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24 公認
 遂に来てしまった。一也さんのお父さんにご挨拶する大切な日が。一也さんは「そんなに緊張するようなことじゃねーから」とケラケラ笑いながら言っていたが、これが緊張せずにいられるか!って話だ。逆の立場だったら一也さんもきっと緊張する…だろうか。一也さんは緊張というものと無縁なイメージがあるから、もしかしたら緊張しないかもしれない。
 四月末の日曜日。今日は一也さんが監督兼コーチをしている草野球チームの練習試合を観せてもらった後、一也さんの実家にお邪魔して夜ご飯をご一緒するというプランになっている。この予定が決まったのは先週末のこと。それから今日までの一週間、私は無駄にそわそわしていた。
 およそ一年前に別れた元カレとは、自分の親の話なんて一ミリもしたことがない。だからもちろん、お会いしたこともなかった。振り返ってみれば結婚できそうな要素は一つもなかったなあと笑えてくる。
 逆に一也さんとは付き合い始めてまだ一年も経っていないというのにトントン拍子に事が進んでいて、いっそ恐ろしささえ感じていた。何か企んでいるのでは?騙されていたらどうしよう。そんなこともちょっぴり考えたけれど、一也さんが私を騙すメリットなんてないし、意地悪なところはあっても性根が曲がった人じゃないことは私が一番よく知っているから、悪だくみを考えているかもしれないという懸念は一瞬で消え失せた。


「準備できた?」
「はい!」
「じゃあそろそろ行くか」


 一也さんと一緒に家を出て、車に乗り込んで練習試合が行われる予定の河川敷のグラウンドに向かう。今日は春の心地よい風が吹く気持ちのいい青空が広がっていて、絶好の野球日和だ。
 初めて一也さんの野球のユニフォーム姿を見た時「プロ野球選手みたい」と感想をこぼしたら「プロはこんな安っぽいユニフォーム着ねぇよ」と苦笑された。私にはプロとそれ以外のユニフォームの違いなんて色や柄ぐらいしかわからないけれど、素材とか着心地とか、そういうのが違うのだろうか。たとえ安っぽいユニフォームだとしても、一也さんが着たら何だってカッコよく見えてしまうのだから恋は盲目だ。
 ユニフォーム姿で運転をする一也さんは新鮮で、いつもより頻繁に運転席を見てしまう。それに気付いた一也さんが「そんなに見惚れるほど似合ってる?」などと冗談めかして尋ねてきて、私は咄嗟にいつもの調子で「違いますよ!」と返してしまったけれど「はい見惚れるほど似合ってます」と正直に伝えるべきだったと後悔した。こういうところが可愛くないんだぞ、私。

 そうしてグラウンドに到着してからは、一也さんの新たな一面を思う存分堪能させてもらった。子どもの相手とか苦手そう…と思っていたけれど全然そんなことはなくて、むしろ扱いの上手さに感心するほど。練習中は「あれ監督の彼女ー?」と私の方を見ながら茶化してきた子どもたちに対してニィッと笑いながら「羨ましいだろ」と軽いノリで返していたのに、試合中は真剣な眼差しで一人一人の子どもたちに声をかけたりアドバイスをしていてしっかり「監督」の顔になっていた。子どもたちもそんな一也さんにきちんと向き合っていて、一也さんも子どもたちも野球が好きなんだなあということがひしひしと伝わってくる。
 練習試合は五対三で負けてしまったものの、本試合にいかせる内容だったらしい。私は子どもたちに「また来てね!」と手を振られながら一也さんとともにグラウンドを後にした。


「一也さん、本当の監督みたいでした」
「みたい、じゃなくてマジで監督してんの」
「それはそうなんですけど、なんかこう、プロみたいだなって……」
「やるからには勝ちたいだろ。あいつらも」
「監督してるってことは、一也さんも野球やってたんですよね?」
「まあ……高校ぐらいまでは」


 車が発進してから何の気なしに尋ねたことは、一也さんにとって触れてほしくない内容だったのかもしれない。返事をする声のトーンが明らかに低くなった。


「これでもプロ目指してた…っていうかほんのちょっとだけプロだったんだけどな。入団してすぐに怪我したり親父が倒れたりしてすぐ辞めたから」
「そう……だったんですか……」
「昔のことだし今も監督として野球やらせてもらってるし、今はもうプロに未練ねーから。そんな気まずそうな顔すんなっての」
「だって私、何も考えずに…」
「だからもういいんだって。変に気遣われるだろうなと思ったから言ってなかっただけで、言いたくなかったわけじゃねーから」


 右手でハンドルを握り上手に運転を続けながら左手で助手席に座る私の頭をがしがしと撫でる一也さんの声はいつも通りで、でも私に気を遣わせないようにわざとそうしているのかもしれないと思ったらやっぱり申し訳なくて、私は何も言えなかった。私が落ち込んでも仕方がないことだとはわかっていても、夢を諦めざるを得なかった当時の一也さんのことを思うと胸が痛む。
 一也さんはそういう過去を乗り越えて、今私の隣にいるのだ。再会した時「私の家庭教師をしていた頃と変わらない」と思ったけれど、変わっていないのはすごいことじゃないだろうか。


「怪我はもう大丈夫なんですか?」
「少年野球の監督として指導する程度なら問題なし。親父も今はピンピンしてる」
「それなら良かった」
「なんかお前がしおらしいと調子狂うな」
「何言ってるんですか。私はいつもしおらしくて可愛い女子でしょ」
「女子って歳じゃねーだろ」
「失礼な!」
「親父の前でもその意気でいけよー」
「それはちょっと…」


