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22

カウントダウン、開始

夏祭り以降、キスは何度かした。だからその行為自体への緊張はそれほどない。…と思う。全くないと言えば嘘になるだろうけれど、でも、今私を最も緊張させている原因は、この雰囲気だ。それは断言できる。
最初は触れるだけだったのに、徐々に長く、深くなるそれ。舌が侵入してくるのはこれで何度目だろう。たとえ100回繰り返していたとしても、私はこの行為に慣れることなんてできないんだろうなあと、他人事のように思った。余裕があるから考え事をしているわけではない。違うことに意識を逸らさなければ、すぐに飲み込まれてしまいそうで怖かったのだ。
私の、なけなしの防御壁。ほんの少しでも心を落ち着かせるためのインターバルを作れたら。そんな考えを孕んだ浅はかな抵抗。しかし彼は、突貫工事で作った壁なんてすうっと通り抜けて、何事もなかったかのようにこちら側に来てしまうような人だから、私の努力はきっと何の意味もない。
丁寧に、それでいて情熱的に。普段落ち着き払っていて、どちらかというと冷静な彼からは想像できない熱量。今までで1番長くて1番執拗で1番甘ったるい口付けだった。
ふはあ、と息を吐いた直後、始まる前と同じように額をこつんとぶつけ合って、どちらからともなく視線を交わらせる。目は口程に物を言う、とはよく言ったもので、彼は無言なのに何を言おうとしているのか手に取るように分かった。


「……だい、じょうぶ、」
「じゃあベッド行く?」
「うん、」


きちんと覚悟していた。だから家に招いた。しかし、いよいよだと思ったらやっぱり緊張するし、ちょっと怖いし、でもここまできてやっぱりやめましょ、なんて言えないし。
立ち上がって、ベッドの置いてある部屋へ向かう私の脳内は真っ白だった。ぐちゃぐちゃではなく、真っ白。何をどう考えたらいいのか分からなくて、情報を排除しすぎた結果だ。しかし、ひとり暮らしの狭い城はほんの数歩歩いたらベッドのところまで辿り着いてしまうから、どうせ何かを考える時間もない。
ベッドの前で立ち尽くす。最近部屋を掃除しておいて良かった。ベッドシーツもたぶん綺麗。あれ、そういえばこういう時って先にシャワーとか浴びるべきなんじゃないっけ?どうしよう、もうここまで来てしまった。初めての時って痛いって聞いた。血も出るらしい。あ、タオル、ない。取りに行こうか。


「名字さん」
「へっ!?」
「…大丈夫じゃないでしょ、全然」
「しゃ、シャワー…浴びるかな、って、」
「俺は浴びなくてもいい」
「…た、タオル、いるよね……?」
「名字さん」


呼ばれる度に心拍数が上がる。どんどん逃げ道を塞がれているみたいだ。私にゆっくりと近付いてきた彼が手を伸ばしてくる。する、と腰を撫でられた瞬間、大袈裟でもなんでもなく、びくっと震えてしまった。
抱き竦められる。彼の胸元に顔をぎゅっと押し付けられて、ファンデーションが付いてしまうんじゃないだろうかと、また意識を違う方向へ向けた。彼の手が私の頭をよしよしと撫でる。ちょっとだけ、落ち着く。すう、はあ。息が、できる。


「キスだけにしよう」
「え」
「今日は、しない」
「ごめ、」
「これでも大切にしたいと思ってるから」


顔を上げる。彼は特に落胆や幻滅の色を見せておらず、穏やかに緩やかに、私に笑顔を傾けてくれていて、申し訳なさと同時に胸がきゅうっと締め付けられる思いがした。
付き合い始めた日、あの夏祭りの夜、彼は言った。全部俺が教えてあげるよ、と。そしてこうも言った。嫌だったら逃げれば良いよ、と。あの時は冗談だと思っていた。私が逃げようとしたってどうせ逃がしてくれないんでしょ、って。そう思っていた。でも、違った。彼は逃げ道を塞いだりなんてしていない。むしろ与えてくれていた。私は、結構、否、かなり、彼に大事にされている。そんなこと、ちゃんと分かっていたはずなのに。


