて。
 彼女は勘違いしている。冷静になった俺は、彼女に真摯な対応をする、と。そういう、やさしくてあまい男だ、と。勝手に決め込んでいる。しかし実際の俺は、やさしくもあまくもない。惚れた女からちょっと気を持たせるようなことを言われたら、この機を逃すものかとしがみつく、卑しくて欲望に忠実な獣と同類なのだ。
 冷静になっていようが、頭がぐちゃぐちゃのままだろうが、俺が取る行動はひとつ。どこの宿に予約を取ったのか確認し、地図を見て歩き出す。
 すると、くいっと。服の裾を引っ張って歩みを止められた。振り返れば、これもまた不服そうな顔をした彼女が俺を見上げている。今度は何に不満を抱いているのだろうかと俺が頭を悩ませるより先に、ずいっとこちらに伸びてきた左手。

「忘れてる」
「……ふはっ、すみませんでした」
「なんで笑うの」
「いや、だってめちゃくちゃ可愛いじゃん、今の」
「絶対馬鹿にしてるでしょ」
「してないしてない。大真面目。ほんとに、ごめん、可愛くてつい」

 綺麗だなあとか、大人だなあとか、そういう、オネーサンな彼女に対しての感想は散々抱いてきた。しかしここにきて、そこに可愛いがプラスされてしまったものだから、俺の「好き」は振り切れる。
 もう笑うしかない。可愛いって思い始めてしまったら愛おしさが倍増して、それまで色々面倒なことを考えていたのがどうでもよくなってきて、俺は彼女の左手に自分の右手を重ねて指を絡めていた。恋人じゃないけど、恋人繋ぎ。指の一本一本が、彼女の熱を感じ取る。

「俺さあ」
「うん」
「やっぱ名前さんのこと好きだわ」
「……うん」
「そこは、私も、って言ってよ」
「……、」
「ごめんなさい。調子にのりました」
「私も、好きだよ」
「いや、いいよ、大丈夫、」
「ほんとに。ちゃんと好きだよ、黒尾くんのこと」

 待ち侘びていた言葉だった。それなのに、いざ言われると反応に困ってしまうのはなぜだろう。
 俺が無理に言わせたような気がするから? その言葉を信じていいかどうかわからないから? じゃあどうやったら本音と嘘を見分けられるのだろうか。安心して彼女の「好き」を受け入れることができるのだろうか。
 ぎゅ。彼女が俺の手を強く握る。もしかしたら本気だよって伝えてくれているのかもしれない。……と思ったが、俺の都合のいい解釈という可能性も捨て切れない。待ち侘びていた言葉を言ってもらえたというのに手放しで喜べないなんて、俺はとんでもない捻くれ者だ。

「そっか」
「信じてないでしょ」
「信じてないっていうか、夢みたいっていうか、現実味がなくて」
「私もだよ」
「何が?」
「黒尾くんが私のこと好きっていうの、いまだによくわかんない」
「わかんないの?」
「だって私みたいな女のことが好きって。どうやっても意味わかんないでしょ」
「わかるよ」
「じゃあ私が黒尾くんのこと好きっていうのもわかるんじゃないの?」
「それはわかんないけど」

 結局俺たちは何もわかっていないみたいで、わからないくせにどうしようもなく好きってことだけがなんとなく伝わって「意味わかんないね」って笑うしかなかった。たぶんこういう意味不明な時間の積み重ねが、俺たちの恋愛を作っていくのだろう。
 ほんと、わけわかんないね。わけわかんないけど、なんかすげー幸せな気がしない? 彼女は、わかんないって言いながら笑った。