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自分を探すかくれんぼ

夏祭りの日から付き合い始めて、季節は秋に移り変わった。あと1ヶ月もすれば冬が訪れるだろう。つまり私達が恋人という関係になってから、いつの間にか3ヶ月が経過していた。
彼からしてみれば散々待ったのだと思う。いくらそちらのことに疎い私でも、全くの無知というわけではない。付き合っている男女が上っていく階段のうち、手を繋ぐ、ハグをする、キスをするというステップまではなかなかあっと言う間だった。けれどもそこから、私達は足踏み状態だ。
それは全面的に私側の問題でほぼ確定。家に送ってもらうことは当たり前のようになっているけれど、彼が私の部屋に足を踏み入れたのは浴衣を着つけることになったあの日だけ。だから、恋人になってからは一度も、本当にただの一度も来たことがない。
時間的に遅いから、という尤もらしい理由で、別れ際に挨拶代わりと言わんばかりのキスをしてさようなら、という流れが定番になっていた。それはそれで、人に見られたらもの凄く恥ずかしいことではあるのだけれど、彼がちっとも悪びれず流れるような動作で毎回のようにやってのけるから、最近では、これはもしかして普通のことなのかな、と錯覚してしまうようになっている。
本当は知っていた。帰り際「ちょっとあがっていく?」と一言投げかければ、階段を駆け上がってしまえるということを。気付いていた。彼がその一言を待っているのだろうということに。別れ際のキスの後「名残惜しいな」と思ったことがないわけではない。もう少し一緒にいたいと考えたことも勿論ある。けれどもその感情を吐き出したことはただの一度もなかった。
彼が怖い、というわけではない。その行為自体が怖い、というか、これ以上、自分の知らない自分に出会ってしまうことを恐れていた。ただでさえ、入学してからの半年で「自分」を見失い、新たな「自分」を発見して混乱しているのだ。それに漸く慣れてきたところで、また次に進まなければならない。そのことがどれだけ私にとってハードルの高いことか、彼はきちんと分かっている。だから待っていてくれた。けれども彼にだって限界というものがあるに違いない。


「名字さんって緊張したりするんだね」
「どういう意味?」
「なんかこう、いつも淡々としてるから」
「その言葉、そっくりそのままお返しする」
「お互い様か」
「…赤葦君は、緊張、してるの?」


食堂での会話はとても微妙な沈黙が流れて、彼が堪らず、冗談だよ、と言ったことで幕を閉じた。けれども「恋人として上を目指したい」気持ちが冗談じゃないことも、上を目指すとはどういう意味なのかも、私はきちんと理解していた。だからこのおよそ1週間、心の準備をしてきた。
金曜日のバイト終わり。時刻は夜の9時を過ぎたところ。並んで歩く景色はいつも通り。寒くなってきたね、と言って彼が私の手を取るのも、私の家の前でちょっとおしゃべりをするのも、彼が流れるようなキスをしてくるのも、全部いつも通りだった。でも、いつも通りはここまで。


「寒いし、コーヒーとか、飲んでいく?」
「え」
「紅茶もあるし、ココアもあるし、普通のお茶もある」
「…いや、うん……ふふ、うん」


これでも相当必死だったしもの凄く勇気を出した。それに対して彼は、くすくすと声を押し殺して笑う。失礼な男だと思った。女として一世一代の決心をして言葉を発したというのに、その決心を笑うなんて。


「名字さんは真面目だから、絶対考えてくれてるんだろうなとは思ってたんだけど」
「……何」
「思った以上に、分かりやすくて」
「別に、私はここまで送ってもらったし、寒いし、だから、温かい飲み物どうかなって、思っただけで」
「可愛いね」
「な、なんでこの話の流れでそうなるの?」
「お言葉に甘えてお邪魔しようかな。……寒いし」