 一也さんと話しているうちに自然といつもの自分に戻ることができて、少しホッとした。一也さんもきっといつも通りを望んでいる。だから私は、お義父さんに今の気持ちをいつも通り素直に伝えようと決めた。
 一也さんと一緒にいられて幸せだと思っています。いつも大事にしてもらっていると感じるから、私も一也さんのことを大事にしたいです。……なんて、ここまでストレートには言葉にできないと思うけれど。

 そうこうしているうちに一也さんの実家に到着した。「御幸スチール」という文字は少し煤けていて、昔ながらの雰囲気を漂わせている。
 いよいよお義父さんに対面するのかと思うと今更のように忘れかけていた緊張感が戻ってきたけれど、一也さんはそんな私のことなどお構いなしで「ただいまー」と玄関の扉を開けているから心を落ち着かせる暇もない。ちょっと深呼吸する時間ぐらいほしかったんですけど!
 一也さんが家の中に入ってしまったら私も入らないわけにはいかないので「お邪魔します」と挨拶をしながら靴を玄関の端っこに並べて後をついて行く。するとすぐに男の人が現れた。間違いなく一也さんのお父さんだ。自然と背筋が伸びる。


「電話で言っただろ。今付き合ってるカノジョ」
「初めまして。名字名前と申します」
「そうか……ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます」


 かなり身構えていたのに、お義父さんの反応はかなり薄かった。会話もそれで終了。親子だから見た目は一也さんに似ているところもあるけれど、性格はそんなに似ていないのかもしれない。だって一也さんはあんなに寡黙じゃないし。
 そこからは、一也さんが夜ご飯を作るというので私も並んで台所に立たせてもらい手伝いをした。親子で何か会話をするのかと思いきやそんなこともなく、一也さんが時々私に話しかけてくるから反応するぐらいで、お義父さんはまるで空気のよう。息子の彼女に相応しいかどうか値踏みしているのかもしれないと思って緊張しまくっていたけれど、夜ご飯を食べる頃には緊張が続かなくなってきていた。お義父さん、一言も喋らないしそんなに私のこと見てなさそうなんだもん。


「飯食ったら帰るわ」
「そうか。わかった」


 え?帰っていいんですか?私との会話、最初のご挨拶の時だけなんですけど、それで大丈夫ですか?もしかして第一印象でアウトな女でした?だからお話していただけないとか?それならそれでダメ出ししてもらった方が改善できると思うんですけど。
 一也さんの手料理はいつも通り絶品だったと思うのだけれど、全然味がしなかった。一也さんに話しかけられても生返事しかできない。
 このまま帰っちゃだめだ。ここに来る前決意したじゃないか。私の気持ちをちゃんと伝えるって。だからもしお義父さんに気に入られていないとしても、一也さんと別れるつもりはないって宣言しておかなければ。私は意を決して言葉を発した。


「あ、あの、私じゃ一也さんに相応しくないですか」
「ん?」
「ダメなところがあったら直します。だからその、私、今後も一也さんとお付き合いを続けていきたいです」
「……一也を宜しくお願いします」
「え? いいんですか……?」
「あっはっは!」
「ちょっと、一也さん?」


 こっちがめちゃくちゃ真面目に話をしているというのに、横でお腹を抱えて笑い出した一也さん。私はお義父さんの前であるにもかかわらず、思わず睨みつけるような視線を送ってしまった。
 お義父さんは綺麗にご飯をたいらげて呑気にお茶を啜っているし、この家族は一体どうなっているのだろうか。私だけがどうにも状況理解できていないようで腹が立ってきた。ちょっと、今どういう状況なのか説明してもらえません?すると、私の心の声が聞こえた、みたいなタイミングで、漸く笑いがおさまってきた一也さんが口を開いた。


「親父もともとこんなんだから。認めてないとか気に入らないとか、そういうんじゃないんだって」
「それならそうと言ってくださいよ!私はてっきり第一印象から嫌われてるんじゃないかと思って…」
「申し訳ない」
「あっ、いえ、お義父さんが悪いわけではなくて…って、一也さん!笑ってないでフォローを!」
「フォローってなんだよ……くくっ……」


 一也さんは私の慌てようを見てまた肩を震わせて笑っているけれど、お義父さんは相変わらず眉ひとつ動かさない。でも、怒ってるわけではないんだよね?私、嫌われてるわけでもないんですよね?
 ここから何をどうするのが正解なのかわからずお義父さんと一也さんを交互に見る私に声をかけてくれたのは、意外にもお義父さんの方だった。


「一也は何を考えているかわかりにくくて困ることが多いかもしれないが、今後も付き合ってやってくれたら嬉しい」
「はい」
「一也が付き合っている子を連れて来たのは初めてだな」
「え」
「大切にしなさい」
「はいはい」


 お義父さんはさらりと大事なことを言って席を立ち、一也さんも何事もなかったかのように夜ご飯の後片付けを始めたけれど、私はぽかんと呆気に取られたまま動けない。お義父さんに紹介してもらえたの、歴代の彼女の中で私だけなんだ。それを理解したらじわじわ喜びが溢れ出してきて、にやけてしまう。
 それだけ私は特別ってこと?今までの彼女とは違うってこと?ねぇ一也さん、教えてよ。
 洗い物を始めた一也さんの隣に立って「手伝います」と声を弾ませる。すると「わかりやすいなお前は」と笑われた。そりゃあ声も弾みますよ。すごく嬉しいことがありましたからね。


「一也さん、私のことわりと大切にしてくれてますよね」
「今更気付いたんですかー?」
「改めて思ったんですー」
「あっそ」
「照れてます?」
「手動かせよ」
「はーい」


 顔色こそ変わらないが、たぶん照れているレアな一也さんを横目で見ては頬を緩める。そんな私たちをお義父さんが優しい眼差しで見守ってくれていたことを、私たちは知らない。

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