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24

とろけた朝をいただく

初めての夜を彼と共に過ごした。全てが終わってからの何とも言えないあの空気は、一生忘れないと思う。恥ずかしくて堪らないけれど、幸せで、満ち足りていて、でもその空気に押し潰され続けていたら苦しくて、死んでしまいそうで、逃げたいけれども逃げたくない。そんな、よく分からない空気。
シャワーを浴びた後、自分のベッドで誰かと一緒に寝るということに躊躇いを覚えた。彼と寝るのが嫌だ、とか、そういう、マイナスな理由ではない。これ以上ないほど恥ずかしいことをして、これ以上ないほど全てを見られた後だから、もう何も躊躇う必要なんてないはずなのに、全てが終わった後だからこそ、どうしたら良いのか分からなくなったのだ。
ぽつりぽつりと染み込んだ赤い模様は、彼との情事を生々しく思い起こさせた。そうか、私、セックスしたんだ。そう思わされる。と言っても、彼を満足させるところまで行きつかなかったから、本当の意味で経験したと言えるのかどうかは微妙なところだけれど。
先にシャワーを浴び終えた彼が、ベッドに近付こうとしない私を迎えに来た。私の手を取って、一緒に寝てくれない?と、お願いするような声のかけ方をしてくれたのは、私の躊躇いを感じ取ってのことだったのだと思う。その時の手付きは飛びっきり優しくて、まるで自分はお姫様になったんじゃないかと錯覚しそうになるほどだった。
自分のいつも寝ているベッドに彼と横になる。1人でもそんなにのびのびと眠れるわけじゃない狭いベッドに2人で寝るとなると、身を寄せ合うより他ない。彼はひとつも動揺や戸惑いを見せず、私を上手に抱き込むようにして身を丸めたけれど、私はそれがどうにもむず痒くて、背を向けてしまった。
彼の匂いが色濃く香ることに耐えられない。こんな状態で眠れるわけないじゃないか。もしかしたら情事中よりも今の方がうるさいんじゃないかってほど、心臓がバクバクと脈打っていた。寝るのにこんなに緊張したことはいまだかつてない。それなのに彼ときたら、それまでの言動からして私の心情を全く察知できていないわけではないはずなのに、なんと急に背後から回してきた手で胸を揉み始めたではないか。


「ちょっ、赤葦君っ!」
「何?」
「何?じゃないでしょ!手!」
「手がどうかした?」
「も、揉まないで…!」
「痛い?」
「そうじゃなくて!」


痛いとか擽ったいとか、そういうことじゃないのだ。彼は、こんなの普通のことじゃない?みたいな雰囲気で依然として私の胸をふにふにと揉んでいるけれども、胸を揉むという行為は、セックス中以外でこんなにもスムーズに行えるものだっただろうか。いや、そんなはずはない。その手付きには情事中のようないやらしさは全くなくて、本当にただ揉むのを楽しんでいるだけ、みたいな感じだけれど、だからって、まあ好きにしていいよ、となるわけがなかった。


「この体勢だとちょうどいいから」
「何もちょうどよくない!」
「柔らかくて気持ちいいし」
「……赤葦君は変態だったの?」
「バレたか」
「否定してほしかったよ、そこは」


いまだに彼のことは掴めなかった。信じられないぐらい色っぽかったくせに、急に幼稚なことを言い出して、遂には自分が変態であることまで認めてしまって。それが私の緊張を解すための手段だったとしても、彼の考えていることはよく分からなかった。
彼と向き合って寝るのは無理だと思っていたけれど、背を向けて寝る方がもっと無理だと悟った私は、身体の向きを変えた。彼はわざとらしく、こっち向いちゃうの?残念だなあ、なんて呟いていたけれど、全然残念そうな感じじゃなかったから無視した。無視して、眠れそうにはないと思ったけれど目を瞑って、彼の体温がぽかぽか気持ち良いかもしれないと思って。


「……寝てた」


びっくりした。いつの間にか寝ていて、気付いたらとても気持ちのいい朝を迎えてしまっていたことに。こんなにもぐっすりと眠れたのは久々かもしれない。人肌が心地いいというのは、あながち間違いではないのかもしれないと、身を以て感じた朝だった。


「おはよう」
「お、はよう…」
「よく眠れた?」
「びっくりした。眠れないと思ってたのに」
「結構すぐ寝てたけど」
「…赤葦君はちゃんと眠れた?」
「どうかな。何回も殴られたから」
「えっ、嘘!?」
「嘘。いい子して寝てたよ」