全部寒さのせいにした。実はそんなに驚くほど寒いってわけじゃないし、これから冬にかけてもっともっと寒い日はあるはずだけれど、そんなことはどうでも良かった。私達はずるいから、自分達の感情以外の何かのせいにしたかったのだ。
鍵を開ける。扉を開いて中に入り、彼もそれに続いて入ってくる。ばたん、と扉が閉まって、彼が鍵を閉めるガチャンという音が聞こえた。私の家なのに、まるで閉じ込められたみたいな、逃げ場はありませんと言われているような、そんな感覚に陥る。
コートを脱ぐという動作ですらぎこちなくて、使って、と言って彼にコートをかける用のハンガーを手渡すのも、やけにカチコチとした動きだったように思う。そんな私に投げかけられた言葉が「名字さんって緊張したりするんだね」である。勝手に緊張している私がおかしいのかもしれないけれど、誰にも邪魔されない空間で彼と2人きりになって緊張するなという方が無理な話だ。


「そりゃあ彼女の部屋に初めて入ったら緊張するよ」
「初めてじゃないでしょ」
「あれはまだ友達の時だったから」
「…何飲む?」
「名字さんが飲むのと同じやつ」
「ココアになるけど」
「いいよ」


私は逃げるように台所へ行ってマグカップを2つ取り出した。ココアの粉を入れて、お湯で溶いて、混ぜて、温めた牛乳を入れて、また混ぜる。それだけの作業に時間をかけた。リビングで待つ彼のところに行って何を話せば良いのか、答えが見つからなかったから。
けれどもどれだけゆっくり作ろうとも、ココアを作る時間なんてたかが知れている。私は出来上がった湯気の立つココアを持って彼の待つリビングに向かうしかなかった。机にココアを置いて、彼の斜め前に腰を落ち着ける。全然落ち着いてはいないけれど、隣に座るよりはマシだ。


「付き合いだして思ったんだけど」
「うん」
「名字さんって結構女の子って感じだよね」
「それは褒めてるの?」
「第一印象がだいぶクールだから、ギャップ萌えっていうのかな。甘党なところとか意外だった。あ、一応褒めてるよ」
「一応」
「ちゃんと褒めてる」
「…クールっていうか、不愛想なだけでしょ」


私は必要最低限の人付き合いしかしないし、愛想よく振る舞うのも限られた時だけだ。当たらず障らずの人間関係を築けるだけの対応をしていればそれでいいと割り切って生きてきた。だから、大抵の人は私のことを怖いとか真面目すぎてつまらないとか、そういう風にしか見ていないだろう。
そういえば聞いたことがなかった。彼はどうしてこんな私を好きになってくれたのだろう。一体いつから?いや、それは私もよく分からないのだけれど、でも、知りたいと思った。彼との始まりを振り返るのは少し恥ずかしいけれど、それでも、知りたいと思った。


「赤葦君はどうして私と付き合いたいって思ったの?」
「最初は、俺と似てるなって思って気になっただけなんだよね」
「私と赤葦君が似てる?そう?」
「外面良いところとか」
「否定はしないけど…他に似てるところある?」
「たぶん根本的なところは結構似てるよ。名字さんが不器用すぎるだけ」


上手く立ち回れていないことは重々承知していたけれど、人に指摘されると腹が立ってくるのはなぜだろう。そういえば出会ったばかりの頃の彼には図星を突かれてばかりで、それに対してイライラしていた記憶しかない。彼が定期的に寄越してくるこの不要な感情。しかし免疫がついてきたのだろうか、最近はそれほど激しくイラつくことはなくなった。


「誘い方まで不器用」
「さそっ、そんな、」
「そういうつもりじゃなかった?」
「それ、確認する必要ある?」
「あるよ。そういうつもりじゃないなら、そういう雰囲気にはできない」
「そういう雰囲気、って?」
「……いいの?そういう流れで」


「そういう」が「どういう」ことなのか。無知なフリはできない。私は不器用だから。
コトリ。彼が持っていたマグカップをテーブルの上に置いた。ドクリ。私の心臓が波打つ。バチリ。視線がぶつかる。ゆらり。彼が私に顔を近付けて。するり。頬をなぞった。こつり。額がぶつかる。


「いい?」
「………いい、よ」


何もよくない。よくないけれど、いいと言った。私は既に、「自分」を見失っている。