「赤葦君」
「キスしようか」
「…うん」
「はは、素直だ。珍しい」
「珍しいついでに、言ってもいい?」
「いいよ」
「ちゃんと、好きです」


俺もだよ、って言ってほしかったわけじゃない。知ってるよ、って笑われたかったわけでもない。見返りを求めて言ったわけではないのだ。身体の中いっぱいに満ちたその気持ちを吐き出さないと、ぱあんと弾けて死んでしまいそうだっただけ。私はこんな時でも自分のことしか考えていないダメな女だ。
しかし彼は私を咎めることなく、責めることもなく、何も言わずに唇を重ねてくれた。さっきと同じか、もしかしたらそれよりも丁寧かもしれない。舌を絡めたりはしていないのに、いやらしい気持ちになるキス。唇を食まれて、吸われて、ちょっとだけ目を開いたら視線だけで射抜かれて、また目を瞑る。
苦しさよりも興奮が勝っていた。自然と彼の背中に手を回してしまう。後頭部と腰を強く抱き寄せられて、元々ゼロだった距離をマイナスにするみたいに身体を押し付け合ったら、なんだかもうムラムラしてきてしまって。
怖がっていたくせに、躊躇っていたくせに、今日はしないって言われてちょっと安心したくせに、今になって違う感情が芽生えてくる。恋って難しい。分からないことだらけだ。勉強のようにセオリー通りにはいかなくて、だから怖い。でも、知りたい。知りたいよ、赤葦君。


「んっ…赤葦くん、」
「なに……?」
「しよう…この続き、」
「…意味分かってる?」
「分かってる」


初めて自分から彼に身体を寄せた。そんなに豊満ではない胸を押し付けて、上手くできているかは分からないけれど上目遣いで見つめてみた。後戻りはしなくても良いと、今度こそ本当に大丈夫だと訴えるように。


「…勉強が好きな名字さんはそういうこともちゃんと勉強したの?」
「そういうこと?」
「男の誘い方」
「えっ」
「してないの?」
「ごめん、してない…」


言われて気付いた。そうか。今時ネットで調べれば、男性が喜ぶ反応とか、仕草とか、初めての時に女性側がどうあるべきかとか、注意することとか、そういうのって勉強できたんじゃないか。しまった。事前学習しておくべきだった。
1人で脳内反省会をしていると、彼が声を出して笑った。ちょっとムードが台無しになったけれど、これぐらいの方が有難いかもしれない。


「名字さんってほんと、裏切らないよね」
「…赤葦君が、全部教えてくれるって言ったから、」


苦し紛れの言い訳だった。自分の勉強不足を彼のせいにした。それは本来、俺のせいにするな、と指摘されて然るべきなのに、彼ときたら、そうだよね、と納得してしまうのだから罪悪感が募る。


「明日、土曜日で良かった」
「休みだから?」
「そう。ゆっくり教えてあげられる」


また、先ほどのムードが戻ってきてしまった。キスが再開されて、今度は舌が捻じ込まれる。結局シャワーは浴びていないし、タオルを取りに行くこともできなかった。これでいいのだろうか。先ほどまでと同じように余計なことを考えようとした私は、そこで一旦思考を停止させた。
キスに溺れる。翻弄される。ひんやりとした室内なのに暑い。少し目を開ける。彼が一際色っぽくなっている。また目を瞑る。彼の背中のシャツをぎゅっと握り締めて、また溺れる。
もう何も考えないことにした。現状をただ受け止めて、流されて、それでもいいかなと思ったのだ。投げやりになったわけではない。委ねた。彼に。赤葦京治という男に。だって彼は私のことを大切にしてくれるって信じられるから。彼のことが、好きだから。
ベッドに雪崩れ込む。本当に文字通り、雪崩れ込んだ。キスを止めた彼が私を見下ろしている。私の視界に入るのは見慣れた天井と彼の顔だけ。暗い。つけっぱなしにしているリビングの明かりが、少しだけ開いている扉の隙間から差し込む程度の明るさしかない。でも、それぐらいがちょうど良いと思った。今の私、すごく情けない顔をしていると思うから。あんまり見られたくない。
彼の背中に回したままだった手をやんわり解かれて、指と指を絡めながら両手ともベッドに縫い付けられる。彼から注がれている視線だけで死んでしまいそう。そんなことを考えている私がこの先生きる道は、残されていないのかもしれない。