目をぱちぱちさせている時に頭上から降ってきた声は、いつもより少し低く掠れているような気がする。それが昨晩の情事を彷彿とさせるものだから、このくだらないやり取りをすることで、私が意識しているという事実を隠せて有難かった。いい子して寝てた、という子どもに対する言い方のようなそれには少しムッとしたけれど、何の気なしに頭を撫でられて戦意が殺がれてしまう。まったく、私も随分と彼に絆されてしまったものだ。
誰かと一緒に朝を迎えるのは初めての経験だから、どういうタイミングで身を起こすべきか迷う。枕元の携帯で時間を確認したところ、まだ8時前。思っていたよりも早かった。今日は土曜日だから大学に行く必要はないし、バイトも夕方からだから急ぐ必要はない。とは言え、いつも朝起きたらすぐに行動する派の私は、二度寝などできるタイプじゃなかった。


「ね、名字さん」
「何?私、もう起きるよ」
「名前」
「へっ!?」


身を起こしてベッドから立ち上がろうとした私は、彼からの突然の呼びかけに素っ頓狂な声をあげて引っ繰り返ってしまった。誇張表現でもなんでもなく、本当にベッドに引っ繰り返ってしまったのである。そんな私の反応を見て彼はけらけらと笑っているけれど、誰のせいだと思っているんだ。そっちが急に名前なんて呼ぶからこんなことになってるんじゃないか!
私は再び素早く身を起こすと、今度こそベッドから立ち上がった。揶揄うのも大概にしてほしい。不覚にもドキドキしているから、気分を落ち着かせるためにもその場を離れよう。
そうして一歩を踏み出そうとした瞬間に彼の手が私の手首を掴んで引っ張った。そのせいで、私はまたもやベッドに引っ繰り返る。1日に2回もベッドに引っ繰り返るなんて経験は、そうそうできるものではない。


「ちょっと!」
「名前、」
「…っ、」
「って、呼びたいんだけど。そろそろダメ?」
「だ、だめ…っ!」
「どうして?」
「どうしても!」
「ドキドキしちゃうから?」


分かっているのならいちいちきいてこないでほしい。この性悪男め。
自分の名前を呼んだことがあるのは、親か、女友達数名程度。父親以外の異性に名前を呼ばれたことは勿論ない。そりゃあドキドキするに決まっている。慣れるまで心の準備が必要なのだ。今みたいに不意打ちで呼ぶのは反則だと思う。


「別に、今まで通りで良いでしょ…」
「俺は彼女のこと名前で呼びたいんだけどな」
「……じゃあ、急に呼ぶのはなしで…」
「今から名前呼ぶよって前置きしたらいいの?」
「いや、うーん、それはなんかおかしいけど…」
「じゃあ今から名前呼ぶね?」
「えっ、ちょっ、まっ」
「名前」


分かっている。名前を呼ばれたぐらいでいちいち何をドギマギする必要があるんだって、きっと世間一般の普通の人ならそう思うんだろうってことぐらい。でも、私にとってはそういう小さなことが特別に思えるのだ。


「名前」
「なに」
「名前」
「うるさい」
「名前」
「もう!何!」
「はは、顔真っ赤。可愛い」
「……もうやだ」


ベッドに自ら倒れ込み顔を埋める。なんだこの拷問は。世間のカップルは情事後の朝、毎回こんなやり取りをしているのだろうか。私には耐えられそうもないのだけれど。
項垂れる私の頭をぽんと叩いて、起きるんでしょ、と言ってくる彼のなんと憎たらしいことか。何度も言うけれど、誰のせいでこんなことになっていると思ってるんだ。身体を起こして、彼をむうっと睨む。しかし、効力はないらしく、返ってきたのはへらへらとした笑顔だけ。


「名前で呼ぶのは慣れるまで2人の時だけにするね」
「そうして」
「そんな可愛い顔は誰にも見せたくないから」
「よくそんなこと真顔で言えるね!」


可愛い可愛いって、昨日からよくもまあ繰り返し囁けるものだ。こっちの頭がおかしくなってしまう。私はもうベッドに戻らないと心に決めて立ち上がり、やっとのことで部屋を脱出した。こんな甘ったるい朝は私に似合わない。疲れる。正直、やめてほしい。
けれども、もう二度と御免だ!とまでは思えないのだから、結局私は彼のペースに飲み込まれているのだ。